アラフォー帝国騎士団長は年の差MAX令嬢を開幕フルスロットルで愛しすぎている
「レティシア嬢、この婚約は破談とさせてもらう!」
そう告げられて、レティシアは「……はぁ」と生返事を返した。
帝国騎士団の砦、その客間。
低い声で言い放ったのは騎士団長、フランツ・フォン・アーデルハイドである。
大きな男だった。隣に佇む副団長よりも頭一つぶん長身、優美な騎士服の上から、みっちりと分厚い筋肉が詰まっているのが見て取れる。
野性的に伸びた黒髪、肉厚な手指。熊と獅子を掛け合わせたようなシルエットをしていた。
眉間にくっきり深い皺があり、端的に言えば、厳つい。
(……たしか、三十七歳、だったかしら?)
レティシアはぼんやりとそんなことを考えた。
二十歳のレティシアとは親子ほど年の差があるが、彼は婚約者――いや婚約者だった。
さらに正確に言えば、他人から突然婚約者となりそして他人に戻った、赤の他人である。なにせ求婚の文が届いたのが三日前、承諾し馬車に乗り込んだのがその日の昼、帝都に辿り着いたのが今朝で、騎士団の砦を訪ねたのがついさきほど。
副団長に導かれ、客間でくつろぎながらフランツを待つこと半刻――やってきたフランツに、「初めまして」と挨拶をした返答が、「破談」の一言であった。
(なにがなんだかわからない……けど……)
レティシアは小さく息を吐いた。
ほっそりとした指で、紅茶のカップを静かに置く。
空いた両手を楚々と揃え、小さく頷いた。
「そうですか……かしこまりました。では、この縁談は無かったことに」
「お嬢様っ、いいのですか!?」
侍女のニーナが叫ぶ。レティシアは微笑んだ。
「仕方がないでしょう? もとよりわたくしの身に余る殿方よ」
「でもっお嬢様だって子爵令嬢……!」
「やめてちょうだい、恥ずかしい。ベルヘルム家は没落したの。わたくしはもう、どこにでもいる小娘です」
「ううっ。ニーナは一生お嬢様に付いていきますよぉお」
ニーナに礼を言い、レティシアは立ち上がった。改めて、元婚約者にお辞儀をする。
「お茶をごちそうさまでした。それでは、わたくしはこれで失礼致します」
――と。背を向けた瞬間、つんのめる。
後ろから肩を掴まれたのだ。固い男の手で、痛いほどに力強く。
ぎょっとして振り向くと分厚い胸板が、もといフランツがいた。眉間の皺をますます深くして、じぃっとレティシアを見下ろしている。
「……フランツ様?」
フランツは頭を抱えて、絶叫した。
「くあっ! 上目遣い! 無理っ!!」
「!?」
フランツは弾かれたように部屋の隅へと駆けた。先ほどレティシアを引き止めた右手をわななかせ、
「はっ! い、いけない触ってしまった。だめだ俺、抑えろ俺……細い。あんなに薄いのに柔らかい、女の子の肩は骨まで柔らかいのか……!?」
「……あの。フランツ様……?」
――コホン。という咳払いは、フランツのそばに仕える副騎士団長がおこなった。
「団長。ダダ漏れしてますよ」
それでハッと覚醒し、フランツは再び凜々しく胸を張る。
「失礼。なんでもない」
「は、はあ。それで何か、まだわたくしに御用事が?」
「いや……あまりにあっさりと承諾したので、すこし、驚いた」
確かに、少しはゴネてみせねば失礼だったかもしれない。だが本当に、レティシアは驚きはしなかったのだ。穏やかに微笑んだまま、理由を伝える。
「御縁があったことのほうが不思議でした。ご存じの通り、我がベルヘルム子爵家は両親の事故を機に多額の借金が発覚……叔父が肩代わりしてくれなければ、脱税容疑で逮捕されていたかもしれません。本当にフランツ様とは釣り合わない身分ですもの」
謙遜でもなく、そのままその通りであった。
ここ帝国では、騎士は上級貴族にあたる。戦勝をあげた英雄が皇帝となる国で、騎士団長のフランツは次期皇帝候補といわれていた。
同時に、フランツは美丈夫だった。決して若くはないが、鍛え上げられた雄々しい姿は見目麗しい。黒々とした眉の下にある瞳は案外つぶらで、澄んだ海の色をしていた。若い頃には人好きのする顔立ちだったかもしれない。老若男女――特に老と男とを魅了する色気がある。
騎士団長のフランツ様はとても素敵な方なのに、なぜあのお歳まで独身なのか――きっと選り好みしておられるのだ――ならばいつかとびきりの美女を妻に迎えるだろう。
地方領主のベルヘルム家にも、そんな噂が届いていた。
「フランツ様なら、いくらでも良い縁談がおありでしょうし……」
「君より素敵な女性なんてこの世に存在しない」
「えっ?」
何か妙なことを言われた気がして顔を上げたが、フランツは顔ごと目を逸らしていた。
(空耳かしら?)
(そうよね、わたくしがフランツ様の妻になどなれるはずがない。わたくしには、あの男くらいがお似合いだった……)
三日前、フランツから求婚の文が届くその直前まで、レティシアは他所に男の婚約者だった。
叔父が持ってきた縁談で、これもまた突然の話だった。相手はどんな男性ですかと尋ねると、「ふたつ隣の異国人で、商家をみっつも持っている大金持ちだ」と返ってきた。年齢はフランツよりも二十ほど年上で、すでに妻が六人いるらしい。なぜわたくしを見初めてくれたのかとも聞いた。「そろそろ新しいのが欲しいから、だそうだ」と返ってきた。
嫌悪感で肌が粟立つ感触を、レティシアはまだ記憶している。
その縁談は、フランツの強引な求婚によって破談となった。他国で言えば王族同等の権力者に、子爵の後見人でしかない叔父は逆らえなかった。
それだけでもレティシアは、フランツに感謝をしている。離縁されたあとまたその男と、あるいは別の誰かに嫁がされるだろうが、この三日間は幸福だった。
(快い夢を見させていただいたわ……)
……そう、婚約破棄は覚悟の上だった。この求婚は気まぐれか、あるいは何かすれ違いがあったのかもしれない。例えばレティシアではなく可愛い妹に求婚したつもりで名前を間違えていただけだとか――レティシアは一人娘なので、それこそありえないのだが。
なんにせよ、レティシアは彼の申し出を粛々と受け入れるだけである。
「事情はともあれ、一度はあなた様と御縁がありましたことを嬉しく思っております。流れてしまったのは残念ではありますが……」
「ほ、本当かっ!?」
なぜかまた、フランツが叫ぶ。どこに食いつかれたのか分からず、レティシアは再びキョトンとフランツを見上げた。するとまた、彼は喘いだ。
「あぐぅっ、かわいい!!」
「……えっ?」
「そのエッて声も超可愛い、あああダメだ苦……死……」
「だ、大丈夫です? 医者をお呼びしますっ?」
「問題ない、心臓が止まっただけ――ただの致命傷だ。ああ優しい、やはり天使」
「団長ぉ、まるきり不審者ですぜ」
副団長がボソリと呟く。それが号令になるのか、フランツの背筋が伸びた。
「失礼、なんでもないんだ。レティシア嬢……このたびは不義理なことをしてしまい、申し訳なかった。慰謝料はすぐにお渡しする」
「そんな、滅相もございませんわ。お気になさらず」
「いいや受け取ってくれ。それから、これを」
と、何かの小袋を手渡される。中を確かめると、大量の金貨が入っていた。これでは多すぎると思ったが、それは慰謝料とは別の、帝都での滞在費だと言う。
「滞在費? それではなおさら多すぎます。これでは何ヶ月も暮らせてしまいますわ」
「そうして欲しいんだ。しばらくはこの帝都で宿を取り、俺とは円満に破談となったことにしてほしい」
「…………ああ……そう、ですね。わかり……畏まりました」
レティシアは、震える指で革袋を握りしめた。
(顔合わせそうそう婚約破棄したのでは、フランツさまの外聞が悪いから……)
「……それにしても、多すぎます。わたくしはもう、安宿にも粗食にも慣れております。せめて半分はお返しさせてください」
そう食い下がるレティシアに、フランツは首を振った。その眼差しは不思議と優しい。
「余った分は贅沢にでも使ってくれ。帝都の美食にでも、宝石やドレスにでも。俺には女性が喜ぶものがわからない。君が欲しいものを、自分で選んで買って欲しい」
「団長、三十七年もののバキバキですもんね」
「リッケルト」
今度はフランツが咳払いをする番だった。
レティシアは彼らの会話の意味がわからず三度きょとん。後ろのニーナは「へえー?」とニヤニヤしていたが。
「……畏まりました。ありがとうございます」
革袋をニーナに預け、レティシアは深々とお辞儀した。リッケルトにも丁寧な挨拶を述べて、今夜の宿を探しに帝都へ向かおうと、ドアノブに手を掛け――フランツに手首を掴まれる。
「何か?」
「あっ。いや、気をつけて行ってくれ」
「……? はい。では、失礼致します」
と、出ていこうとしたのにまた止められる。右手を掴まれたまま、左手で開けて出ようとすればそちらの手首も掴まれる。
振り向き、見つめると悶える。
問うとそっぽを向く。
去ろうとするとやっぱりまたまた肩を掴んで止められる――
一進一退の攻防が続く中、侍女ニーナと副団長リッケルトは、ギラリと光る視線を交わした。
「恐れ入ります、団長様!」
ニーナが大きな声を上げた。
「お聞きの通り、ベルヘルム家はもはや叔父上の支配下にあり、お嬢様は肩身の狭い思いをしておいでです。家の御者は使えず、私たちふたりで参りました。しかしもう夜も更け、女だけでは不安ですわ!」
「おやぁまぁそいつぁいけねえや! 困った困ったどうしたものやら」
リッケルトは顎に手を当て思案し、両手をポンと叩いた。
「ここは腕の立つ、頼りになるボディガードが要りますね? 帝都でいちばんの腕利きと言えば『鋼鉄の剣帝』と名高いフランツ・フォン・アーデルハイド。ということで団長、お二人を宿まで送って差し上げてはいかがでしょう?」
「えっ?」
「あら素敵なご提案! でもどうせなら、フランツ様のご自宅にお邪魔できませんか? あっもちろん侍女の私は納屋でも馬小屋でも。レティシアお嬢様だけ、フランツ様のお部屋に入れていただければ……」
「な、なにを言ってるのニーナ!?」
「それはだめだ!」
レティシアに続き、やはりフランツも絶叫した。
「いきなりお泊まりだなんてそんな、そういうことは段階を踏んで……お互い距離感を測りつつデートを重ねていずれは結婚、せめて正式に婚約をしてからだろうがっ!」
「はい?」
「まだ文通友達にもなってないのに!」
「もしもし、フランツ様」
「いやそもそも俺と彼女は十七も年が離れ――」
と、口上の途中でだんだん我に返ってきたらしい。騎士団長は、特に意味も無く窓辺に向かった。何も無い夜空を見つめて、理性的な声で言う。
「……未婚の娘が、独身男の家に寝泊まりしたなどと噂が立っては次の縁談に差し支えるだろう。宿までは騎士がお送りする」
「別に誰も公言しませんよ」
「だめなものはだめだ。……レティシア嬢にとって俺は見ず知らずの中年男。それも野蛮な戦人間……あの成金爺と変わるまい――」
えっ、とレティシアは声を漏らした。
「フランツ様、わたくしの縁談をご存じでしたの?」
「あ」
彼は小さく声を漏らした。
さすがにレティシアも、そろそろ違和感に耐えかねていた。
フランツの態度に苛立ちもあった。そう、レティシアだって気分上々というわけではないのだ。
求婚は驚きながらも、嬉しかった。三日間夢心地で過ごした。突然フラれてショックだった。レティシア嬢と結婚したい――あの文言は嘘だったのか。顔合わせで撤回したのはなぜだ。何が悪かったのだ。わたくしの顔はそんなに醜いか――本当なら問い詰めたい心持ちだった。
だけどそうしなかったのは、レティシアが淑女だからではない。怖かったからだ。
フランツに、おまえは醜い、他に好きな女が出来たと言われることが怖かった。恐れは強い怒りに変わった。レティシアは奥歯を噛みしめた。
「フランツ様。わたくしに何か、お話ししたいことがあるならば、どうぞ仰ってください」
「いや……別に何も……」
「無いならさっさと追いだしてくださいまし。なぜ何度もお引き留めなさるの? わたくしへの憐情ですか。ならばかえって残酷ですわ。優しくなど、しないで、夢を……見させないで! わ、わたくしのっ、ことが嫌いだと……はっきり仰ってくださいませ!」
話しているうちに喉が震え、言葉が途切れる。それでも堪えた代償か、言い切ると同時に、大粒の涙がぼろりと零れた。
堰を切ったように泣き出すレティシアを、慌てて駆け寄り慰めようとした侍女から、フランツの手が奪い取った。
胸の中に抱き寄せて叫ぶ。
「好きだ!!」
これまでで一番、大きな声だった。
「…………ほえ?」
そのとき、ドンドンドンッ! と激しく扉がノックされた。リッケルトが「取り込み中だぞ!」と怒鳴ったが、構わず扉が開かれる。
「失礼致します団長! 超特急で出されていた調べの結果が出ました!」
騎士団とは違う制服、国税の調査員だ。
「ベルヘルム家の借金など、存在しません! 国の賃借記録に、ベルヘルム子爵の名はありませんでした」
「――えっ?」
ベルヘルム家?
というと、もちろんレティシアの家だ。両親の事故死後、多額の借金が見つかって没落した。
……そう言ったのは叔父夫婦だった。世間知らずなレティシアに、領主には納税の義務があること、それを両親は滞らせて、国に多額の借金があることを教えてくれた。
「子爵領は確かに近年、納税額が落ち込んではおりましたが、領民ともども慎ましく暮らしていたためです。税は一切の滞りなく納められております」
……娘一人、それでも頑張って政をしようと決起したレティシアに、たくさんの書類を積み上げたのも叔父だった。これはすべて借用書で、贅沢とギャンブルによるものだと言った。どうしていいかわからなくなった。
「借金まみれなのは子爵の弟にあたる者です。先月、その名義をベルヘルムの子女レティシア・ベルヘルムに書き換える申請書が出されていました」
――儂に任せろ、儂は事業をやってちょっとした財産がある、おまえの両親と違いちゃんとした領地経営ができる――
――おまえは今日から儂の娘だよ。これからは実父のように思いなさい――
(……叔父様が……なんですって?)
「フランツ団長の睨んだとおりです。受理される直前で差し止めて参りました」
「よし、よくやった」
ぼんやりしているレティシアの前を、フランツの長い腕が横切る。
調査員が差し出した書類にざっと目を通しながら、厳しい声で、独り言のように呟く。
「……レティシア嬢の後見人、叔父上たちは嘘をついていた。自分の事業が失敗し、首が回らなくなったところに兄夫婦が事故に遭い、どさくさ紛れにまんまと家を乗っ取った」
「ほ、ほんとうに?」
問うレティシアに、フランツは書類を手渡してくれた。聞き覚えのある金額、叔父の名が借主の欄に書かれていた。数枚先にはそれをレティシアに押しつける申請書。
「小さな地方領ではたびたびあることでな。国もそれなりに警戒しているが、嫡子と連絡がつかないと、調査が頓挫してしまうんだ。お前の親のせいでウチまで借金取りが来て良い迷惑だ、などと言いくるめられ、監禁されたり追い出されたり、時には殺されていたり」
「外国の金持ちの非公式な側室になってたり、ですね?」
ニーナが言うと、リッケルトがクスクス笑って頷いた。
「そういうこと。実際けっこう厄介なんだよ。今回スピード解決できたのは、団長の機転のおかげだからねえ」
フランツは眉をひそめた。
「俺はただ、あのベルヘルム子爵が散財などするはずないと知っていたからだ」
「そんな……まさか……叔父上が……」
レティシアは、愚かではない。
ただ呑み込みきるまでに時間が必要だった。信じていたものが突然すべてひっくり返ったのだ。頭も胸もぐちゃぐちゃだった。
「……わたくしは…………」
それをフランツは黙って、ただ穏やかに待っていてくれた。
ゆっくりと、たくさんの時間だけが流れ――レティシアはやっと、まっすぐに顔を上げた。
「フランツ様……あなたはもとより、ベルヘルム家とは旧知の間柄だったのですか? 父の人となりをよくご存じのようですが」
「ああ」
彼は深く頷いた。
「十五年も昔だ。遠征からの帰り道、傷ついた騎士団を領地に迎え入れて下さった。特に傷が深かった俺は、屋敷で療養をさせていただいた」
「……そんな……小さな親切を、何年もずっと忘れずに……?」
「もちろんだ、忘れられるはずがない」
フランツは頬を掻いた。
「あの時は本当によくしていただいた。……君とも一応、何度か話したり……いやたしかにたった数日だし、君はまだ幼かったので覚えていないだろうが。君からすれば当時でももうオジサンだろうし。今なんかもう見ての通りだし」
レティシアは溜め息をついた。
「それであなたは、わたくしを助けて下さったのね。……あなたの強引な求婚が無ければ、わたくしは明日にでも異国に輿入れをする予定でした」
「すまない、まだ証拠を固められておらず、叔父上を拘束することが出来なかった。ひとまずは君の身柄を保護したかったんだ」
「それで、あの家はやはり、わたくしのものなのですね。わたくしは両親以外に何も失っておらず、そして領主の娘として、守るべきものがあるのですね」
「……ああ。そうだよ」
「わかりました」
レティシアは立ち上がった。
「大変お世話になり、ありがとうございました。このご恩は近いうちに必ず。そのためにも、わたくしは今すぐ領地に帰ります。わたくしはベルヘルム家の新当主として、勉強をしなくてはいけません」
「お嬢様、素敵っ! ニーナは一生お嬢様に付いていきますよっ!」
歓声を上げるニーナに苦笑いしつつ、リッケルトが書類をペラペラ振った。
「まあお待ちなよお嬢さん、この調査書を正式にお国に引き渡して、叔父さんをしょっぴくのが先。それで後見人って立場から引きずり下ろさないと」
「ああ、そうですね。ではそちらはお任せ致します」
「うんうん。領地経営の勉強なら、団長の家の図書室でも出来るし――」
ぶはっ、とフランツが盛大に吹き出した。
「何を言うんだリッケルト! 言っただろう、俺の家に泊めるのは無理だと!」
「そんなに意識しすぎてるほうがヤラシイですって。ていうかひとつ屋根の下っていっても団長の屋敷、めちゃめちゃ部屋数あるじゃないっすか。使用人がいて、二人きりでもないし」
「もちろんニーナも付いていきますし」
「ですよねー、僕も行こうかな」
「だめだと言ったらだめなんだーっ!」
頭を抱えてごねる騎士団長。
「そんな近くにレティシアがいたら、すれ違いざまに抱きしめてしまうだろうがっ!!」
ここまでくると、レティシアはやはりこの男の真意が気になってきた。一度は気にしないと決めたものの、やはり気になる。
「あのう、フランツ様。先ほどからあなたは一体何を言っているのですか?」
「そ、それはそれはだな…だから……。…………。」
「……。送っていってくださる? 街の宿まで」
と、言い終えるより早くフランツに手首を掴まれる。レティシアの手を戦士の握力で握りしめ、フランツは縋っていた。
膠着状態に、とうとう口を出したのは副騎士団長、リッケルトだった。
「えー、もういい加減みなさまお察しの通り、団長はレティシア様にメロメロ惚れ込んでおられます。手を離さないのは離しがたいからで、手が出せないのは、自分がオジサンだからです」
「リッ……! ……ヶ」
「くだんの十五年前、療養中の団長は、当時五歳のあなたにフニャフニャに癒やされたそうです。上官の名誉のため申し上げますと幼児性愛者ではありません。しかし団長は、あなたに強い恩義を感じ、匿名でたびたび贈り物を届けておりました」
「贈り物……というと、まさかあの――七歳の誕生日の、くまさんのぬいぐるみ……!」
「八歳のねこさんも九歳のうさぎさんも団長です。十歳のパステルも、十一歳の絵本も団長です」
「十二歳のときの紐パンも!」
「それは奥方様ですぅ。お嬢様ったらいつまでもぱんつまるだしで遊びまくるオテンバだから、お年頃ですよとお叱りで贈られました」
「十二の時はピンクのオカリナだ」
フランツがボソリと言った。
……オカリナ……ぬいぐるみ、絵本。フランツの挙げたものはすべて記憶していた。そして以降もたびたび似たような、レティシアの年齢にそぐわぬ子供向けのオモチャやお菓子が届いていた。送り主の中ではきっと、時間がゆっくり流れているのだろう。そう考え、気にしていなかった。
ただ、このプレゼントの送り主は可愛らしいひとだとだけ、ふんわり考えていた。
申し訳ない、とフランツは頭を下げた。
「俺の中で、いつまでも君は幼い子どもだった。ずっと戦場にいて、婦女子との交流がなく、『女は成長する』という感覚が無かった。……いつまでもいつまでも、小さな手で俺を撫で、いたいのいたいのとんでいけ、と呼びかけてくれる、優しい少女のままだった」
そんな謎の贈り物も、十八の時に無くなった。代わりに婦人向けになったわけではなく、ただピタリと届かなくなったのだ。
「……送り主に恋人か、自分の子どもが出来たのかと思いました」
フランツは首を振った。
「二年前、君の誕生日。ちょうど俺は騎士団長に就任した。やっと戦場を離れ、とびきり大きなぬいぐるみを持って、ベルヘルム卿を――レティシアを訪ねた。再会したらすぐに抱き上げて、『たかいたかい』してやるつもりだった。……だが――」
言葉を無くすフランツ。続きは言わずともわかった。
十八歳、十三年ぶりに見たレティシアは、かつてのオテンバな少女とはまるで別人だった。
大人の女性だった。そしてフランツの年より半分ほどの、うら若き乙女であった。
屋敷の前庭にいたレティシア。コルセットでシルエットを整えたドレスを汚さぬよう、白い腕を伸ばし、ほっそりとした指で花を摘み、香りを楽しみ、屋敷へ持ち帰る。
フランツは自身の手を見下ろした。三十五年――剣を振り続けた中年男の、無骨な太い指。
父親のように抱き上げることは出来ない。だが男として抱きしめることも叶わない。
フランツは痛む心臓を抑え、無言でその場を立ち去った。
「……恥を知れと、罵ってくれ」
フランツはそう言った。
「俺はこの十五年、体ばかり老けた男だ。頭の中が二十二歳で止まっている。君の成長に驚いたのと同時に、君のことがどうしても頭から離れない。期待をしてしまうんだ、親子ほど年の離れた君に、自分はまだ見合う男だと――馬鹿馬鹿しいっ! ああくそ馬鹿――」
「……あのう……フランツ様」
「名前を呼ばないでくれ、キュン死する!」
「えっ!? はいごめんなさい!」
慌てて口を塞ぐ。侍女と副騎士団長は、肩をすくめた。
フランツに言われたとおり黙りはしたが、頭の中がぐるぐるしていた。
(ええと…つまり、フランツ様はわたくしのことが……?)
(でもあの求婚はわたくしを救い出すためで……だから婚約破棄を言われたわけで)
(……え、でもそれってわたくしのため?)
(それなら……婚約破棄、しなくてもいいのでは?)
「それだったら婚約破棄しなくてもよかったのでは?」
ニーナが言った。考えていたことをそのまま言われて、体が強張るレティシア。
「なんか勝手に誤解されてるようですけども。お嬢様、フランツ様の求婚を喜んでおられましたよ?」
「ちょっ……!?」
「ん? それはだから、異国の成金助平爺よりはまだマシという……」
「いえいえそうじゃなくて。フランツ様のお名前を聞くなり歓声をあげて、『あのひとが!? ひゃっほう!』と飛び跳ねておいででした。同封されていた肖像画に、『ひぁあああ激シブ、超かっこいい』『喉仏ゴリゴリでセクシー』『胸板に戦馬車乗せとんのかい!』とか、『眉間の皺がラブリーキュート!』とか」
「ぎゃああニーナやめて!!」
レティシアはニーナに突撃した。力尽くで侍女の口を塞いだが、侍女もまた負けてない。取っ組み合いになって、お互いを黙らせようと頬をつかみ合う。
その様子に、フランツは天を仰いで溜め息をついた。
「タメ口じゃじゃうまモードのワイルドレティシア、とうとい……!」
「そうかと思えば『なぜ? まさか十五年も前のことを覚えているわけがないし、あのひとにとってわたくしはコドモでしかないでしょうに』とか、『そうよきっとなにかの間違いよ期待しちゃダメよレティ、メッ!』とか、ずっと独りゴトでうるさくてー」
「あーあーあーあーーーっ!」
ぽかん、としていたのはリッケルトである。三人の大騒ぎが少し落ち着くのを待ってから、辛抱強い声で訪ねた。
「もしかしてレティシア様も、団長のことを覚えておられたので?」
「うっ!」
思わず呻き声を上げ、黙り込む。それでも恥を忍んで、レティシアはおずおずと進言した。
「…………はい。覚えてました。……五歳のとき、うちに数日滞在したワイルドイケメ――素敵な騎士様のことを」
「え」
「……ケガの治療に弱音を吐かず、部下のことを思いやる、強くて優しいお兄さん。コドモの遊びに根気よく付き合ってくれて……」
「花瓶の水をぶっかけた見習いメイドにも、笑ってタオルを差し出してくれる優しいひとでしたねー」
侍女のニーナも続けた。
「あのプレゼントが誰からのものかは、分かりませんでしたけど。……もし、フランツ様だったらいいなって。
……帝国騎士団の活躍を聞くたび、フランツ様の勇姿とご無事を祈っておりました。風の噂に、あなたが未だに未婚だと聞いて……もしかしたら……もしかしたら。
わたくしが大人になるのを待ってくれているのでは、なんて。は、恥ずかしい妄想を……誕生日のたび、一日中、庭先で……あなたが迎えにきてくれるのを……待って……」
「……………………ヒュッ。」
妙な音に顔を上げる。と、フランツが脱力していた。
白目を剥いている。
「フランツ様?」
レティシアが声をかけた途端、フランツの大きな体は真横に倒れ、そのまま床に転がった。
「フランツ様!? フランツ様!! きゃああああぁぁあぁあっ!?」
「うぉわやべえっ失神してるっ! 団長! しっかりしてください団長ーっ!」
「ニーナおみずぶっかけます! リッケルトさんは医者を! レティシアお嬢様は、人工呼吸をお願いします!」
「そんなの、今度はわたくしが死んでしまいますわ!!」
――かくして。
これ以上なくハイテンションに、フルスロットルで始まったふたりの仲は……。
遠く離れた住処にいながら文を交わし、つなぐ手の指を一本ずつ増やし。
救急医療班抜きでふたりきり過ごせるようになったのは、このあとまだ何年も先の話。
お読みいただきありがとうございました。
忌憚の無い感想、評価をお待ちしております。