手を放しなさい
「ちっ! 田舎者ども、ウダウダうるさいんだよ。おれは、このカニンガム公爵家の当主。大領主様だ」
バートは、やはりわたしの名を知らなかった。
「カニンガム公爵家の当主? 大領主様? クリス、そうなのですか? あなたは、このカニンガム公爵家の管理人としてもう四十年以上勤めて下さっています。そこにいる彼の申告通りなのですか?」
自分でも嫌味ったらしい、と実感しつつ言わずにはいられなかった。
正直なところ、もう嫌気が差していた。こんな男、さっさとこのカニンガム公爵家の屋敷から放り出したい。
どうせことを分けて話をしたところで、その内容のほとんどを理解出来ないでしょうから。
それなら、強制的に退去してもらった方が時間と労力の節約になる。
だいたい、何十回も通達や忠告や命令の知らせを送っている。彼は、そのどれにも目を通していない。
いまさら知らしめる必要などない。
だけど、やはりフェアじゃないわね。
彼は、愚かなだけ。愚か者であっても、すべてを知る権利がある。
そして、口惜しがったり後悔する権利も。
わたしに問われたクリスは、バートに近づいた。そして、彼の座る長椅子の横まで行くと、あからさまに指で鼻をつまんだ。
「愚か者のにおいがしますな。しかも強烈だ。カニンガム公爵家は、名門中の名門。代々の当主だけではありません。一族みなが優秀です。すくなくとも、こんな愚か者臭をプンプンさせているような者はおりません」
クリスは、辛辣に言った。そして、こちらに戻ってきた。
「な、なんだと、じじいっ」
「アハハハハッ! 愚か者だって」
バートが怒り狂うのはわかる。だけど彼の愛する人は、愛するバートがいわれなき誹謗中傷をされているのに大笑いをしている。
「この田舎臭いじじいっ」
バートは、愛する人に笑われてさらに怒った。
立ち上がり、こちらに向かってくる。
「やめなさい」
クリスにつかみかかろうとする彼の前に立ちはだかった。
「『やめなさい』、だと? おれに命令するな」
クリスの襟首をつかもうとしたその手が、わたしのブラウスのそれをつかんだ。
「アミ様」
「アミ様」
クリスとユリシーズが動こうとしたのを、右手を上げて制する。
「大丈夫です」
二人を安心させてから、すぐ眼前のバートを睨みつける。
「はなしなさい。そのはちきれそうな手をどけなさい」
「ま、またしても命令しやがって。この田舎娘っ、おまえはいったい何者だ?」
「この手をはなしなさい」
命令とともに軽く手をはたいた。あくまでもほんの軽く。ほんとうに軽く。誓って軽く。
「ギャッ!」
それなのに、バートは尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げ、手をおさえてしゃがみ込んだ。
「こ、このクソ女っ! なんて力だ」
彼は、うんうん唸りながら同じことを何度もつぶやいている。
ちょっ……。
軽く払った手があたった箇所が、みるみるうちに赤くなった。
「うわっ、痛そう」
すぐうしろからクリスのつぶやきがきこえてきた。
(おおげさね。ちょっと触れただけじゃない)
わたしの心の中の叫びがきこえるわけがない。
「やっと手を離してくれたわね。何者なのかという質問に対して答える前に、自己紹介をしておきます。まだよね? わたしは、アミ・カニンガム。このカニンガム公爵家の娘よ。そして、このカニンガム公爵家の当主。この大領地の大領主というわけ」
いっきに告げたけど、愚かなバートには理解出来なかったみたい。
痛みを忘れ、しゃがみ込んだ姿勢のままこちらを見上げている。




