第193羽♡ イケメンがわたしの名前を憶えない!
眠る宮姫を背負いカラオケルームに戻ると、加恋さんと葵ちゃんの二大悪が崩れ置ちていた。
これは一体!?
「ふたりともイタズラが過ぎたから少しだけお仕置きしたよ」
何故か部屋の隅にもたれ掛かり腕組みして片足立ちする執事服コスの前園がそう告げる。
「お仕置きって何を?」
「人呼んで愛のセレブレーション」
愛のセレブレーション!?
「って何それ?」
「もちろん企業秘密さ、大丈夫、手荒なことはしていない」
「ならいいけど……それより前園は正気だったの?」
「あぁもちろんだよ小沢」
「ん?」
小沢って誰?
「間違えた小山」
「違うよ」
「そうだ小田切だったね」
「違う」
「岡田」
「うんうん」
「小野寺」
「ぶっぶー」
――おかしい。
上手く説明できないけどこの前園凛は絶対におかしい。
いつも通りのイケメン兼美少女だし、受け答えはしっかりしており、おかしいところは何も無いように見える。だけどわたしの知っている前園凜ではない。
「すまない、つい悪ふざけをしてしまったよ。もちろん憶えているよ。君の名は……」
右手人差し指と中指をおでこに当て、まるで名探偵が推理をするようなポーズをとる。そして……
「おフランス」
えっ?
「それは前園が来月から暮すかもしれない国の名前だからーー!」
……ダメだ。
楓や宮姫同様に、前園もぶっ壊れたままだ。
「オレ、フランスに行くの?」
「そうだよ、だから日本に残るために今一緒に下宿先を探してるんでしょ!」
「……言われてみるとそんなことがあったような、うーん」
何で記憶喪失みたいになっているの?
あのチョコレートには洋酒の他にも怪しいものが入っていたのでは?
「それより大磯、すずすけを助けてくれてありがとう」
「宮姫のことは憶えているの? 大磯じゃないから」
「もちろんだ、そこで眠っているのが楓、あと困ったちゃんは望月先輩と葵ちゃん」
「……どうしてわたしのことだけ忘れてるの?」
「忘れてないさ大鏡」
「それ平安時代の貴重な書物だから! さっきからわたしの名前は最初のおしか合ってなんだけど!? わたしは女形だよ、女形カスミン」
……これも本名じゃないけど。
「女形……カスミン? うわぁあーー頭が痛い!」
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
宮姫を椅子の上に座らせ、わたしは頭を抱え苦しみにあえぐ前園に駆け寄った。
しかし――
「なんてね、捕まえたよ子猫ちゃん」
「んにゃ!?」
手首ががっしり掴まれわたしは動きを封じられてしまった。
うそっ!?
男の娘のわたしが女の子の前園に捕まれて動けない!
この白い細腕のどこにこんな力が?
「近くで見るとやっぱかわいい顔してるよねカズミは」
「カズミじゃなくてカスミンだから……っていたっ」
「痛がる顔までかわいい、ねぇオレの女になっちゃいなよ」
アイスブルーの瞳がわたしを見つめる。
やばい……胸がトクントクンする。
意識がまともとかまともじゃないとか関係ない。
やっぱりすごいカッコいい。
こんなのに迫られたら、加恋さんや葵ちゃんも一溜りもなかっただろう。
だけど
「オレの女もなにも……わたし達は仮カップルでしょ」
「オレと君が? ならこのまま唇を塞いでもいいってことだね」
「それはダメ!」
「でも抵抗できないでしょ? 諦めなよ」
どうしよう?
このままだとわたし前園とキスしちゃう……
中尾山でしているから初めてではない、でも前園が正気じゃない時にするのは違う。
何とか止めさせないと。
そうだ! 中尾山と言えば。
「ねぇトイレに行った時に窓から見えたんだけど雷がゴロゴロ鳴ってたよ、ひょっとしたらここに被雷するかもね」
「それは本当?」
「うん、外はもう黒い雲で真っ暗、きっと落ちるよ」
中尾山の登ったあの日に前園本人の口から聞いた。
雷にトラウマがあると。
実際雷雨に合ったあの日、我を忘れるほど怖がっていた。
本来なら前園を傷つけるような策は使いたくない。
でもこの場を切り抜けるためには致し方ない。
……ごめんね。
「ふっ何を言うかと思えば。周囲には高いビルがある。避雷針も付いているだろう、ここに落雷することはない。そもそも今日の降水確率は0%だ、雨が降ることもない、本日は快晴なり! はっはっは」
「くっ」
付け焼き刃は通じないか。
というか今日の降水確率は憶えているのにどうしてわたしのことをすっぽり忘れているの!?
「さてカネヨン、そろそろいいかな?」
「お願いだから考え直して、あとわたしはカスミンだから」
手は塞がっているけど足は何ともない。
ばたつかせれば何とかなるかもしれない。
でも前園を蹴とばすようなこともしたくない。
我慢してお仕置きを受ける?
いや……男の娘としてそれはダメな気がする。
でもどうやって逃げ切る?
方法はないけど諦めるのはまだ早い。
前園が苦手なものをもう一度考えてみよう。
ノーラさんがこの場にいれば即解決だけど、もちろんここにはいない。
この場にあるもので、動けないわたしでも何とかなるもの……。
ダメだ……やっぱり何もない。
カラオケルーム内は防音で外まで声が届かない。
仮に届いたとしても騒ぎを大きくしたくない。
わたしと前園以外の四人はダウン中……起きる気配もない。
「……ようやく大人しくなったねカルメン。大丈夫、オレに任せて」
前園の柔らかそうな唇が迫る――
カルメンって誰?
彼女の名前を間違えるのって一番ダメじゃない? わたしは仮だけど。
でも、もう誰でもいいか。
前園のことが嫌いじゃない。
むしろ……
――ってやっぱダメ!
まだ何んとかなるはずだ!
そうだ、どんな時でも前園を確実に止めれる人間が世界中に一人だけいる。
この場を収めらるのは彼女しかない!
「宮姫、前園がいたずらするから止めて!」
「なっ?!」
その瞬間、前園の表情には焦りの色が浮かんだ。
わたしの声に反応したアリスコスの宮姫は突然むくりと立ち上がると、無表情のまま前園に背後に近づく。そして……
「いたたたたっーー! すずすけ、つねるの止めて!」
「知らない」
冷酷無比な一言で宮姫は必殺のつねり攻撃を継続する。
「ごめんなさい! もうしません! 許して! 堪忍して!!」
「本当に?」
「本当です! 誓います!」
「次はないから」
そう告げると宮姫はあっさり攻撃をやめた。
「ありがとうすずすけ、大好きだよ」
「わたしもだよお凛ちゃん」
前園はわたしを開放するとすぐに宮姫を抱きしめる。
「不安にさせてごめん」
「気にしない、ねぇそろそろ行こうか」
「うん」
悪のイケメンから普通の少女に戻った前園は宮姫と互いの手を取りどこかに消えていく……
『姫園のふたり』は誰も立ち入れないふたりだけの楽園に旅立つのでした。
おしまい……って何これ!?
こうして狂乱のカラオケ大会はディ・ドリームバイトチーム、トリプルおっぱいシスターズの双方に甚大な損害を出し終焉を迎えた。
結局のところ前園は本当に壊れていたのか、それとも今も壊れたままなのか不明のままだ。
参加者全員が懲りたのか、しばらくの間は誰の口からもカラオケの話は出てこなかった。
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