第4話:幼なじみと、◯◯になった俺。
そこからのことは、なんだか時間ごとに切り取られて流れていったみたいで、あまりよく覚えていない。
愕然としたまま知らせを受け取って、ぼうっとしたまま家を出た。
するといきなり、「おめでとう」の嵐だった。
町中の人たちが、俺を歓迎し始めた。
石畳の建物のあらゆる窓からみんなが顔を出して、道を行く俺に花びらを浴びせてくる。そして道端ではみんなが踊っていて、音楽が流れていた。普段は飲んだくれてばかりの爺さんたちが、年代物の楽器を打ち鳴らしていて、にぎやかに彩っていた。一歩進むたびに沢山の人達が群がってきて、俺に盛んに声をかけてくる。
大半は男たちで、みんなすでに出来上がっているらしく、息が酒臭かった。
みんな、自分のことのように俺を喜び、俺の肩を抱いてきた。
「すげえなぁお前!!」
「この町の誇りだぁ」
「いよっ、勇者リンクスっ!!」
俺はどんどん花びらや酒の息にまみれ、もみくちゃにされていく。その中には、仕事場の兄弟子たちもいた。
「いやぁ~~~~、やると思ってたんだよ、俺はな!」
「良い弟子を持ったもんだ、誇らしいぜ、リンクス!!」
彼らもみんな酒に酔っていた。でも、その中に、親父の姿はなかった。
「と、父さんはどこなんスか」
聞くと、兄弟子の一人は苦笑して答える。
「ああ。親方なら……酒場だ」
「酒場? なんでまた」
「そっとしておいてやれ。息子の門出だ、思うところがあるんだろうよ」
そういうものか、と思った。
親父には、お礼やら詫びやら、言わなくちゃならないことがたくさんあると思う。それをちゃんと告げなきゃならないと思った。そして、同じだけのことを、母さんにも。
すっかりお祭り状態になっている俺と、その周りの人達。
その後ろから、声がかかった。
「りーくん」
――振り返ると、エイダが居た。
「……エイダ」
こころなしか、みんな、俺とエイダのために、ちょっとスペースをあけた気がした。
エイダはステップを踏むようにして、腕を後ろにしたまま、ちょっとずつこちらに歩いてきて、それから、俺の一歩手前で立ち止まって、ほんの少しだけ上目遣いの状態で、言葉を切るようにして、言った。
「おめでとう。夢、叶えたね」
一瞬、なんと返せばいいのか分からなかった。でも、エイダの言葉には答えるべきだと思った。
「ああ。まだ全然、実感わかねぇけど」
「凄いよ。本当に」
エイダはうつむく。そして、その声が震えだす。
ああー、これは……。
「だから、その……もし、旅に出ても、あたしのことを思い出したら、その……」
顔を覆って、全身がぶるぶるする。俺の目の前で。
あわてて周りを見ると、みんなが「あーーーー」みたいな、生温かい視線を俺に、俺達に送っている……勘弁してくれ!
俺は急いでエイダに駆け寄り、しっかりその顔を覗き込むようにして、言った。
「ああ。手紙を書く、絶対に。だからお前は、家族を大事にしてくれ。それから……夢も、絶対に諦めるな」
そこまで言って顔を上げると……エイダが涙を頬に垂らしたまま、呆けたような表情をしていて、その次に……その顔が、ぼっ、と。赤くなった。
――自分がどういうことを言ってしまったのか、一瞬おそく、気付く。
……ぼっ。
俺も。顔が、真っ赤になる。
途端に、まわりのみんなが、まるで祭の最高潮みたいに、めちゃくちゃにはやし立てはじめた。花吹雪が舞って、楽器隊の音がさらに大きくなった。俺とエイダのところにみんなが群がってきて、くっちゃくちゃにしはじめた。
「ひゅーーーーー!!」
「妬けちゃうねぇ!!」
「ナイス青春」
「やっぱお前らはそうでなくっちゃなぁ!!」
「ちょっとみんな、やめてくれ」
だけど……俺はまんざらではなかった。
みんなが本気で俺のことを祝福してくれているのは、とうに分かっていた。
だから俺は言った。
「でも、ありがとう。俺の夢を否定しなかったみんなのおかげで、ここまでこれた。俺、頑張るから、だからッッ……」
――なんてこった。
そこで俺も、涙をこぼし始めたのだった。
そこを逃すみんなではなくって、更にこちらを強く撫で回したり、抱きしめたりし始めたのだった。
しばらくして。もはや何も始まらない段階からクタクタになりそうだった俺と、あいも変わらずへにゃへにゃの笑顔を浮かべたエイダと、顔を真っ赤にした大人たちの後ろから。
神父様たちがやってきた。弟子と、王都の衛兵を何人か連れていた。
必然的に、みんなちょっと静かになって背筋を伸ばした。
しかし、別に神父様はみんなの大騒ぎを咎めることはなく、こちらに向かってそろそろ歩いてくると、立ち止まって言った。
「時間だ。行くぞ、リンクス。儀式の場へ」
「あ、ええと……はい」
あまりにもそっけない言葉であるように聞こえた。俺はそこで空気を読まず、この間の神父様の態度はなんだったのかと聞こうと思った。
その前に彼は、次の言葉を口にした。
「それと……エイダ。君もだ」
「えっ……?」
神父様が一緒についてくるように指名したのは、俺の隣に居る幼馴染――エイダだった。
俺たちは狂熱が冷めたなかで、互いに困惑したように顔を見合わせた。
◇
儀式の場は、エイダが竪琴の練習に使っていたあの丘だそうだ。
俺たちはそこに続く山道を登っていく。先頭を神父様、俺たちを真ん中にして、前後を衛兵たちが固めている。
俺は道中、神父様に聞いた。
「あの。どうしてエイダまで一緒じゃなきゃ駄目なんスか」
「勇者の完成には、彼と心を通わせ、支え合う乙女が必要なのだ」
「乙女って、そんな……」
エイダと顔を合わせる。
……乙女か。
その単語とエイダを一緒に考える。
また顔がぼっと赤くなり、二人で顔を背ける。
神父様は呆れたように言う。
「お前たち、毎回それやるのか。いい加減にせんか」
「で、でも神父様。前の勇者には、『乙女』なんて誰も――」
「着いたぞ」
視界が、ひらける。
そこに居たのは。
そう、ドラゴンでした。
みんなも分かると思う。赤いごつごつした肌に、翼が生えて、がっしりしてトゲトゲした手足が地面にしっかり食い込んで、おそろしい裂けた口の奥からは唸り声が響いている、まさにそいつだ。
そいつが……鎖にしばられて、開けた丘にいた。
「……」
俺とエイダは真顔のまま顔を見合わせて。
「「ぎゃあああああーーーーーーーーーーーーー!!」」
絶叫。
そりゃそうだ。
ドラゴンはぐるぐる巻きで動けなくされており、その周囲を鎖をつなぐ杭で囲まれているが、苦しげに盛んに身動ぎしており、そのたび地面が少し揺れる。そして紅蓮の色をした目が憎々しげに引き絞られると、喉の奥から獰猛な声が聞こえてくる。
「し、ししししし神父様……こいつ、まじもんのドラゴンじゃないスか――」
「王都の兵士たちが今回のために捕まえてきたものだ。ワイバーンの中でもかなり小型の部類だぞ」
「いやそういう問題じゃねぇよ! こいつをどうするっていうんスか!?」
「倒してみろ」
「無理だろ!!」
思わずツッコミを入れる。
ドラゴンは更に怒り狂ったように咆哮してみせる。ビリビリと周囲の草花が震えて、振動がこちらにまで伝わってくる……!
「剣を使う」
「はぁ!? 剣なんかどこにも――」
その時だった。
控えていた衛兵たちが、俺の傍にいたエイダを突如として、羽交い締めにし始めた。
「きゃっ!?」
「おい、何してんだ――」
ひとりが、エイダの首にネックレスのようなものをかけた。そこには赤い宝石のようなものがはめ込まれている。それは不思議な、どう形容して良いのか分からない輝きを秘めていて、俺はひと目見た時、その色を――そう、その色を『血』の色であるように感じて。ただごとではない何かを、明確に感じ取った。
ポケットから、オリーブがこぼれ落ちて。
――エイダの宝石が、更に輝きをまして、周囲に放出され始める。
ドラゴンがさらに蠢き、こちらに殺意のまなざしを向けてくる。
地響きのなかで、神父様は俺に、また言った。
「……剣ならある」
「何を――」
「彼女が、剣だ。勇者に仕える乙女という名の剣が」
「……――!!」
はじめ、その言葉の意味がわからずに。
……いつの間にか、丘には、町の人達も集まってきていることにも気付かずに。
俺の足元で、オリーブがくしゃっと潰れて。
宝石が、血の色の石が、まばゆい光を放って、エイダを包み込み始めた。
変化はそこで起きた。俺には、その時を止める手段を持ち得なかった。
「きゃっ……なになになになに!?」
――光がエイダの体に触れると、その先端から、『変貌』が始まった。
その指先から腕にかけてが、明確に『違うもの』になりはじめたのだった。
いうなればそれは、皮膚がめくれて、別のものに置き換わっていくような。肌色が折りたたまれていき、その真下からは、銀色の無機質な部位が見え始める。そして、その境目からは、血が噴き出し始めた。
そう――血だ。エイダの血。
「いっ、痛いッ……ああ、ああああああッ!!」
エイダは苦痛に身を捩り、激しく泣き叫び始める。だが衛兵たちが左右でがっちりを彼女を抑え込んでいるため、その『変化』から逃れることができない。
両腕が『金属』に変化していく……エイダじゃないなにかに。
光が目をくらませて、エイダの方に進む足を鈍くさせる。
その中で、あらん限りの大声で俺は問うた。
「どういうことだ、神父様。一体何が起きてる! エイダに、何をしたッ!!」
彼は。顔を背けている。
そして。その周囲の、大人たちも。
光にやられないため、というだけではなさそうだった。
ぞっとする。
なにか……知らない間に、みんなが、違う何かになってしまっているかのような。
あるいは、自分が全く知らない奴らと今まで過ごしてきたことに、今更ながら気付いたような、そんな感覚。
「勇者の資質を示した者には『伴侶』が必要だ。その旅を支える」
「んなことは聞いちゃいない! エイダに何が起きてるのかって話だッ!!」
「その『伴侶』は、剣となって……勇者を支えるのだ。身も心も、尽くして」
そこで神父様は、顔を背けた。
……今何といった?
身も心も尽くして、だと?
剣となる……?
まさか。
「あ、ああああああああっ……!!」
エイダの身体。足もまた、金属になりはじめている。いつも母親が綺麗にしてくれていると聞いたその服も何もかも巻き込んで、無機質な金属の塊に成り果て始めている。やがてそれは全身を覆うことになるのか。泣き叫び、必死に助けを求めている。
俺はエイダのもとへ行こうとした。
だが、そんな俺もまた、衛兵にがっちりと掴まれて、それ以上先に進めなくさせられる。
「ふざけんな、ふざけんなッ。エイダを離せ、離せぇーーーーッ!!」
「仕方ないのだ、リンクス。勇者の旅には、犠牲となり、その心の礎となる存在が必要なのだ……それに選ばれたのがエイダ。彼女こそが剣となり、お前を支えるであろう」
「ふざけんじゃねぇッ! 犠牲ってなんだ、礎ってなんだ! そんなのあの人は、一言も言わなかったッ!!」
「言えるわけがないだろう。それで前の勇者は……真実を封じ込め、残りの人生を、ひとりで過ごすことを決めたのだ。伴侶となった剣と一緒に」
……灰になる。
俺の思い出が。その中で笑っていたあの人も、その裏でどれだけ苦しんでいたのだろうか。そして、その傍らに佇んでいた剣に、どれほどの思いがあったのか。
あの人は、穏やかに過ごすために一人になったんじゃない。
つかれきって、傷ついて傷ついて、それで、自分以外誰も傷つかないように……一人で死んでいくことを選んだんだ。
「ッ。そんなのどっちも、エイダにはならせねぇ、それともなんだ、まさか――まさかあんたら、知ってたのかッ!!」
絶望的な叫びとともに、俺はみんなの側を見た。
みんなは目を背けていた。何人かは、明確に『自分は知らなかった』と主張しているようだったが、あとのみんなは……後ろめたさからこちらを向いていないことが、明白だった。
心のなかに、絶望と、これまでのものが崩れ去っていく気持ちと、そして、途方も無い怒りが湧き上がってくる。
その一方。ドラゴンの動きがさらに激しくなり、打ち込んでいた杭が緩んでいくのが見える。鎖が、外れかかっている。
兵士たちの会話がかたわらから聞こえてくる。
「おい、なんでもっとしっかり縛らなかった!!」
「それが。あの野郎の処罰に人員を割いていて、若いやつにやらせたんで――」
「くそッ、ルシルめ、『勇者のなりそこない』がッ!!」
なんと言った。
いま、思いがけない言葉を聞いた。
その反応を待っていたかのごとく、神父様は答える。
「あやつは、これを知っていた。ゆえに候補に選ばれながらも拒否し、脱走した……あの毒物を使えたのも、やつが勇者としての資質を備え、薬学の知識を身に着けていたからだ」
「くそっ、なんだよ、なんだよそれ!!」
涙が出てくる。
悔しい。悔しい悔しい悔しい。
なんだよ、なんだよそれ。
ぜんぶ、全部……。
「ぜんぶ、仕組まれてたってことじゃねぇかッッ!!」
町での、ルシルの様子を思い出す。
――全部うそっぱちだ。その言葉の意味が、今なら分かる。
その通りだ。
ぜんぶ、ぜんぶ裏切られた。
いま、この瞬間にすべて。
「まずい、まずいぞッ!!」
「鎖が外れますッ!!」
「逃げろ、みんな逃げろーーッ!!」
……その瞬間、すべてのいましめを引きちぎって、ドラゴンが翼を広げ、おぞましい咆哮を空に向かって上げた。
尻尾が振るわれて、丘が激震する。
地面がひび割れて、エイダが竪琴を置いていた切り株も引き裂かれて。
みんなの悲鳴が、逃げていくさまが、俺のすぐ近くに。
「あああああああああっ、痛い、痛いっ……!!」
「さぁ、『剣』を取れ、奴は町へ向かうぞ! そうなれば、お前はみんなを――」
「ふざけんなぁッ!! 全部うそだ、うそだったんだ、みんなってなんだ! 俺たちをもてあそんで、その挙げ句に守れだと!? ふざけんな俺の…………俺の夢を、返せぇッ!!」
「……りーくん」
その時。
声。
……不思議なほどおだやかな。
いま、苦痛の只中にあるとは思えないほどの声で。
エイダが、俺を見た。
『金属』が、その首筋にまで迫っていたのに。
あいつは泣き腫らした目で、必死に頑張って頑張って笑顔を作って。俺の方をむいて、言ったんだ。
「いいよ、りーくん……あたしを、つかって。それで、あのドラゴンをたおせば。みんなを、守れる。あたし、平気だよ……りーくんの夢の一部が、かなうなら」
「……ッ!!」
その時。
俺の中に入り込んできたのは、記憶。
夕暮れの時間、エイダは俺に夢を語ったんだ。
ふだん、自分の主張を誰かに伝えるなんて、まるでしてこなかったあいつが。
……だから俺も、諦めないと決めたんだ。
――俺が勇者になりたいと思ったのは。
俺が、みんなを守れるようになりたいと思ったのは。
もしかしたら、あの人に出会う、もっと前から――。
「……エイダ」
呟いた次の瞬間には、俺は動いていた。
「ッ……ぬああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~ッッ!!」
馬鹿力だった。これまでのすべてで培ってきた自分の筋肉を全部放出するような気持ちで、俺は自分を押さえつける兵士を……。
「な、なんだこいつ、どこにこんな、」
「こっちは鎧をつけてんだぞ、」
めりめり、めりめり。
「どりゃあああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
……後方へ、投げ飛ばした!!
ぐへっという言葉を聞くと同時に、俺は前方へ、衝動のままに駆け出した。待て、という短い神父様の言葉があったが、無視をして。エイダのもとに、最短で最速で駆け出して。いつも俺の傍に居た、大切な存在に手を伸ばして。
動揺する二人の衛兵をかき分けて、その中心にある、血の色の宝石をひっつかみ……光の中で、ネックレスごと、強引に、引き、千切り……!!
ドラゴンは大きく口を開いて空気を吸い込んで。
炎を、俺達に向けて一気に放射した。
次の瞬間。
視界のすべてが、紅蓮の色に、染まった。
◇
炎は、俺たちのすぐ前の草花のことごとくを焼き払った。
だけど、幸いにして、誰も黒焦げにならなかった、ようだった。
手前でせき止められて、左右に広がって消えたのだ。
あとは、焼けた大地と、パチパチ音を立てる火の粉だけがあった。
大人たちはみんな、自分たちの後ろ側に下がっていた。
ドラゴンは口を閉じて、ぐるると唸っている。だが……首を傾げているようにも見える。
俺のうしろには、神父様。衛兵たち。それから。
「生きてる……?」
エイダだ。
身体を見てみると、そこにもうあの這い登ってくる金属はない。おまけに血も流れていない。宝石もない。今はただ、地面に座り込んで、呆けたような顔をしている。
俺の心の中が、一気に安堵に包まれる。ドラゴンが目の前にいるというのにのんきなものだ。だけど、俺のおそれていた最悪な事態からは逃げられた。
「ああ、ああああ……」
それにしても神父様たちは、何やら前方を、いや、俺の方を見て青ざめている。一体どうしたんだろう。そう思ってエイダをもう一度見ると。
呆けているというか、びっくりするぐらい、ぽかんという顔をしている。
そしてよく見ると、後ろの大人たちみんなもそうだし、言ってしまえば、前にいるドラゴンも、なんだか首を傾げているように見えて。
俺はなんだか妙な疎外感を覚えて、とりあえず、間をもたせるために、エイダに言った。
『ああ、無事で良かった。怪我はないか』
……。
言ってから、違和感に気づく。
あれ? 俺の声――なんか、変じゃないか……?
「り、りり、りー……」
それからまた気付く。
なんか、俺の身体が、俺の身体じゃないように思えて。
「りーくん、そこから……話してるの……?」
『何言ってんだ、俺はここに居るぞ――』
「あああああああ、なんてことだ……お前が、まさかお前が、そうなるとは……」
『え……?』
「ぐるるるる……」
もう一度、俺は自分の体を見た。
見ようとした。しかし、無理だったことに気付いた。
同時に、自分の姿を知った。
俺は。剣になって、地面に突き刺さっていた。勇者の剣に。