マニュアル
ポ、タ、ポ、タ、ポ、タ――。
配管から律儀にひと粒ずつ落ちる水滴がひっきりなしに地面を打ち、そこだけタイルがへこんでいる。
俺が咄嗟に逃げ込んだのは、飲み屋街の細路地だった。
ここに来たのは間違いだったか。
雑音が多すぎるこの場所では、自分の気配だけでなく、様々な気配も濁らせてしまっている。
だが、あんなもの。正直にいえば、多少気配が濁ってくれたほうが気分には優しいってものだ。
とはいえ現実は、そんな不快感よりも、"見つからない"ことのほうが大事だということは十二分に理解している。
今でも、アレに見つかったヤツの断末魔が耳に残っている。
どうせ死ぬなら、黙って死んでほしかった。考えたくもないがそう思ってしまうほど、故意に訪れた人の最期の音は最悪だった。
俺ももしかしたら、と考えるだけで未知の痛みが脳裏を駆け巡り、身震いする。
痙攣したように跳ねた体が壁に当たり小さく、トン、と音が鳴った。
それだけで、俺の額から汗が吹き出す。
もっと音を小さく抑えなければいけない。膝を折り胸に抱え今までよりも強く体を固めて、俺は室外機とゴミ箱の間に体を押し込めた。
「ちくしょう……」
出したくもない声が口からこぼれた。
どうして、俺がこんな目に合わなきゃならない――。
▲
ことの始まり、といったらいいのか。いや、俺にとってはそうだ。
今となっては友人だなんて思いたくもないが、ヒロキから連絡が来た。
成人式で会って以来だった。
はっきりと嫌いな人間を作れなかった自分を呪いたい。
あの時ちゃんと、「連絡することもないから、必要ない」と言えていれば、ヒロキなんかと連絡先を交換したりしなかった。
ヒロキはもともと地味なやつで、高校の時も友達らしい友達は同じ趣味の漫画やアニメにハマってるヤツらばかりだった。
いわゆるオタクと呼ばれる類だが、俺はその辺に差別意識を持っていなかった。
人の趣味なんてどうでもいいと思っているからだが、周りから見れば、俺はどんなやつにでも話しかけにいく物好き、だと思われていた。
始めは俺から話しかけるばかりだったが、いつからかヒロキから俺に話しかけてくることが増えた。
俺はオタク趣味というほど漫画にめり込んでもいなかったし、どこのコンビニにでもあるような週刊誌には載っていない漫画を教えてくれたりして、当時の俺にとってヒロキみたいなヤツはありがたい存在だった。
それでも、俺はあいつらと一線引くために連絡先の交換はラインでもやらなかった。
ずっと関わるつもりなんて毛頭なかったし、何より本質的な部分で俺はあいつらとは噛み合わないと感じていた。
だけど唯一、ゲームのフレンドにだけはなっていた。連絡先というほどでもないし、一緒に遊ぶのに出歩くでもないし都合が良かったからだ。
俺とヒロキは同じクラスになった高校二年の時から、付かず離れず、時折口をきく程度の関係が続いた。
だが、高校三年の中盤あたりから、ヒロキの俺に対する接し方はおかしくなった。
当時俺が感じた違和感は、はっきりいえば嫌悪の類だった。
認識のうえではあいつらを差別しているつもりはなかったが、あの時ヒロキに「お前」と呼ばれたことで嫌な気分になったのを今でも覚えている。
そんなに仲良くしているつもりはない。そういう自負があったからだろう。
でも確実に、ヒロキは話せば話すほど俺と近くなっていると感じていたのだと、そう思う。
符号する。成人式で会った時、
「ジダイじゃん。おー、なんだよお前変わってねえな」
そう言ってヒロキは俺を笑った。
成人式だというのに正装をしないで、膝の歪んだチノパンに、わけのわからない英文が書かれたシャツ、その上からファストファッションブランドのダウンコートを着て。
高校の時と同じ仲間たちを従えて――そんなふうに見える歩き方をしていた。
出会った瞬間俺に生じたのは、旧友との再会に対する喜びなんかじゃなかった。
調子に乗ってるイキリ陰キャ野郎に対する、あの時よりもはっきりとした嫌悪感だった。
「さっきもユウトに言われたばっかだよ、それ」
「あれ、ユウトって誰だっけ? オレ高校ん時のことあんま覚えてねえからさ」
「それは、まあ……しょうがないな」
俺の悪い癖だ。面倒になるとそんな感じて適当に躱す傾向があった。
だがそれは実質躱していることにはなっていなくて、相手にしてるだけだと今ならわかる。
本心では鬱陶しいと思いながらも、逃げる機会を窺っていて。
さっさと、もう帰るわ、とでも言って連れと一緒に立ち去ってしまえばよかったのだ。
そのせいでヒロキから連絡先を訊かれ、そして俺はラインならブロックできると安易に考えてヒロキに連絡先を教える羽目になった。
でも、問題はそれだけか?
ヒロキと連絡先を交換しなければ、俺はこんなことになっていないって言えるのか?
「……くそ」
たぶん、違う。
俺が守らなければならなかったのは、あの一線だった。
無関係でいたい気持ちに正直になって、人を利用するだけの行いに罪悪感を抱かない。
高校の頃当たり前にしていたそういった感覚を、俺は人間関係を育む中で殺してしまっていた。
原因はそれだ。
結局、他人事と無視できればこんなことにはならなかったのだ。
お前の一人暮らしの家なんてどうでもいい、って。
同じ土地に住んでたからって、気安く飯食う間柄じゃねえよ、って。
酒なんか飲まなきゃよかった。
ちゃんと、嫌いなやつに嫌いだってわかってもらわなければいけなかった。
かくれんぼなんてしねえよ、って言わなければいけなかった。
▼
「くそっ」
自分の甘さに反吐が出る。
だが、煮えた腸が体に熱を取り戻してくれたようだ。
立ち上がる気力を得て、俺は立ち上がった。
あいつが、酔っぱらいのおっさん――ヨシモト部長を捕まえたのは、ここから二、三百メートルほど離れた位置にある公園のそばだ。
ヨシモト部長を捕まえた後、あいつは北のマンションの方へ向かって行った。
そこまで思い出したところで、また彼の断末魔が脳裏に響き、俺はきつく目を閉じた。
とにかく、あいつはまだここから離れた場所にいるのは間違いない。
ルールだと、範囲は駅の北口を含めた町の一丁目から三丁目まで。
住宅地が入っていてマンションも多いし、商店街や飲み屋街があるため路地も多い。
単純な地形の住宅地にさえ入らなければ、そう簡単に見つかることはない。
――カッッ、カッッ、カッッ
足音がした。俺は、即座に身をかがめ顔を上げた。
路地の前後出口に目を凝らし、通りを確認する。
どっちから来る。右か、左か。
隠れるか? 逃げるか?
脳が右往左往と判断に迷っている間にも足音が徐々に大きくなってきている。
早く、決めなければ。
――カッ、カッ、カッ
ダメだ、間に合わない。俺は、再び室外機とゴミ箱の間に体を縮めた。
――カッツ
足音が止まった。
両手で鼻と口を覆い、息を殺す。小刻みに震える体、僅かな衣擦れの音に心臓が高鳴る。
気づかないでくれ、気づかないでくれ、気づかないでくれ。
「もしもーし。今から家行っていい?」
「いーじゃん。なんか飲み足りなくてさー、明日休みでしょ? 付き合ってよー」
若い女の話し声だ。
一瞬で心臓が元の拍数の戻り、体の震えが止まった。
それでも念のため、口元は抑えたまま声のした方を覗き、ようやく俺は呼吸を開放した。
「見たことない人……セーフ……」
額に浮いた冷や汗を拭い、俺はまた立ち上がった。
ここにいたのでは、心臓がもたない。場所を変えよう。
あいつの動きにいち早く気づくことが重要だ、だから監視する出入口は少ない方がいい。それでいて逃げ道は多く確保できている必要もある。
それと、人だ。できる限り、人の少ない場所がいい。
そんな都合のいい場所、この辺りにあっただろうか。
「……そうだ」
二丁目に使われなくなった会社の倉庫がある。
思い出せる限りでは、敷地は壁に囲われていて、建物は大きな倉庫と事務所がそれぞれ一棟ずつあった。倉庫には外階段がついていて、それとは別に地上に出入口があったはずだ。
事務所も同様、正面口があれば裏口もあるに決まっている。
通りと違って一度敷地の中に入ってしまえば、敷地に入ってくる人の確認だけで十分先手を取れるし、建物の中に入れればこれ以上ない。
「よし」
俺は早速、人通りに目を凝らしながら倉庫を目指す。
時計を見ると、時刻は十時四十二分を示している。
あの時、このかくれんぼが始まったのはいつだったか思い出す。
正確な時刻は見ていなかったから覚えていないが、十時十分くらいに居酒屋を出たはずだ。
それから、ヒロキが言い出した。
「久しぶりにかくれんぼしてみねえ?」
お前とそんなのやったことねえよ。
妙なことを言っているとわかるのは今だからで、酒が回っていたせいか、「面白いこと言うな」なんて答えたのを覚えている。
かくれんぼといえば公園。
そんな安直な考えから一丁目の公園に向かう途中、絡んできたのがヨシモト部長だった。
その他、先に公園でイチャついていたカップルにヒロキが声をかけ、女のほうが面白がってこのかくれんぼに参加することになった。
俺とヒロキと、ヒロキの取り巻きと化した連中。
そうだった。
成人式ぶり、五年ぶりに会ったというのに、あいつはまだ高校の時の仲間と一緒にいたのに俺は驚いた。
それも実際は、気味が悪いと思ったくらいだ。
それから、かくれんぼを始めた――いや、違う。
ヒロキはスマホを見ていた。
「じゃー……あ。ルール決めようぜ」
「ルール?」
「範囲とかそういうの決めておかないとゲームにならねえじゃん」
「なるほどね。それで、範囲はどこまでにする?」
一丁目から三丁目、までだ。
今思えば広すぎる気もする。もしかすると、カップルの男が何かしら異論を唱えたかもしれない。
「鬼は、一人でいいよな?」
「いや、ふつう鬼は一人だろ」
鬼は、一人になった。
「三十分とかでいいか、制限時間。あんまり長くてもグズグズになるし、短いとつまんねえし」
制限時間は、三十分になった。
カップルの男だけが、「長えよ」と文句を言った気がするが、女の方が面白がってヒロキに賛同してそう決まった。
鬼は、女が「鬼やりたーい」なんて言ったから、それで決定だった。もしかすると、彼らも酔っていたのかもしれない。
三十秒鬼が待ったらスタートだ、とそこまで決めた。
「じゃあさ、隠れる人で名前決めようぜ。お互い名前を知らない人もいるし、適当な偽名で。そうじゃないと鬼さんも見つけられねえじゃん?」
そこで、
酔っぱらいのおっさんは、ヨシモト部長。
カップルの男は、ユウジ。
俺は、ナカジマ。
ヒロキは、キリト。
ヨウタは、ビャクヤ。
ケンタロウは、オーガス。
サスケは、キョウマ。
女も何か言っていた気がするが、よく覚えていない。そもそも鬼に名前は必要ないとか、そういうことになったのだろう。
俺たちは、それぞれ好き勝手に名前を付けた。
鬼の女は名前を覚えるのが面倒くさがっていたが、意外にも覚えがよく、二回ほど復唱して全員分覚えてしまった。何か妙に盛り上がった気がする。
それからだ。ヒロキは完璧に妙なことを言った。
「じゃあ、次は隠れる理由を一人ずつ決めて」
「は? なんだそれ。かくれんぼにそんなの必要ないだろ」
「いいから、決めろよ。その方が絶対面白いって」
「わけわかんないこと言うなよ。面倒だからさっさと始めようぜ」
俺が言って、カップルの男が口を挟んで。ヒロキは一瞬悩んだような気がする。その時に何かを呟いた、
「まあ、やらなくてもいいのかな」
たしかそんなことを。
どういう意味だったのだろう。
"やらなくて"ということは、やらなければならないことがある?
だが結局は、
「私は、盗撮であります。先日、更衣室に仕掛けたカメラが見つかりまして。しかもそれ、会社の金で買っちゃってたものだったのです。犯人がバレるのも時間の問題かと思われれますっ」
ふざけた口調、笑顔、無様な敬礼姿が浮かぶ。
ヨシモト部長の隠れる理由は最もだ、と思った。酔った勢いの本音だったのか、とりあえず最悪なおっさんだと思った。だけど、死ぬほどのことじゃなかっただろう。
「おれは、諦めの悪い女がいるから、それ」
「実は、魔法が使える」
「人を殺したことがある」
「組織に追われている。気づいてはいけないものに気づいてしまった」
ヒロキと取り巻きの理由は、ほとんど嘘だろう。本当にくだらない連中だと思う。こんなやつらに踊らされたなんて……。
「めんどくせえな、もういいだろ。さっさと隠れろよ。酔っぱらいども」
結局、カップルの男は理由なんて言わなかったはずだ。俺も。
そうしてようやくゲームが始まろうとした時だった。
各々に輪を離れて行こうとするのをヒロキが止めたが、すぐに「まあ、いいや」と何かを諦めた。
何が、まあいい、のか。
鬼がカウントを始める直前耳打ちしていたことも含め、やっぱりあのスマホを見ていたことがあやしい。そこにかくれんぼを今さらやらなければならなかった理由が書かれているのは、ほぼ間違いない。
なるだけ人通りの少ない道を通ってきた。それでも、二丁目に入るには商店街を通るしかない。
俺は、一旦物陰に身を潜め、明るい商店街のアーケード内を行き交う人の姿に目を凝らした。
鬼は、あの女一人だ。これだけ人通りがある場所で、今日初めて会った俺の顔を見分けるのは難しいだろう。
でも。
あの女の覚えの良さがふと気になった。もしかすると、人混みでもわかられてしまうかもしれない。
再び湧き出す恐怖が絡みつき、俺は地面から足を離せなくなっていた。
何も起きていないのに、冷や汗が背筋を伝う。虫が這うような、気味の悪い感触。
思わず身震いした、その時。
行き交う人通りの向こうでおかしな動きをしている人に気がついた。
俺と同じように、アイツは電信柱の陰に身を潜め、半分だけ体を覗かせて控えめに手を振っている。
「……ヤシロ?」
そうだった。
かくれんぼが始まってすぐいろいろあったせいで、気が動転していたのだろう。先約だった会社の後輩と一緒にいたことをすっかり忘れていた。
ヤシロは、俺が自分に気づいたとわかったのか、大きく口をパクパクとさせて何か伝えようとしている。
(ア、イ)
読唇術なんてできない。ただ、口の動きから察するにそういった母音の何かを言っているように見える。
この状況、向かい合って遠い位置、俺の立場。考えてみれば、「センパイ」と俺を呼んでいるだけだろう。
「そっちに、いく」
真似をして俺も大げさに口を開け、指で向こうを指して意志を示した。
通じたのか、ヤシロはコクコクと忙しなく頷いている。
視界に知り合いの存在があることで、また俺の恐怖はどこぞへと消え失せた。
雑に周囲を確認し、小走りで一気にアーケードを抜けきる。
案外あっさりと目標は達成し、安堵する間もなく、
「先輩、ヤバいっ」
声を潜め、ヤシロが騒ぐ。
「わかってる。わけはわからないけど、わけがわからないことに巻き込まれてる。あのクソ野郎見つけて、ぶっ――」
「そうじゃなくてっ。違うんです。あの、あの、あの……見つかっちゃったかもしれないです」
「……は? 見つかった?」
「たぶん、ですけど……」
だったら、なぜヤシロはここにいられる?
かくれんぼが始まってすぐ、一番最初に捕まった人のことを考える。
一番最初に鬼に捕まったのは、カップルの男――ユウジだった。
始めからやる気がないことはわかっていたが、彼は鬼となった女がカウントを始めてもその場から動こうとはしなかった。
本当は、俺もさっさと捕まって終わりにしようと考えていたから、先を越されたわけだ。
結局、俺は適当な近場に隠れて見つかってしまおうと思った。その折、アレを見てしまった。
「ぜーろっ」
女はカウントを終えるとすぐに、「逃げるなよー」と妙なことを口走った。
「「「許してくださーい」」」
それも、妙な返事だった。声色まで記憶にないが、それらには少なくともヒロキのものが含まれていたのは確かだ。だから、残りの分はヒロキの取り巻きのものだったのだろう。
「あー。ユウジ、見つけた―。って全然隠れてないじゃん。つまんなーい」
「だって面倒じゃん。かくれんぼとかって、ガキかっつーの」
「そんなこと言って、あたしと離れるの嫌だったんでしょ?」
「そういうのいーから。ほら、探すの手伝ってやっから、さっさと帰ろうぜ」
「はーい」
俺は、すぐ隣のマンションの壁の裏に隠れていた。壁越しに二人の会話を聴いていて、鬼の目が倍ならすぐに見つかってこのくだらない遊びから開放されると思った。
その時もう一つ、声が聴こえた。
「オレだってな、頑張って会社のために生きてきたんだ! 部長だ課長だって、自分の立場ばっかりでよ! オレは小言に耐えて、使えない部下のために頭下げてよおっ! 盗撮の一つや二つくらい多めに見ろってんだよ! 税金が高いんだよっ、国会議員に文句言えってんだ!」
ヨシモト部長は、疲れたサラリーマンらしく荒れていた。支離滅裂で、どうしようもない愚痴を吐いていた。
これで二人目は確定。次に俺が捕まって、後は三人で残りの奴らを見つけてしまえば終わりだったはずだ。
それなのに。
「あっ、おっさん隠れてないじゃん。みーつけた」
「あ? あれ、もう始まってた?」
ヨシモト部長のとぼけた声を聴いて、通りを覗こうとした瞬間だった。
「えっ? あっ、イヤ……なに――っ」
――ああああああああああああっ!!!!
一瞬、女が戸惑ったようなことを口走ったかと思うと突然、叫んだ。いや、あれは叫びなんてものじゃなかった。
絶叫、悲鳴。そういった類の、耳に触れるだけで怖気立つ強烈な音が静まり返った住宅地に響いた。
何が起こったのか、まるでわからなかった。
咄嗟に通りを覗くと、ユウジが混乱した様子で、頭を抱えて暴れる女を抱いていた。
「チカ! おい、しっかりしろ!」
ヨシモト部長は、そのそばで呆然と二人を眺めていた。
いずれ泣き喚きながら、女は半ば走り出すようなかたちで北の方角へフラフラと去って行ったのを見た。
彼女の絶叫が遠くなったと感じるまで時が止まったかのように、実際は聴こえていたものが静かになった気がした。
その頃遅れて脳が活動し始め、俺が見ていなかった一時に何かが起こったのだと思った。だから俺は、状況を訊こうとヨシモト部長の元へ近づこうと通りに体を晒して。
そして、アレが現れた。
どこからともなく、バッ、バッ、と分厚いタオルでも振り回すかのような風を叩く音がし、街頭の明かりを巨大な黒い塊が覆い隠した。
そしてそれはヨシモト部長のすぐ目の前に着地した。
見たこともない大きさの、鳥――だったのだろうか。
とにかく、大きかった。
二本の足で立っていたが、人の足ではない。全身が羽毛に覆われていて、頭も図体の三割は占めるほど大きかった。
先の短い嘴のようなものが付いていて、奥に人のものとそっくりの巨大な歯が並んでいた。
俺がそれの姿を理解するまでの間に、ヨシモト部長は摘み上げられていた。
「痛えっ! 痛てっえ!」
ヨシモト部長は藻掻いていた。暗くてよく見えなかったが、もしかするとその時点で怪我をしていたのかもしれない。
かもしれない、なんて……。そんなの"当然"だったのだろう。
――いぃぃぃぃ
絞って絞って、絞られた、殺された声。思い扉が開くような。
ヨシモト部長の一部は瞬時に千切り取られ、次に俺の耳に届いたのは、ボタタタ、と液体が地面を打つ無残な音だった。
断末魔。
自分の荒い呼吸と惨めに鳴り散らされる革靴が叩く足音が強調された感覚の中で、背後に轟くものが俺にはそう聴こえた。
鬼に見つかったら……。
「鬼に見つかったら、アレが来るんじゃないのかっ」
俺は、焦っていた。怒鳴るような声が口から飛び出す。
ヤシロは、ぶんぶんと首を横に振った。
「違うんです、たぶん。見つかった、て言われたらなんだと思います」
「なんでわかるんだよ!」
「だって……目があったかもしれないんです。あの時先輩とは逆方向の人んちに隠れてて、女の人が騒ぎながら通り過ぎていって。変なこと起きてるんだと思って立ってたから。声掛けようとしたけど、女の人は頭抱えてたし――でも一瞬、こっち見られたような気が……。だけど捕まってないし、おっさんを食ったアレも来てないし。まだ、見つかってないってことかもしれない」
ヤシロは、懇願するように期待を口にしている。
もし鬼に見つかっているのに逃げているだけなのだとしたら、見つかっていたらアレが来るかもしれないと思ったら。
俺は、自分が焦るのはお門違いだと感じ、「すまん」と誤った。
「とにかく、今のところお前には何も起きてない。だからまだあいつに見つかってないって考えていいのかもしれない」
時計を見る。時刻は、午後十時五十五分。
「ヤシロ、このかくれんぼが始まったの何時からだったか覚えてるか?」
「ちょっと待ってください」
そう言ってヤシロはスマホを取り出し、操作を始めた。
「十時三十三分です。そん時彼女にラインしたんで間違いないです」
くんっ、と心臓が収縮した。
「じ、十時三十三分、ってことは今のところ二十二分も経ったってことか。じゃあ、あと八分でゲーム終了だ」
思ったよりずっと短い。
このまま何事もなく時間だけ過ぎていってくれれば、倉庫に着く頃にはかくれんぼは終わってしまうだろう。願ってもない。
だったら、わざわざ危険を犯して場所を移動するよりも、この辺りで適当な場所に隠れるのが無難かもしれない。
周囲に隠れ場所として都合のいい場所がないか視線を巡らせていて、ふと気づいた。
「店の中に入っちまえばいいんだ。あの子は錯乱してたし、店の中まで探そうなんて絶対に思わないだろ」
「さすが――先輩っ! それアリかも。そうしましょう」
どうしてこんな簡単な必勝法に気が付かなかったのか。
ハラハラしながら場所を移動したり、人の目を気にしたり。たとえば飲食店の個室にでも入ってしまえば絶対に見つからないし、必要がなかった。
興奮する気持ちを抑えつつ、俺たちはアーケード内のすぐそばにあったチェーン店の居酒屋に飛び込んだ。
店名がプリントされた黒いTシャツと腰にエプロンを巻いた店員が、「いらっしゃいませ」と俺たちをもてなす。
多少の焦りはあったが、それでも、ふいに漂い始めた日常らしい日常の気配にあてられ、ついさっきまでの緊張感がなかったかのように俺の心は穏やかだ。
「あの、個室とかあります?」
「えーと、完全なやつじゃなくて、壁で仕切られた半個室ならありますよ」
「外から見えない?」
「うーん。席の方は壁なので見えないと思いますけど、通路側は暖簾だけなのでちょっとは見えちゃうかもしれません」
「問題ありません。そこがいいです」
「はーい。じゃ、どうぞ」
店員に続いて店の奥へ進もうとしたところだった。
――いらっしゃいませー!
注文を終えたらしい手元で機械を操作していた店員が、すれ違いざまに声を上げた。
なんということはない。ここがただの日常だとわかってはいたが、俺たちの隠れ場所がものの数秒でバレるはずがないとわかっていながら。
俺は振り返った。
今すれ違った店員の背中が見える。その先にスーツ姿の男がふたり、立っている。ごく普通に対応する店員。
やっぱり、なんでもなかった。
顔を前方へ戻す最中、視界に入ったヤシロが同じく振り返っていたことを知った。
「なんでもない。大丈夫だ」
「そ、ですね」
聞いた通りの半個室に案内され、どさっ、と椅子に腰を下ろすと自然に大きな息が漏れた。
それも仕事帰りのものとなんら変わりなく感じられた。
「あと五分です。このままここで粘れば、一瞬ですよ」
「だな。よかったー」
ぐい、と背伸びしたその時。
「ナカジマみーつけた!」
唐突にバカに大きな声が耳をつんざいた。
驚いて部屋の出入り口に目をやる。そこには、見知らぬ男が俺を指差して立っていた。
汗だくだ。髪が濡れ、顔もシャツも大量の汗が滲みている。
「な、なんだお前……」
俺の口からこぼれた言葉と、男の荒い息遣いが室内に響いている。
一歩、男が近づく。
「しょーひしゅしゅしぃ、みーつけた!」
わけのわからないことを言ったかと思うと、
「えっ、あっ……ああああああっ! なんでっ!」
男が突如叫んだ。
頭を抱え、そしてくず折れる。
あの女と同じだ。
「先輩! 今です!」
また勝手に状況の整理を始めた俺の隣で、ヤシロが立ち上がっていた。
「早くっ!」
せっつかれて、わけもわからないままヤシロに続いて店を飛び出した。
そのまま商店街を横道に抜け、二丁目の住宅地に入る。
「ついて来い!」
相変わらず状況は掴めていなかったが、逃げるべきだということはわかっていた。
咄嗟に思いついたのは、やはりあの倉庫だった。
とにかく、残り時間が五分程度ならあそこに逃げ込んでなんとかできるはずなのは変わらない。
だけど、今の男はなぜ俺の偽名を知っていたのだろう。
突然現れて、「見つけた」?
頭を抱えたのはなぜなのか。
様々浮かぶ疑問をヤシロにぶつけたい気持ちはあったが、全部後回しだ。
記憶を頼りに二度角を曲がると、目的の倉庫が視界に入る。
門が閉ざされていたが、関係ない。
俺とヤシロはそこを乗り越え、敷地内へと侵入した。
建物の中に入りたかった。だが、あの男が追ってきていないとも限らない。
入れるところを探している暇なんてなかった。
俺たちは、敷地の一番奥になる倉庫の裏まで走り、そこに身を潜めた。
「ヤ、ヤシロ」
荒いだ息を無理くり飲み込む。
「何が……なんなんだ?」
いろいろなものが足りず、なんとか口にできた質問だった。
「わかりません。わかりませんけど、名前……かも」
「名前?」
「かくれんぼのための偽名ですよ。先輩の友達が言ってたじゃないですか。あれ、ショウヒシシュツヒ、にしたんです。なんでもいいって言ってたから、その方が呼びづらいと思って」
「ショウヒ、なに?」
「消費支出費、ですよ。早口で言うの難しいんです。ちょっと意地悪するつもりで」
たが、そんなヤシロのくだらないいたずらが、俺たちを救ったのかもしれない。
それをファインプレーと言わずしてなんというのか。
俺は思わずヤシロを抱きしめ、頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「ちょ、ちょっとなんですか、こんな時にっ」
ヤシロが藻掻いて俺を突き放す。
時刻は、十一時二分。
「あと一分だ。あと一分でこのクソみたいな遊びが終わるぞ」
興奮が冷めないまま、俺は時計の秒針を見続けた。
残り三十秒。
二十秒。
十五、十四、十三……。
――ぁぁぁぁぁぁぁ
遠く、耳に覚えのある叫び声が聴こえる。
でも、大丈夫だ。残り、十秒。
九。
――ダッッ、ダッッ、ダッッ、ダッッ
八、七、六。
――ダッ、ダッ、ダッ、ダッ
「五、四、三、二」
――あああああああああああっ!!!
一、ゼロ。
俺は顔を上げた。
「ヤシロユキ、みーつけた」
は?
声、誰の?
「せんぱっ――」
ヤシ、
「ロ……? あれ?」
いない。
今の今まですぐ隣りにいたヤシロがどこにも。
名前を呼んでも、返事がない。辺りを見回しても、誰も、何もない。
ゲームは、かくれんぼは終わったはずだ。制限時間がきたはずなのに。
「ヤシロ……? どこに……」
見つかった? 誰に?
消費ナントカ、じゃなかった。今聴こえた声は確かに呼んだ、彼女の本名を。なぜ。
呆然としつつ、それでも俺の脳は状況を理解しようと必死に働こうとしていた。だが俺には、わけのわからないことが起こったのだ、というわかりきったことしか浮かばない。
血の流れが鈍くなってくのを感じる。
体温が急激に下がり、鼻の奥から感じたことのない冷たい液体が垂れてくる。
無意識に拭って眺め、きっと鼻血だろうと思った。
辺りは暗いのに、目の前が白く霞んでいく。
いったい何が起きたのだろう。
かくれんぼは、どうなった?
意識に引かれ、現実が遠のいていくのを感じながら、聴こえていた。
「おにさんこちら、てのなるほうへ」
▼
――ヴー、ヴー、ヴー、ヴー
腹のあたりのむず痒さに、俺は目を覚ました。
朝日が直接目に飛び込んできて、またすぐに瞼の裏に逃げ込む。
赤っぽくフィルターのかかった視界の奥で、車が通り過ぎて砂を掃く音が聴こえた。
「なんだこれ……」
体がやけに重たい。
体を立てようと腕を付くと、ザラザラとした粒が肘に食い込む痛みを感じる。
ここはベッドじゃない。そんなことを漠然と察しながら、ゆっくりと体を起こし。同時に、慣れてきた瞳を外に晒す。
多少の痛みを伴いながら、白く霞んだ世界に色を付けていく。
そこは、建物の陰だった。
酒に飲まれるのは初めてじゃない。だけど、道端で眠ったのは初めてだ。
そんなに深酒をした記憶はないが、もしかすると自覚以上に疲れていたのかもしれない。
「よっこらせ、っと」
立ち上がり、服についた砂を払う。
――ヴー、ヴー、ヴー、ヴー
振動がスマホのものだと思い出し、アラームを止めるつもりでポケットから取り出す。
しかし、そこに表示されているのは、『アラーム』の文字ではない。
「アカリ? なんだこんな朝早くに」
モーニングコールなんてしてくれたのは初めてだ。
「もしもし?」
『やっと出た! ジダイ、昨日の夜何してたの? 家来るって言ってたのに!』
「あ……」
そうだった、と今さらになって思い出す。
この土日、アカリの家に泊まるつもりだったのだ。
「わるい。すっかり忘れて後輩と飲みに行った」
『最低。浮気してたんでしょ』
「何言ってんだよ。んなめんどうなことするわけ……」
『その後輩って誰?』
はっ、と息を呑んだ。
一瞬にして記憶が巻き戻る。
「アカリ、一旦切るぞ」
『ちょっとまっ――』
アカリとの通話を強引に終え、そのまま履歴から『矢代雪』にかける。
遠く、プ、プ、と電波を探す音が聴こえ、そしてドラムロールさながらに連続して音が連なる。
――ティントン、ティントン、ティントン
着信音が聴こえた。
彼女の着信音なんて覚えていないが、今聴こえるのはタイミングが良すぎる。
もしかしたら、俺みたいに近くで眠っているのかもしれない。
期待に胸を躍らせつつ巡らせた視線は、思いの外早く音の出処を見つけ出してしまった。
――ティントン、ティントン、ティントン
彼女の、矢代雪のスマホは俺から二メートルと離れていない場所に落ちていた。
「ああああああ……」
膝が抜け、俺は地面に引き寄せられるように矢代のスマホに向かって突っ伏した。
「ヤ、ヤシロ……本当に……」
消えてしまった。
「かくれんぼ……ヒロキ……ヒロキ!」
突如として吹き上がった怒りに任せ、俺は走った。
ヒロキを見つけ出す。見つけて、ぶっ殺す。
俺を、矢代を巻き込んで、しかも矢代が消えてしまって。
許すつもりなんて微塵もなかった。本気で俺はヒロキを殺してやろうと思っていた。
ヒロキがどこにいるのか、行く宛もないはずだったが俺の足は自然とあの公園を目指していた。
あそこにヒロキがいる。確信はなかったが、あのクソみたいな遊びが終わってヒロキが俺の顔を見ずに帰れるはずがない。
ヤツの目的がなんにせよ、きっとそうだという確信はあった。
アーケードを突っ切り、一丁目の公園まで、寝起きの体の重さが嘘のように俺は速く走ることができた。
「はあ、はあ、はあ……」
マンションの塀の向こう、太陽に白っぽく染まる砂地が見えた。
そこへ飛び込むなり、俺はヒロキの姿を探す。
だが、
「いない。くそっ」
絶対に見つけてやる。見つけ出して。
「そうだ、ライン」
これが原因で俺は不幸に見舞われた。だが結末としては十分いい伏線だったと、今ならいえる。
この繋がりでもって、俺はヒロキを捕まえる。
『飯村大輝』は、数コールしてすぐに反応した。
「大輝、お前……今どこにいる」
殺意がバレないように殺した声が、かえって思惑を鋭くさせている気がした。
『あなた、ヒロくんの友達? 次太さん、って変わった名前だね』
「あんた、誰だ……?」
大輝のアカウントに通話しているはずだ。それがなぜ、女の声がするのか。
『わたしは、ヒロくんの婚約者なの。ヒロくんの就職が上手くいったら、ハワイで結婚式を挙げるの』
「か、彼女? あいつの?」
『違う、婚約者だよ』
「そんなのどっちでもいい。大輝はどこにいる? 教えてくれ」
凄んだつもりはなかったが、怒りと焦りで言い方がキツくなってしまったかもしれない、と緊張する。
予想通り、女は無言になった。
「ごめん、ちょっと急ぎで用があって。スマホそこにあるなら、大輝も近くにいるよね? 代わってくれないかな」
『――フフ』
笑った?
「あの……」
「フフフ、フフフフ――」
――アハハハハハハハ
スピーカーで響く音が割れ、俺は驚いてスマホを耳から離す。
スマホを腕いっぱいに遠ざけ、漏れ聞こえる女の笑い声に耳を澄ませていた。
そうして少しの間女の笑い声が続き、ふいにピタリと止んだ。
「あの……」
スマホを耳に当て直し、控えめに、女を刺激しないように注意を払って声をかけた。すると、
『――った』
微かに女が何かを言った。
俺はスマホを耳に強く押し当て、「なに?」と聞き返す。
『死んじゃった! 死んじゃった! 死んじゃった! 死んじゃった!』
女の叫ぶような声が耳をつんざき、俺は咄嗟に通話を切った。
「し……、そんなはず」
大輝の身に起きたであろうことを口で否定しながらも、俺はふと昨晩大輝が言っていたことを思い出していた。
大輝は、「諦めの悪い女がいる」、と言っていた。
嘘だと決めつけていたが、大輝の通話に出たのは女だった。
「まさか、本当に……」
アニメの絵を背景に浮かぶ、切り抜かれた大輝の理想の顔。
目も肌も加工された作り物の笑顔が、どうしてか急に遺影のように見えた。
▼
それから三ヶ月。
いくら探しても矢代は見つからなかった。
矢代の両親は捜索願を警察に提出しているが、どこにも彼女の失踪に繋がるような痕跡はなく、期待もできない。
だから、俺だけが彼女の最後を知っている人間だ。
何度も、両親にはせめて事実を話そうと思った。だけど、「かくれんぼをしていたら本当にいなくなってしまいました」なんて、我が子を失った親に言えるはずがない。
結局俺は、矢代が消えた時のことを「酔って眠ってしまって何も覚えていない」としか伝えられていない。
あの日の朝、アカリのところへは行かず、俺は自宅へ戻った。
葉太、健太郎、佐助に連絡を取り、大輝のことを訊こうと思ったからだ。
過去の友人を辿り、ヤツらに繋がる連絡先を入手することはできた。
だが結論から言うと、繋がったのは一人だけだ。
佐々木葉太。
いつからか大輝の取り巻きになっていた彼は、知らない番号からかかってきた時点で俺からだと察したらしい。
「あれは、大輝が暇だからやろうって言い出したんだ。面白いもの見つけた、って。」
「"かくれんぼのやり方"が書いてあった、"かくれんぼ撲滅撲滅委員会"とかいうふざけた名前の団体で。大輝はオカ板で見つけたっていってた。ネットで調べても大輝が見たスレしかヒットしなかったし、単なる釣りだと思ったんだ」
「僕たちは、すぐに五丁目の先の大通りにあるファミレスに行ったんだ。計画では君たちを置き去りにして、ちょっと様子を見たら帰るはずだったんだけど、制限時間少し前になったら突然おかしなヤツが来て、だから慌てて逃げたんだ。あいつ、なぜか僕たちの偽名を知ってた」
「マニュアルのことだって思ったよ。『みんながいつまでも見つからないような場所に隠れてしまうと、みんなのところに絶対に見つける鬼がやってくる可能性があります』って書いてあるんだ。だからそのせいだって」
大輝が見ていたものの正体は、"かくれんぼのやり方"が書かれたチラシを写した画像だった。
葉太も大輝たちと共有していたというそれを送ってもらい、大輝がかくれんぼなんてことをしようとしたのは、本当は十三項にある"通知"を受けたからではないか、と思った。
もしかすると、大輝も巻き込まれただけなのかもしれない。
だとしても、矢代は消えた。おっさんは死んだ。そして、大輝自身も。
だからなんだ。俺は、死んでも大輝を許さない。
ただ呆然とテレビの明かりを目に入れるだけの時間が過ぎて、夕方のことだ。
深夜、一人の女性が車に跳ねられて亡くなったという事故のニュースが流れた。
一緒に若い男性が目撃されていて、彼は事故にあった女性を置き去りにしてどこかへ走り去っていったらしい。
その事故現場が、家からそう遠くない。
女性の名前は、佐藤智香、とあった。年齢は十九歳、美容の専門学生だったらしい。
『特に隠れる理由が思いつかない人は、何かが理由にされます。』
ああ、そうか。と最悪なものが腑に落ちた。
『嘘をついても構いませんが、真実になる可能性があります。』
だったらおそらくこのあと二人分、俺は知った名前をニュースで目にすることになるだろうと思った。
結果はその翌週の金曜日。
大成健太郎が、ひき逃げの致死で逮捕された。
そしてつい先週。
地元で起きた火事の現場から見つかった身元不明遺体が、山河内佐助とその一家のものだと断定された――。
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スマホを立ち上げ、緑地に白い吹き出しのアイコンをタップする。
彼もまた、自分ではない理想の男を自分の顔にしている。
『まずは、ユウジが鬼でいいよな?』
栓が抜けるような間抜けな音とともに、決定通知は画面に張り付いた。
『かくれんぼのやり方についてのお知らせ』を参照。
https://ncode.syosetu.com/n8275hb/