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そして始まる物語

「な、なんだい君は! 泣いているのか? ぶつかってきたのは君の方だろうが!」


 ヘクターはデイジーが涙を浮かべているのでひどく動揺している。泣いているのは別の理由なのだが、そんなことを彼が知る由は無いのだから。


「泣いているですって? そうよ、泣きたい気分なのよ! うわーん!」


 デイジーが我慢しきれずに泣き出してしまった。ヘクターは自分が何かやってしまったのかとおろおろし始めた。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ! 悪いのは君じゃないのか!」

「デイジーは何も悪くないもん! ああああああー!」


 デイジーが泣きやまない。今日を振り返れば、確かに彼女自身は何も悪くはなかったと思う。


「なんなんだい! 泣くのは止めてくれよ! 一体どうしたと言うんだ!」


 ヘクターはデイジーを立ち上がらせると、道の脇へと移動した。道行く人の邪魔になり、なお人目についてヘクターはひどく居心地が悪い思いをした。だが、こんなデイジーを置いたままにしてどこかへ行こうとも思えず、とりあえずは彼女の相手をする。


「どうしてなの。どうして誰もデイジーを好きになってくれないの!」


 デイジーは痛切に思い知った問題を口にする。


「そんなこと僕がわかるわけないだろう!」


 ヘクターはなんと答えたらよいやらわからずにそう切り替えした。

 デイジーは何か反論してやろうとヘクターの方を向いた。その時デイジーはまだ眼鏡をしたままだったのだが。

 ヘクターの頭上に吹き出しが見える。「こいつはいろんな人を好きになるのに、どうして僕は蚊帳の外なんだろう。どうして僕の事をまったく見てくれないんだろう」と書かれている。

デイジーは頭上にクエスチョンマークが出た。それはヘクターの予想外の反応。まったく思いもしなかった意思。


「ヘクター。あんた、誰のことが好きなの?」


 デイジーは直球の質問を投げた。


「な、なんだ急に! 僕が誰を好きだろうがいいだろうが!」


 ヘクターは言葉でごまかすが、頭上の噴出しには「ずっと君のことが好きなのに」と出ていた。これはなんとしたことか。


「態度が悪いあんたが悪いんでしょうが!」


 デイジーは心を読んでいることを忘れて、心の声に返事を返した。


「なっ、何の話だよ!」


 話が見えないヘクターはなんと答えてよいかわからないようだ。

 確かに普段の行いを見ていると、ヘクターが悪いように思えなくも無い。だが、元々そうだったのかを考えると、それはどうなのだろうか。

 現にデイジーがヘクターの心を覗くと、「僕を子ども扱いして相手にしない君に、僕の事を何がわかるって言うんだ!」と書かれている。

 デイジーは思い知った。自分が子ども扱いされて相手にされないように、自分もヘクターを同じように扱っていた事に。そして痛感する。誰かに愛されたいと思い続けていたばかりで、自らが相手の人を想ったことはあったのだろうかと。

 デイジーはぼんやりとヘクターを見つめた。


「あっ、あれ!」


 デイジーが突然ヘクターの後ろを指差して声を出した。ヘクターが後ろを振り向くが、特に何も無い。


「なんだよ、なにもないじゃないか」


 ヘクターが振り向いた瞬間。目の前にデイジーがいた。そして突然口付けをしてくる。一瞬時間が止まる二人。やがてすっとデイジーが後ろに身を引いた。ヘクターは驚いてその場に尻餅をついてしまう。


「なによ。ファーストキスなんてたいした事ないじゃない」

 

 デイジーは余韻に浸らずにそう言い放った。

 ヘクターは己の唇に手を当てて、わなわなと震えている。


「なっ、なにを僕は今・・・・・・」


 地べたに座ったままにヘクターに対して、デイジーは指差した。


「あんたをデイジーに惚れさせて見せる。思い知らせてやるから!」


 言いたい事だけ言った少女は少年の前を走り去っていった。後には呆然とした少年が座り続ける。彼らの前途は、開けたようだ。



 軍師リカルド・アーネストはとある軍記にてこう記している。上位の兵はまず勝ちて後に戦いを求むる。下位の兵はまず戦いて後に勝利を求むると。

 デイジーはそんな軍師の事など知らないが、彼女は既にヘクターの心を知っている。デイジーは勝ち得る勝負を確信して少年に宣戦布告した。ちょっとずるい女へと成長したようだった。


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