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エドの守り神  作者: すみえだ
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二、運命の導き ②

 朝靄がナルの身体を柔らかく包み込んでいた。冷えた空気に熱っぽい頭がきゅっと引き締まる。ナルは思わずこめかみに手を当てた。

「あんたの話、なかなか面白かったぜ!」

オセルが船上で、片目をつむりニッと笑った。その声に振り返ったナルは苦笑いをして、顔の近くで控えめに手を振った。それに対しオセルの方は太い縄を引きながらも片手を真っ直ぐに伸ばし、ぶんぶんと振る。

「また、何かの機会にさ、一緒に飲もうや。それまでにもう少し酒に強くなっていろよ!」


 港町カーヤオースの船着き場に着き、船はひと仕事終えたようにギイギイと波に任せ船体を揺らしている。その船上では船員たちが荷のやりとりの準備に忙しそうだ。ナルの初めての船旅は終わった。

カーヤオースは大きな港を有する交易都市で、海に注ぐ大きな川とは別に運搬船用に運河も整備されている。人々の暮らしも豊かそうだ。海が人の心をおおらかにするのか、開けっ放し、そんな印象を受ける。

内地側には要塞と呼んだ方が良さそうな堅牢な屋敷が見える。他国や海賊からの防衛も兼ねているのだろう。石を積み上げて造られた壁が坂道上に段々を形成してたくさん連なり、それがまた独特な景観を成していた。ナルは田舎者丸出しで口をぽかりと開けるばかりだった。


 港から延びている緩やかな坂道を登りつつ、ナルは何度となく欠伸を繰り返していた。

町の人々はまだ起き出していないのか、それとももうとっくに出掛けたのか、通りはひっそりと静まり返っている。

「ちょいと、こんな所で寝てちゃダメじゃないかい!」

肩を揺すられて、ナルははっとして飛び起きた。どうやら道の端で居眠りをしてしまったようだ。

豊満でよく日に焼けた中年の女性が、洗濯物であろうか、大きな籠を抱えて目の前に立っていた。

「あ、ああ…すみません」

「いいんだよ。謝らなくても。風邪をひくからね。下手すりゃ凍死だよ。あんた、ここの者ではないだろう?」

ナルのことをひたと見つめているその視線に気付き、少なからず恥じらいを感じた。

服は土埃や炎の損傷でぼろく、おまけに酒臭いのだから。

「なにしに来たんだい?」

ナルが放浪の旅人には見えないためか、世話好きそうな彼女は親しみやすい笑顔を向けた。

人を捜しにきたのです、と答えると、名前は、どんな特徴か、と質問を繰り出してくる。どれにも小さく首を振ると、困った顔でにこりと微笑んだ。

「それなら、市場に行ってごらんよ。今がちょうど賑わう時間さ」

ナルは親切なその女性に恭しく礼を述べ、途中まで登った坂を下り始めた。確かに眼下にはひしめき合う人の姿があり、市場へ向かうらしき人々がナルを追い抜かしていく。

港にも小さな船が幾つも停泊し、そのまま船上で商売をしているものもある。威勢のよい呼び声があちこちから発せられ、嗅ぎ慣れない魚料理の匂いがプンプンする。

あの女性にはあのようなことを言ってしまったが、『カーヤオース』に行く、『友』を得る、それ以外に手がかりはない。ただこうしてふらふらと歩くしかなかった。


 果実のよく熟れた甘い香りが鼻先をくすぐり、ナルはふと足を止めた。そういえば何も食べていない、そう思うと急に腹の虫が騒ぎ出した。

店先に並べられた種々の果物、どれも美味しそうに見える。

見たことのないものもあったので、どれにしようかと迷っていると、ナルより先に手を出した者がいた。その手は屋台の中央の奥、つまり主人の目の前に積まれたリンゴを数個、掴み取った。

その小指で青い指環が相槌を打つようにキラリと光った。


青い指環?

ナルは自分の右手を見た。今のは確かにこれと同類のもの。


「泥棒!」

主人の激しい声にびくついて、ナルは手を引っ込め、背後を見た。リンゴを奪ったその男はサッサッと人を避け、去って行く。主人は慌てて屋台を飛び出し、男の後を追った。頭ひとつが飛び出ていて黒髪が目を引くのだが、人波に阻められて間は開く一方に見えた。

 ナルはあの黒髪を見失うまいとその方向を目で追っていた。足に何かが当り、驚いて視線を落とすと、子供と目が合う。小さな腕で抱えきれるだけの果物を持ち、恐れた表情でナルのことを凝視している。その髪はボサボサで衣服は擦り切れや汚れまみれ、靴はもうその形を留めて無く、顔体にも傷が多数ある。

その子供がコクリと息を呑むのがわかった。早々に泥棒を追うのを諦めて戻ってくる店の主人に目を馳せたその一瞬に、子供はサッとナルの横を通り過ぎて小道に入ると一目散に逃げて行った。

ナルは躊躇いがちに主人と子供が去った小道を交互に見て、黒髪が逃げた方向へと走り出した。否、走ろうとしてかなわず、その苦難さとあの男の慣れを思い知った。

途中で店の主人が「ちぇっ、すばしっこい野郎だ」と愚痴っているのを耳にした。


 林の中の階段を登って行くと、かなり小規模ではあるが、神殿のような古びた建物があった。

シュッと空を切る音がして、ナルは無意識にも投げられたリンゴを受け取っていた。

「なんでつけて来た? 憲兵にでも突き出すつもりか?」

「そんな気はない」

ナルは冷静を装おうとなるべく冷たく言い返し、手中の青いリンゴをしげしげと見て、その後ゆっくり顔を上げて、柵の上に腰掛けて柱に寄りかかりリンゴを齧っているその男を注視した。

「食いな。それとも盗んだものなんか食べられないか?」

「あの子供のために囮になったのか?」

その頃にはナルの注意は黒髪からその冷徹そうな青い目に移っていた。男はちらりとナルを睨め付け、プイッと視線を外した。投げ捨てられたリンゴの芯が地に落ちて泥に塗れる。

「まさか。ガキなんて知らないね。用がないならさっさと失せな。目障りだ」

「ところが、用があるんだ」

「オレにはないな」

「先方にはなくてもこちらにはある。時間は取らせない」

男は柵から飛び降りナルの方に近付いてきた。

「早くしな。こっちは忙しいんだ」

忙しいようには見えないが、その言葉は飲み込む。長身の相手に気圧されないように、すっと顔を上げ氷のような青い目をじっと見据えた。

「指環をしているだろう、青いやつ。見せて貰えないだろうか」

「指環?」

ああ、あれか、というように男は頷いた。

「こんな忌々しいモノ、欲しけりゃくれてやりたいが、そうもいかなくてな。外れないんでね」

「外れない?」

ナルは男の言葉を疑問調で繰り返し、前に出された痩せてはいるががっちりしている手を見た。

右手の小指に青い光を内包したように煌めく指環。

「そういうわけだ。やれないんだよ」

「別に欲しいなんて言っていない」

ナルはそう言い返して、男に指環が見えるように右手を差し出した。

「赤い――――指環」

「僕も同じ。外れないんだ」

男はナルから目線を外し、遠く中空を眺めた。

「それで? 言いたいことはそれだけか?」

「この指環を手に入れた時に現れた老人にここに来るように言われたんだ。そこで友を得られるからと…」

「オレがそのオトモダチだって言うのか? ふんっ。お笑いだな。何処か余所で捜しな。連れなんか必要ない」男はナルを見おろし、さも可笑しそうに片方の口角を上げた。

「特に――お荷物にしかならないような世間知らずのお子様とは御免だね」

「何だって!」

ここまで言われてはナルだって黙ってはいられない。

「こっちから願い下げだっ。こそ泥なんかと一緒にいられるか」

ナルは吐き捨てるように言い、握っていたリンゴを投げ返すと、長い階段を駆け下りて行った。背後でガリッと果肉の弾ける音がした。


 しまった、とナルは舌打ちした。

なめられまい、と強く冷静に対応しているつもりでいたのに結局相手の思惑に引っかかり、取り乱してしまった。


 再び市場に戻って、流されるままに歩き続け、かれこれ何時が過ぎたのか。いつの間にか人通りもまばらになっていた。はじめは雑踏に安堵感さえ覚えたが、人混みに慣れないナルはひどくくたびれていた。少しでも疲れを癒やそうと壁に手を掛けた時、冷たい視線に気がついた。

 石壁に寄りかかり坐る年老いた男。独特な柄に染め上げられた衣服を身に纏っている女。煙草かお香か、嗅いだことのない煙が燻る。陽気な喋り声などなく、静寂が支配し、気のせいか薄暗くさえ感じられる。先程までの通りとは雰囲気がだいぶ違っている。明らかに余所者であるナルを観察するような眼。

どうやら歩きすぎて、招かれざる区域に踏み入れてしまったらしい。

災難を運ぶ者として追い払われる前に踵を返した。


 その瞬間、ナルはまた別の視線を知った。

でっぷり太った女が腰をゆさゆさ振り、やって来る。

不思議な化粧。特徴的な布を幾重にもたっぷり使い、巻き付けるように体を覆っている。吸い寄せられそうな眼でナルをしっかりと見つめ、手招きをする。

目を反らし足早に去ろうとする彼の腕を、その女はぐいっと引っ張った。

「変わった運の持ち主ねぇ」

何事かとおどおどしているナルの手をしっかり掴むと、その手の平を指先でするすると撫でる。くすぐったさに顔を背けた彼をいかにも楽しそうに見ている。

「あんたみたいな身なりの者がここにやって来るなんて、あたしの助けが必要なんだろう? 照れることはないよ。それがあたしの生き甲斐なんだから」

鼻先が触れそうなくらいに顔を近付け、赤銅色の目をそれっぽく覗き込むと「いいことあるよ」とだけ、ニンマリ笑って言いのけた。そして、手を出し「お志を」と足す。

やられた、といじけなく革袋を取り出したその時、指環が鈍く光を跳ね返した。その光に目を眇め、彼女は不意に顔色を変えた。彼女の身体に流れる血が何かを感じ取ったのだろうか。

ナルの革袋から素早く銀貨を拾い上げ、ぎゅっと握りしめると、ひとつ下げた声音で呟いた。

「森にお行き。森があんたを待ってるよ」

「ちょっと、待ってくれ。それはどういう意味…」

どんなに呼び止めても、彼女は知らん顔をした。腰を振り、来た時と同じように去って行く。

「占いはもうおしまい。それ以上は見えないよ」

やっと答えてくれたかと思えば、手だけをパタパタ振った。


森か――――。

ナルは意を決したように歩き出した。





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