第210羽♡ 本物のアイドル
――7月26日木曜日午後17時37分。
池袋から帰り、途中でリナと別れたわたしは一人バイト先のディ・ドリームに向かう。
今日は加恋さんと葵ちゃん、わたしの代役で前園と楓が急遽シフトに入っているはず。
前園と葵ちゃんの雲行きが相変わらず怪しいようだ。
とは言え、ふたりと関係の深い加恋さんと楓の望月姉妹がいれば、おとなしくしているしかないと思っていた。
だけどそうはならず、どうやらまた衝突したみたい。
ディ・ドリームに到着後、ふたりをスタッフルームに呼び出したわたしはふたりの和解を試みる。
「葵ちゃん、前園、ケンカはやめようよ、ちゃんと話し合えばわかるよ、ねっ」
「先輩……残念ですが、それは無理です」
「カスミン、もう話し合いでどうにかなるレベルじゃないんだよ」
「ええっ?!」
「前園さんの様な超イケメンだかエルフ系美少女だかよくわからない人がいるから、男女問わず不幸な人が大量増産されるんです」
「葵ちゃんみたいな小悪魔系美少女を野に放ってはいけない、放置すると全ての人は脳を焼かれ考えることを放棄する」
「えええっ?!」
「せめてもの情けです、可能な限り楽に逝かせてあげますよ前園さん」
「ふっ葵ちゃん、光の彼方に消えるがいい」
ふたりは睨み合い、バトル漫画のキャラクターのように身構え、激しい闘気を発する。
「お願いだからふたりともやめてぇーー!」
わたしの叫びは虚空に消え、二人の少女による人類存亡をかけたキャットファイトではなく、神々の黄昏が今ここに始まる。
……はずだった。
「いとも簡単に流される先輩はマジなクソザーコザーコなチョロインですね」
「そこはピュアって言ってあげなよ、で、せっかくバイトを変わってあげたのに何しにここまで来たのかなカスミンは?」
なぜか神々の黄昏は始まらなかった。
それどころかバトルモードはいつの間にか解除され、ふたりともマイルドな雰囲気になっている。
「ふたりがケンカしているから止めてくれって店長から電話が掛かってきて」
「先輩、お仕事をしにきているのに毎度ケンカするわけないじゃないですか」
「そうそう、もうアイドル対決で決着を付けるって決まっているし」
前園と葵ちゃんは揃ってはぁと溜息を吐く。
……ん?
これどういうこと?
「あ、カスミンもう来てたんだ、店長が呼んでるよ、あと葵ちゃんも」
スタッフルームに入ってきた加恋さんに声を掛けられる。
「加恋さん、わたしもですか?」
「うん、というかあたしたち三人に話があるって」
「は~い、じゃあ先輩、加恋さん行きましょう」
「うん……ごめん前園、席を外すね、ところで楓はどう?」
人当たりの良い前園はともかく、今日が人生初バイトな上、人見知りをする楓が、普通に接客をできているか気になる。
「頑張っているよ、表情がやや硬いけど」
「ごめん、ちょっと行ってくるからもう少しだけフロアと楓をお願い」
「オッケー」
薄い金髪の碧眼美少女はいつものように屈託のない笑みを浮かべる。
いつもながら頼りになります前園さん。
♠~♡~♦~♧~♠~♡~♦~♧~
わたしを騙しディ・ドリームに呼び出した張本人は悪びれる様子もなく、もう一つのスタッフルームでコーヒーを片手に静かに佇んでいた。
「やぁカスミン、お疲れ様」
「お疲れ様です店長、お話は何でしょう?」
「他でもない、DreamLatteの今後のスケジュールを……」
「そのDreamLatteって何ですか?」
「君達のユニット名だけど、知らなかったかね?」
「聞いてません!」
「おかしいな……加恋君にはだいぶ前に伝えたと思うのだが」
「そうなんですか? 加恋さん」
わたしと葵ちゃんから視線を向けられた加恋さんはきょとんとした表情をしている。
「おぅ……ふたりに言うの忘れてたにゅ。お酒で記憶が飛んじった、えへへっ、てへぺろん♡」
加恋さんはかわいらしく舌をチロっと出す。
……うぬぬ、この酔っ払いめ。
「8月1日午前0時にMeat Tubeでこの前、先日録音したデモ音源を公開する。合わせて公式ホームページのオープン、また毎週月、水、土の夕方に30分ほどのミニライブ、全国31店舗のディ・ドリーム各店でCDやグッズ物販、某個人勢Vtuberチャンネルへのゲスト出演も行う」
「……あの、すごく本格的ですね」
「社運が掛かっているし、君達のレッスン費用だけでも相当だからね」
「それ大丈夫なんですか?」
「君たちの努力で大丈夫にしてもらわないと困る」
社運とかをただのバイトにそんな重大な責任を押し付けられても困る。
そもそもお店を少し盛り上げれば良いくらいのお気軽な企画ではなかったのか。
「ライバルになる前園さんと楓さんのアイドルユニットKa-rinだが、向こうのプロデューサーさんと相談して毎週土曜日ミニライブに一緒に出てもらうことになった」
Ka-Rinのプロデューサーはわたしのフィアンセでもある赤城さくらだ。どうやら水面下で着々と話が進んでいるらしい。
「つまり土曜日は対バン形式ということですね」
黙って話を聞いていた葵ちゃんがようやく口を開く。
「あぁそうだ、お客様には土曜ライブでDreamLatteとKa-Rinのうち良かった方にライブ後に毎回投票してもらうことになる。計三回のミニライブと八月末のここの駐車場の特設ページでのラストライブの計四回の総得票数で決着をつける。心して臨むように」
なんだかとんでもなくデカい話になっている。
これ本当に上手く行くの?
全然お客さんが集まらなかったらどうしよう。
うまくいかなくて借金とか背負わされたりしないよね?
あげくちょっとマグロ漁船に乗ってこいとか、北の海でタラバガニを捕ってこいとか。
「……ちょい待ち店長、ファーストライブはいつですか?」
「8月1日水曜日だが、何か問題あるかね加恋君」
「あと5日しかないですよ?」
「まぁそうなるね、とりあえず今渡している3曲をしっかり仕上げてほしい」
「3曲のうち、今のところ通しでできるのは『ファースト・デートは君と』だけですが」
「では残り2曲に5日もかけられるね」
「無理ですって、あたしたちド素人ですよ?!」
「ステージに立つ以上、プロも素人も関係ないよ」
店長は淀みなく正論を告げる。
そりゃそうかもしれないけど、どうしよう。
仮に練習期間をあと一週間余分に貰っても厳しいと思う。
加恋さんの苦言には全面的に同意で、わたしもかなり厳しいと思う。
だけど無理だと思わないメンバーがただ一人だけいた。
「了解です。それでは8月1日ファーストライブで最高のパフォーマンスを御覧に入れます」
わたしと加恋さんとは違い、葵ちゃんだけは自信に満ちた表情を浮かべている。
まるで本物のアイドルのように……
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