第2話:幼なじみの夢のひみつ
それでもって、仕事場に着けば自然と気持ちが切り替わる。
熱い蒸気が充満する工房だ。すでに到着していた親方――うちの親父だ――たちに混じって、身体をたっぷり使う作業を開始する。
ここでの仕事は、『王都』の騎士たちが使う武具や甲冑を作ること。とにかく大量の鉄や木材を運ばなきゃならないし、それでもって炉にはいつも炎が満ち満ちている。はっきり言って、すごく大変だ――でも俺にとっては、誇りのある仕事だ。
「ふしっ、ふしっ」
兄弟子たちは、『親方』の目を盗んで上手にサボって、効率よく給料をもらうことばかり考えて働いている。それを否定するつもりはない。でも俺はちがう。
「ふすっ、ふすっ」
俺よりもずっとベテランの職人たちが仕上げた甲冑や鎖帷子を見るたび、胸の内側が、まるで自分のことのように誇らしさでいっぱいになる。
……村を旅立った勇者も、ここの武具を使ったという話だ。なら、それに携わるのは、絶対に無駄にならない。
だけど、そんな俺の努力は、はたから見れば、絵空事を夢見てるように映るのだろう。
休憩時間、筋トレしながらメシを食ってたら案の定腹が痛くなった。
すると兄弟子たちが心配半分からかい半分でやってきて、俺に声をかけてきた。
「お前はよくやってるけどな、『気が優しくて力持ち』なら他にもたくさんいるんだぜ」
「そうだそうだ、もうちょっと気楽にやろうや、兄弟」
そこで適当に返事ができないのが、俺の悪いところだ。
「じゃあ……その中の一番になれば、選ばれるってことじゃないスか」
すると兄弟子たちは顔を見合わせて苦笑する。
「リンクスよぉ。神父のおっさんの言うことを真に受けすぎじゃねえか? あのおっさんも実際はよく分かってないって聞くぜ。お告げとやらも、果たしてあるのかどうか」
「本当になりてぇのなら、王都の連中に賄賂でも渡したほうがよっぽど……」
俺は我慢ならず、腹痛を抱えながらも立ち上がり、言った。
「それでも俺はなるんスよ。なりたいって思った、それじゃあ駄目なんスか」
言ってから、後悔した。
兄弟子たちはドン引きしている。俺も更に腹が痛くなる。
すると後ろから親方……父さんがやってきて、「いつまでバカやってんだ」と兄弟子たちをどやしつけた。
ふたりは肩をすくめながらとっとと退散する。
俺は、バツの悪い思いをしながら、親父を見る。
ごっつい手が、俺の肩を叩く。それから言った。
「いいか、リンクス。夢を持つのは立派だ。本当になれりゃ、そりゃ最高だ。父ちゃんも一回ぐらいは夢見たことがある」
「じゃ、じゃあ……」
「それでも、選ばれなきゃ、選ばれなくて、それで終わりだ。とはいえお前の人生は続く。それは、そのつもりにしとけよ」
「…………うっす」
去っていく父さんに何も言い返せないまま、俺は残りの昼飯をモソモソと片付けた。
――分かってるよ、父さん。だからこうして、『働いてる』んじゃねぇか。
――いつだって、諦めがつくように。
◇
夕方。なんだかもやもやしたまま仕事を終えたので、いつもより遠回りして帰宅することにする。小高い丘をのぼって、くだって帰ろう。
そして、少し風のそよぐ坂道をのぼって、視界から鬱蒼とした木々がはけた時。
俺は、町を見下ろしながら丘にたたずむ、エイダを見た。
「……!」
最初、別人のように見えた。
夕暮れの涼しい風にあわせて、きらきらなびく髪も、唇を固く引き結び、真剣そうな表情も、まるで普段と違っていたから。俺は声をかけられず、呆けたように後ろに居た。
彼女は、手に小さな竪琴を持っていて、構えた。それから、その指でゆっくりと、やがて確信したかのように、音色を奏で始めた。
俺はただそれを聞いていた。あるいは、丘の麓の人々にも聞こえたのかもしれなかった。
風にのって、森の中にひびかせるような。仕事に疲れた人々を癒すような、そんな音色が、いくつも広がって、奏でられていった。エイダは目を瞑り、うっとりするようにして演奏していた。もう何度も繰り返したのだろう、ということがそれで分かった。
俺はしばらく、その調べに聞き入っていて。
演奏が終わって、エイダが竪琴から指を離した時。
つい、拍手をしてしまった。
「どひゃッ!? り、りーくんっ!?」
振り返って驚愕の表情を浮かべたエイダはなるほど、いつもどおりだった。なぜだか少しほっとする。俺は言い訳を並べ立てる。
「いや、その。色々あって、ちょっといつもと違う道で帰ろうと思って、それでその、別にお前がここで何してたか知ってたとか、そんなんじゃぜんっぜんなくってだな」
エイダは頬を赤らめたまま、竪琴を切り株の上に置いて、衣服の裾を整えていた。
俺は、しばしの沈黙のあとに、二言目を告げた。
取り繕うふうに聞こえなければいいけれど。
「お前、そういうこと、してたんだな。すげぇと思ったよ」
エイダは照れているのを隠そうともせず、へにゃへにゃした笑顔のまま返す。
「べつに、そんな大したことじゃなくって、あたしも、お父ちゃんの仕事のジャマにならない範囲でやってるだけで、あんまり他の人に聞かせたことなくって……」
――きっと今の音楽、他の人にも聞こえてると思うぜ。
そう言うことは出来なかった。それじゃあまりにも、キザすぎる。
「だけど。すげぇよ……なんつーか、別人みたいだった」
言ってから、その発言がえらく失礼であることに気づく。
慌てて取り消そうとしたが、それより先に、エイダは立ち上がり、竪琴を胸に抱えたままこちらを向いた。影が彼女の前面を覆って、対照的に、その輪郭を、夕暮れの黄金色がなぞった。
俺はまた、どきっとする。
「あたし、脳天気なだけじゃないよ」
それは、やっぱり初めて見る表情で。思慮深いようにも、どこか寂しいようにも見えた。
「この間も、言われたもん。音楽家になろうと思ったら、王都へ出て、見初められないといけないって。でも、そんな余裕、ないし。お父ちゃんもお母ちゃんも、弟たちも大好きだし」
知らなかった。
なんだって、そんな夢を抱えていたのに、自分に言わなかったのだろう。
いや違う。言えなかったのだ。
自分の掲げている夢を見てみろ。そして現実を。
バカと言えるほどお人好しのこいつが、何かの『ワガママ』を押し通す勇気を、持てただろうか。
「だから、これもそのうち、やめなきゃだね」
しかし、エイダがその言葉を発して、俺の目に、彼女の指が、あの音楽を奏でる指が包帯だらけになっていることに気付いた時。俺はすぐに駆け寄って、まっすぐ、真正面から見つめ返した。
「りーくん……!?」
どきどきする。喉の奥がからからする。
だけど関係なかった。
「やめんなよ、おっかけるの。絶対に」
そっと肩を両手で包んで、言った。
後悔なんかするものか。
「俺も、諦めないから」
エイダは何かを言おうとして、口をパクパクさせていた。
「ひゃ、ひゃいっ……」
「……」
しばらくしてから、俺も、だんだん恥ずかしくなってきて、エイダから手を離すタイミングを完全に失ってしまって。
そこへちょうど、木こりの職人の人が、荷車を押して通りがかって。
ぽかんと口を開けて、俺たちを見て。
「……なんとまぁ」
それだけ言って、いそいそとその場から離れるところを、俺とエイダ二人して、顔を真っ赤にさせたまま追いかけて、誤解を解くのに随分と時間をかけて。
それでその日は終わりだった。
そして、その次の日に、俺達の関係が一変する出来事が起きた。