第3話:幼なじみと俺とハプニング
朝。まさにちょうど仕事場に出かけようとした時、俺は町の通りがざわついているのに気付いた。エイダも一緒になったので、二人して、みんなの群がっている場所に向かった。
「おっちゃん。一体何があったんだ」
「ああ、リンクス……えらいことだ」
「きゃああああ、助けてぇーーーーっ!」
「ぴーぴー騒ぐんじゃねぇ、くそが、俺以外全員最低だッ!!」
人だかりの中心はぽっかり空いていて、そこには一人の男が居た。
そいつは女の人を羽交い締めにした状態で、首筋にナイフを突き立てていた。
……見ればすぐに分かる。人質だ。そしてこいつは、何かを訴えている。ろくでもない何かを。
散らばった買い物かご、青ざめていく女性の顔。それが男のいらだちを更に加速させるらしく、無精髭と薄い髪に覆われた顔に、更に青筋が浮かんでいき、呼吸が荒くなる。
「畜生、どいつもこいつも俺を見下しやがってッ……」
誰も近づけない。単にナイフを掲げているだけなら、男たちが数人がかりで飛び込めば済む話かもしれない。けど、厄介なことに、そいつの腹回りには……妙な布袋がぐるりと仕込まれていた。
「その人を離してやるんだ!」
「うるせぇッ、少しでも近づいてみろ! この袋が俺のナイフと連動して破けて、お前たちみんなに毒薬が巻かれることになる! そうなればみんな更に最悪だぁ、はっはっは!」
「ひどいね、りーくん……」
「ああ、だけど……なんで急に、あんなことを」
「あれはルシル……かつてこの町を追放された者だ」
後ろから声。人々が振り返る。黒い衣服を着込んだ、猫背の老人。
「神父さま、わざわざ……」
「王都の定めに逆らった者だ。それに耐えきれず、戻ってきて暴挙に出た。今に見ておれ、ろくでもない要求をこちらに突きつけてくるぞ」
その言葉通りに。
「お、俺を王都まで連れて行けッ、そして奴らに頭を下げさせろ! 俺を切り捨てたことを後悔させてやるんだッ!!」
ルシルは必死に叫んでいる。女性はもはや悲鳴もか細くなっていき、力が失われていくのがわかった。
誰も手が出せず、じりじりと、焦りだけが募っていく。
「神父さま。王都の騎士たちは来ないんですか」
「ここまでは半日かかる。この僻地は彼らにとっては荒野同然だ」
「くそっ……舐めやがってっ!」
そこで、一人の屈強な腕っぷしの男が、錯乱する彼に向かって駆けていった。
「よせ、早まるなッ!!」
「バカがぁッ!!」
ルシルは、彼に向けて、毒袋のひとつを投げつけた。
それは突き破られて、その男に覆いかぶさった。
毒々しい緑の粉が彼の顔にかかり……まもなく、もんどり打って倒れる。
「がはっ……があああああああッ!!」
顔をかきむしって手足をバタバタと痙攣させる。その鼻と耳からは、血が流れ始めた。
「すぐに運べ、応急措置だっ!」
人々が彼を運んでいき、去っていく。あとには、無力感に打ちひしがれる人々だけが残り、ルシルはますます、孤軍で周囲に威圧を続ける。
「いい加減にしないか、ルシル!」
神父さまの言葉。だが、それも虚しく響くだけだ。聞く耳を持たない者に、説教など何の意味もない。
「全部この町のせいだ! 勇者が居なくなったせいで、ろくに稼ぐこともできず人も寄ってこない、農地は荒れ放題! こんなところに居続けたって、何も変わらないッ、それもこれも、俺を見捨てたせいだ……俺さえ使っていればこんなことにはならなかった、俺さえ――」
……そこで俺は。
我慢の限界を迎えた。
――俺さえ。
――俺さえ?
だからなんだ。あんたの事情なんか知ったことじゃない。
だけど。あんたは。ここでどれだけ苦しい思いをしていても、前を向いて生きている奴らのことを知らない。
俺の隣に居るエイダのことを、知らない。
「りー、くん……?」
「エイダ、下がってろ……」
ポケットの中で、指先がオリーブに触れて、言葉を思い出して。
その次に、拳に力がこもって。理屈抜きの怒りがこみ上げてきて。
気づけば俺は。
「おい、何をする気だ、リンクス――」
神父様や、町のみんなの制止を無視して、駆け出していた。
「待て――」
「無茶よ!」
「お前、死ぬ気かぁッ!!」
「――バカなガキが、ならてめぇも道連れだぁッ!!」
なぜって。
……それは、その時思い出していたからだ。
あの日の勇者の笑顔を。
あの人なら、この時そうすると思ったからだ。町を救ったように。
――俺は走り出す。
「よせぇっ!!」
ルシルは驚き、不安と恐慌で顔をぐちゃぐちゃにしながら、また新しい毒袋を、こちらに向けて投げつけてきた。
……アレを被れば、無事じゃ済まない。
だけど、あの人は鼻と耳から血を出していただけなんだ。だったら!
「ンンッ!!」
俺は上唇を思い切り引き上げてシワだらけの顔を作り鼻の穴を塞ぎ、同時に両指で耳の穴を塞いだ。粉が舞ったが、俺はその中を通り抜けた。人々のツッコミが聞こえてくる。
「無茶苦茶だ!!」
「や、やめろ――」
見えた。そいつの驚愕する顔。俺は更に接近して、粉の舞う地帯を抜けて。
「ふらへ(くらえ)」
腰のポーチにはいっている、仕事道具――ノミやハサミなどの金属を、まとめてルシルに向けて投げつけた。
「伏せろ!!」
同時に、人質の女性に叫ぶ。彼女はわけがわからないままにその声を聞いたらしく、大きくしゃがもうとした。ルシルはそれに引っ張られそうになるが――ひとあし、こちらが早かった!
……ぎゃっという悲鳴とともに、そいつの顔面に仕事道具がまとめてクリーンヒット。
手からナイフがこぼれ落ちて、後方にたたらを踏む。
「いまだッ!!」
俺はその機を逃さなかった。
両手をおっぴろげて、胴体ががら空きになったルシルに対して、そのままタックルをかます。女の人はそれで真横に倒れ込む。
しっかりとした振動で、俺とルシルが同時に倒れ込んでいく。
……俺はその勢いのまま、奴の腰のベルトをひっつかみ、思い切り引っ張った。一か八かだった。それで全部破ければおしまいだった。しかし迷っている暇もなく。
おそらく俺を見ているみんなは必死に「無茶だ」と叫んでいただろうし、おばさん達は気絶しそうになっていただろう。
だけど――俺は、やった。
毒袋は紐で繋がっていて、するりと腰から抜けた。
それから、完全に地面に倒れてしまう数秒前に。
「どりゃあッッ!!!!」
……思い切り、それをフルスイングして、ぶん投げた!!
毒袋は遠くへ。
そして、俺とルシルは地面へ。女の人は、助かって。
「どうだ、くそっ」
「があッ、ち、畜生」
俺はみんなを不安にさせたこんちくしょうを抑えつけたまま。
「あああああああッ、わ、わしの教会がぁ……」
どうやら、毒袋が神父様の教会に直撃したらしいことを知り。
みんながザワザワと群がってきて、女の人が旦那らしい人に抱きしめられていて。良かった、無事だったと思った時。俺の鼻から血が一筋たれて、意識が遠のいて。
その直前に、「りーくん!」という叫びとともにエイダが駆け寄ってくるのをぼんやり見ながら、
俺は……意識を……失った…………。
◇
再び意識を取り戻した時、俺は町医者の先生の部屋に寝かされていたことに気付いた。
鼻の奥がズキンと痛む。
「まったく、無茶をして。お前は本当に」
父がベッドの横に座っていて、ため息をついた。
ぼんやりする頭で、俺は状況を思い出すことに努めたのだった。
「あのままうまくいかなかったら、無事じゃすまなかった。息子さんは本当に凄いと言うか、なんというか」
「はっきり蛮勇と言ってやってくれ。じゃなきゃうちのバカは治らん」
白髪の先生に対してそう言った父は立ち上がり、尻を掻きながら去っていく。
「まぁ、無事で良かった。仕事道具は大事に使えよ」
それだけ言って、部屋から出る。
入れ替わりで、エイダが駆け込んでくる。
「りーーーーーーーーーーーーーーーくーーーーーーーーーーーんッ!!!!」
「ぐへえええッ!?」
抱きつくというか、ぶつかるというか。
「良かった、なんともなくってよかったよぉ……あたし、心配で心配で……ご飯がいつもどおりの量しか食べられなくって」
「じゃあ良いんじゃねぇか……」
「良かったよ、すごかったよう……ぐすぐす」
……まぁ、鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする幼馴染を見て、何も思わないこともなかった。
「済まねぇ。心配かけた」
「……いーよ、バカ。かっこよかったもん。それで許したげる」
なんだか、照れてしまう。
それ以上何も言えることなく、俺はやんわりエイダを引き剥がす。
すると、先生が、にこやかな顔でこちらを見て、親指を立てていた。
「……何スか」
「ナイス青春」
「いやだから何――」
「でも、君は間違いなく人を救ったんだ。確かに愚かだったかもしれないが、それで人が救われたのも事実だ。明日になれば、きみの家に、たくさんのパンと、乙女たちからの花が届くはずだよ」
その言葉と同調するように、傍らでエイダがにっこり笑った。
……むず痒くなる。顔が赤くなる。
そう言われてはじめて、自分のした行動が、あとからどのように見えるかが分かる気がした。
「いや、俺、本当に身体が動いたってだけで、全然そんなつもりじゃ……」
その時、後ろから騒ぐ声が聞こえた。
「畜生、畜生。嫌だ、処刑なんて嫌だッ!!」
それは、頭に血のしみた布を巻いたルシルだった。複数の男たちに羽交い締めにされながら、廊下から外へと連行されようとしている。
「あれは」
「君がおさえつけた勢いで頭を少々打ったが。その応急処置が済んでから、処罰が決まったわけだ。これから王都に送還される」
「そこまで……」
「死人が出ていたかもしれないんだ。遅まきながら、悪くない判断だよ」
するとルシルはこちらに気付いたらしい。俺を見て、ひどく歪んだ表情をつくった。
――それは憎悪か、それとも。分からない。だけど、裂けた口が笑っているように見えて、俺はぞっとした。
「お前、気持ちよかったろ……称賛されて嬉しかったろ」
「よさないか、ほら、行くぞッ!」
「だがそれも、お前を縛るぜ。それ無しで生きられなくなる、自由じゃなくなる……お前は自由を失って、生きられなくなるんだ……!!」
俺は何も言い返せないでいる。ただ小さく「なにを」と零しただけだ。
ルシルはその反応が嬉しかったかのように、最後の言葉をまくし立てた。
「考えても見ろ、なんでいま、勇者が居ないと思う。なんで誰も、ここを守ろうとしないと思う……何もかもが、嘘っぱちだ――」
「連行するッ! 連れてけッ!!」
ルシルは、男たちによってその場から消えた。
「……」
俺は、ルシルからぶつけられた言葉の意味を考えようとした。しかし今、それが出てきそうにはなかった。
「りーくん……」
震える声でこちらの袖を掴むエイダ。その肩を抱いてやりながらも、俺は妙な胸騒ぎを感じ取っていた。
その日の夕方には、俺も家に帰ることが出来るようになった。
どうも、生来の回復の早さと体力のおかげで、随分と軽症で済んだようだ。最初に毒を食らってしまった人は、もう少し時間がかかるとのことだった。鍛えていることがここで生きてくるとは思わなかった。
「一緒に帰ろう、りーくん。エイダさんにまかせて。なんなら、おぶっちゃうよ」
「やめとけって、ばっ、まじでやろうとするなって。腰壊すぞ……」
「ナイス青春」
「だからなんだあんたは!!」
そうして、エイダによる強制付き添いに対して二人でわーぎゃーとわめきながら帰路につこうとした時。
「……」
俺は、建物の影から俺たちを見ている神父様に視線がいった。
「……あー、神父様。教会の件。本当にすみませんでした」
頭を下げると、なぜかエイダまで一緒に下げた。
それはいいのだが、妙なのは神父様の反応だった。
彼は不気味なまでに、何も言わなかった。
一言ぐらい、自分の行動を咎める言葉があっても良いはずなのに。あるいは、まぁないだろうけど、その逆の言葉があっても良いはずなのに。
何もなかった。
彼は何かを言おうとして、やっぱりやめた、みたいに口ごもって。
「ああ、いや」
それだけ呟いて、きびすを返したのだった。
「なんだったんだ……」
「神父様も恥ずかしいんだよ。ほんとはりーくんを褒めたくて仕方がないんだよ」
「お前……本当にめでたいやつだな……」
◇
また、明くる日。
俺の人生最大の衝撃がやってきた。
朝早く俺の家にやってきたのは、四角い顔をした神父様の弟子だった。
俺とそう変わらない歳の彼は、ひどくもったいつけて、おごそかに、俺に言った。
「リンクス君――王都からの通達です。先の活躍につき、貴方は次代の『勇者』として選ばれました」