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なろう公式企画

手紙をめぐる二つの恋の物語

作者: 柊 風水

「―――庭の木が紅葉になる頃には風邪も少しは落ち着くと思います。その時まで会えるのを楽しみに待っております。節子より」


 美しい娘の口から言の葉を紡ぐ間に、カリカリと文字を紙に綴る音がする。


「此れで御終い。栄、終わった?」

「はい、節子お嬢様。間違いがないか確かめて下さい」

「……うん。相変わらず栄は綺麗な字で羨ましいわぁ」

「いえいえ。お嬢様のお言葉がなければ私のは無用の長物です」





 さかえが使用人として奉公しているお屋敷に節子(せつこ)と言う美しい娘が暮らしていた。

 同い年の二人は直ぐに仲良くなり、使用人とお嬢様の垣根を越えて友情を育んでいた。


 節子は身体が強くなく病のせいで両手の握力が人よりも劣り、食事をする程度なら問題はないのだが、文字を書く事は彼女にとって重労働だった。

 一文字書く事すら一苦労、それもミミズの様な文字でとても文章として読む事は出来なかった。だから栄が文字が書けない節子の代わりに手紙を代筆しているのだ。


 栄の家はその昔、寺小屋として田舎の子供達に学問を教えていた。そのせいか祖父母と両親には綺麗に字を書く事に関しては厳しく教えられた。お陰で栄は同い年の子供達の間では自分が一番綺麗な文字を書けると自信を持つ事が出来た。そしてこうやって敬愛する自分の主の役に立てる事が一番嬉しかった。



「それじゃあ謙一郎(けんいちろう)様の元へ手紙を渡して頂戴ね」

「はいお嬢様」


 謙一郎は節子の許婚で、元は士族のやんごとなき家柄の嫡男だ。大正の世となり武士の肩書もなくなったも同然だが、謙一郎は警察官として立派にお勤めを果たしていた。

 かなり忙しい様で滅多に会う事は出来ないが、こうして手紙のやり取りは欠かさなかったお陰ですれ違いが起きる事はなかった。

 そして手紙を節子が一番信頼していた栄に運んで貰っていた。


 栄も手紙を運ぶ事に関しては文句一つもない。何せ堂々と屋敷の仕事をしなくても怒られないし、手紙を運ぶまでのハイカラな街並みやオシャレな人達の姿を見ながら歩くのが大好きだ。栄の産まれ故郷はあぜ道と田んぼと家しかなかったから都会はまるで毎日が楽しい夢の様だ。

 そして何よりも嬉しい事がある。




「こんにちは栄さん。今日もお手紙を?」

誠三郎(せいさぶろう)さん! はい、此れを何時も通りに謙一郎さんに渡して下さい」


 謙一郎の元に書生として下宿している誠三郎に会う事が栄が一番嬉しい事だった。

 誠三郎は体格の良い如何にも武士と言った感じの生真面目で男前な謙一郎とは真逆で、筋肉質ではないが背が高く眼鏡が良く似合う色白で何時も困った様に笑う優しい性格の男の人だ。


 栄は目付きが悪く体格も声も大きい謙一郎よりも、背が高いが何時も背の低い栄の為に腰を屈めて目線を合わせてくれたり、大福や金平糖だけではなく偶に栄が滅多に食べられないキャラメルやアイスクリンを一緒に食べさせてくれるのだ。

 少量だけど初めて食べるキャラメルやアイスクリンはとても美味しく、だらしない顔で食べている栄をニコニコと笑ってくれる誠三郎の事を栄は大好きだ。




「節子様の体調は如何ですか? 最近体調を崩したと聞きまして」

「はい。季節の変わり目の風邪ですので酷い物ではありませんが、念の為に安静にさせているだけです。お屋敷の木々が紅葉に染まる頃には身体が良くなります」

「それは良かった! それでは結納には間に合いそうですね」


 秋には節子と謙一郎の結納をし、その後直ぐに節子は謙一郎の家に嫁ぐ。

 だからこうやって誠三郎と話したり美味しい物を一緒に食べる日々はなくなる可能性が高いのだ。そもそも誠三郎は謙一郎の家に居候の身だから、何時か謙一郎の家を出て自立する。


 どんなに栄が誠三郎に恋心を持っていても、所詮はお世話になっている家の息子の婚約者の使用人でしかない。他に感情があったとしても、妹の様に可愛がっているだけだ。栄の様に恋愛感情はないのだろう。

 悲しいやら寂しいやら負の感情で心が一杯になる時が偶にあるが、それでも誠三郎の笑顔を見る度に浄化される自分の単純さに呆れていた。



「僕は今から用事がありますから手紙を渡したら直ぐに行きますが……此れをどうぞ。節子様と二人で食べて下さい」


 誠三郎が渡したのは可愛い包みで包まれていた金平糖だ。栄はそれを受け取ると大事に懐に仕舞い込んだ。


「ありがとうございます。お嬢様と二人で食べますね」


 その後二人は名残惜しく其々帰っていった。










「お嬢様此れが謙一郎様の返事のお手紙です」

「ありがとう」


 誠三郎から渡された金平糖を二人で食べながら渡された謙一郎の手紙を読んだ。


 手紙の内容は季節の挨拶と仕事や日常の些細な出来事、そして節子の体調の心配や結納を楽しみにしている事をあの男らしい彼が書いた字とは思えない様な美しい字で書かれてあった。


「良かった。謙一郎様が抱えていた案件が解決したそうだわ。かなり大変な案件だったからこの間会った時も疲れ気味のお顔だったから解決出来て良かったわ」

「それは良かったですね。結納の時はお互い問題もなさそうですね。旦那様達には私がお知らせしましょうか?」

「後でお父様達がお見舞いに来るから私から言うわ」


 栄が湯飲みにお茶を注いで節子に渡した。



「それにしても謙一郎様は本当に字がお上手なんですね。こんなお手本の様な字を書く人は字の先生をしていたウチの祖父位ですよ」

「アハハ! それは違うわよ栄!」

「えっ?」

「実はね……」


 節子は栄に()()()()を耳打ちした。その内容に驚きながらも納得し、そして誠三郎の事を改めて惚れ直した。

















 ―――二人の結納は曇り一つもない晴天だった。


 この日の為に綺麗に着付けされて化粧している節子とビシッと和装を着こなしている謙一郎の姿はまさにお似合いの二人で、お互いの顔を見る二人は本当に幸せそうだった。



 栄も二人の結納の準備に大忙しで、裏庭で休憩出来たのは結納が全て終えた時でもうヘトヘトだった。


「栄さんお疲れ様です」

「誠三郎さん」


 栄に声を掛けてきた誠三郎の方も若干疲れている様だった。如何やら誠三郎の方もこの結納の式の準備やらお客様の対応やらで忙しく働いていた様だ。


「無事に結納が終わりましたね」

「ええ。結婚式も無事に終われば全て終わりますね。……あの手紙のやり取りももう無くなるのですね」

「そうですね。二人は夫婦(めおと)となるのですから手紙のやり取りもしなくなりますね」

「いえ、そう言う意味じゃなく……」


 困った様な残念そうな顔で俯く栄。その頬が僅かに紅色に染まっているのを見て誠三郎の方も彼女の言いたい事が分かったのだろう。


「もしかして()()()()()()()()()()()()()()()()を知っているのですか?」


 小さく頷く栄。





『謙一郎様の字は良く言えば男らしい文字、悪く言えば乱雑な文字なのよ。別に私みたいに読めない訳はないけど、私が栄に代筆して貰ったら栄の字が綺麗でしょ? 自分の字で書くのが申し訳なくなって彼の家に住まわせている書生さんに私と同じ様に代筆して貰っているのよ。私も彼も互いの字について知っていたから互いが代筆している事を最初から知っていたわ』





「別に真心を込めれば相手にも思いが伝わると伝えましたけど『こんな綺麗な字を書ける使用人に俺の字を見せたら節子に恥をかかせてしまう!』と言われまして仕方なく。だけど代筆の字がとても綺麗な字だから一体どんな方だろうと思ったら、こんな可愛らしい方だったなんて」

「可愛らしいだなんて……私もあんなに美しい字を書く人はどんな方だろうと思ったらこんな素敵な方だとは思わなくて……」

「いや、僕なんかが素敵だなんて――」



 無意識に互いを褒め合っていた二人はまるで茹で蛸の様に顔を真っ赤になっていた。






「……あの栄さん」

「はい」

「もし、良かったら今度は僕達で手紙を送り合いませんか?」

「…………私でよろしければ」










 謙一郎と節子との間に長男が産まれたと同時期に誠三郎と栄が結婚する事を報告する手紙が送られてきたのであった。

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