表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エドの守り神  作者: すみえだ
4/22

二、運命の導き ①

「あんた…誰だよ?」

「誰? 誰だ、とな?」その男はひゃっひゃっと笑った。「わざわざ出向いてやったというのにその言い草とはのう」

蝋燭の淡い光だけでは姿も様子も満足にはわからない。ただ引っかけるように身に纏っているぼろ布の皺が僅かに照らし出されているのみである。

曲がった背――あるいは身長がひどく低いのかもしれない――と、この口調と嗄声で老人であろうと思われる。頭巾の常闇の中で縦に皺が寄った口がもごもごと動いている。

男はのっそりのっそりとナルに近寄ってきた。

「出向いてやったなんて言われても僕は貴方のことを知らない」

「知らないじゃろうのう。儂もお前さんのことはよう知らんからな。ただわかるのはお前さんの運命だけじゃて」

相変わらず不気味に弧を描く口元。ナルは混乱した頭を更に引っ掻きまわされて苛立っていた。

「運命って?」

「ほれ、右手の人差指を見てみなされ。赤い指環が輝いているじゃろう? それが運命じゃよ」

「この指環、どこから…」

ナルは指環に手を当てて引いた。しかしどうしたことかきつくはないのにびくともしない。

「やめなされ。お前さんがその指環に己を委ね、その運命に従い、使命を全うしない限り、何があろうとお前さんからは離れんよ」

男は笑いを止めて、深い息を吐いた。そしてからかいの様子を消し去り、醸し出す雰囲気からは結びつかない眼差しを見せた。

その鋭い光に体が反射的にびくりと震えた。

「運命とは…炎だ!」

その声は先程見せた目と同様に鋭い響きを持っていた。今までとは全く印象が違う。老人というよりは使命感に燃える若者のようだ。

体の奥底に手を延ばすその光と音で、突然の出現とわけのわからない話に再び夢の世界に呼び戻されたように呆然としていた頭が完全に醒めた。

「炎! 御神火は…村は…」

駆け出す勢いの足を止め、辺りをきょろきょろと調べる。出口らしき場所は赤い岩の隙間しかない。

ナルはゴクリと息を飲んだ。

猫のように這いつくばり、隙間から頭を出して、半ば無理矢理に肩を引き抜いた。顔や手に細かい擦り傷をいくつも負うことになったし、節々に痛みもあるが、それでも抜け出せた。体が大きくなりもう無理だと決めつけていたが、必死になれば出来ないこともない。

「待ちなされ。まだ話は終わっとらん!」

蝋燭の灯りがぐらりと揺れた。


ナルは村に赴いた。

しかしそこには何もなかった。

焼野原さえなく、ただ荒涼とした土地が広がっているのみ。

まるで世界から村をすっかりえぐられてしまったかのようだ。

ナルはその広野を呆然と見つめていた。とはいえ既に視点は定かではなく、目に光はなく虚ろだった。

「待ちなされと言うたろうが…」

ナルはゆっくりとその声の方を振り返った。ゆらり、と霧が凝縮するようにその者の輪郭が現れ、次第にはっきりとしてくる。

「この地を見て何になろう。お前さんが見なきゃならんのは、未来じゃ、運命じゃ、そうだろう?」

「村は…皆んなはどうなったんだ…」

その男は頭巾の中でじぃっとナルを見つめ、やがて口を開いた。

「誰の手も届かない所へ飛ばされたんじゃろう。指環を持つお前さんの存在を恐れ、消し去ろうとしたのじゃろうが無駄だったようじゃな。村を呼び戻すことが出来るのは使命を果たし終えたその指環だけじゃろうよ」

「この指環…」

ナルは右手の人差指で赤い煌めきを放つ指環を見た。

「運命に従いなされ」

胸がかぁっと熱くなり、ぐっと拳を握った。


運命なんて…糞食らえだっ。



 ナルは揺られていた。

上は薄い青色の空。下は深い碧の地――海。

船の縁が地を削り白い泡が立つ。視線の遙か先ではあんなにも碧色をしているのに、船と海が接触する付近は緑色をしている。海はその実、緑なのか…。ナルは波間に浮かぶ模様を飽きることなく観察し、海にいるということを存分に味わっていた。


 今は廻船に乗り、カーヤオースの町を目指している。

手摺に腕を乗せ、そこに顔を沈めて、ぼんやりと水平線を見つめていた。

潮風が打ち付け、既に髪も服もベタベタし、重い。大地と揃いの髪が鬱陶しく顔にへばりついている。

船に乗り、海上を滑っていくというのはどんなに気分がいいものだろうかと、よく想像したものだが、随分前から目眩のような不快さに襲われている。何度も胃の腑のものが込み上げそうになり、数歩であろうとも歩けば気分が善くなるだろうか、と向きを変えた時、ナルはがっくりと膝を折り、その場にへたばった。

「気持ち悪い…」

弱気になるが逃げ場もない。こうしているのが最善に思え、気怠く目を閉じた。だが、頭は真っ白にはならず、何やらとりとめもなく考えている自分に気がついた。


 どれくらいあの場に立ち尽くしていたのだろうか。考えても仕方の無いことだった。時は着実に流れている。ナルとは無関係に。


 村々を繋ぐ道にある芝地までは来たことがある。年に一度、海の方面からの隊商が来て、その期間中は幾つもの村からも品々を持ち寄って売買や物々交換をする。行商もたまにしか来ないような村にとっては数少ない交流の場でもあり、若者にとっては出会いの機会でもあり、ちょっとしたお祭りのようなものだ。珍しい品物と興味深い遠地の話、その時の賑わいが嘘のようなガランとした場を抜けた。

 辻から太い道を選んで進めばその先には町があるが、ナルは近くを流れる川を遡る方角へ足を進めた。

途中で射た獣を売って僅かばかりの金を得て、一泊の恵みを願ったり、どうにか風を避けられそうな場所を見つけられれば野宿も厭わず、幾日もかけて歩き続けた。

そうしてやっと、道標にしていた川とそれより少し大きい川とが合流する所に辿り着いた。荷を換えて川を下って海辺に戻る小舟を探し、兎と山鳥を代金に乗せてもらえないか交渉した。

そこまで行ければあとはカーヤオース行きの廻船を見つければいい。


 川を下っていくとだんだんと風の匂いに潮の香りが混ざり、濃くなっていった。

魚や海藻を干す匂い、そこには慣れ親しんだ森の匂いはなく、海で満たされている。

視界いっぱいに広がる海、というものを見るのも初めて。

 不思議な心境だった。村が消え去り、奇妙な老人の出現、勝手に運命などと語られ、戸惑いや怒りを覚え、吐きどころも理由もわからない憎しみすら感じていたが、どうだろう、海岸に出て海を見る、ただそれだけでナルの心に新たな感情が割り込んできた。

海の向こうに行ってみたい。

しかしそんな浮ついた気持ちも長くは続かなかった。村、運命、そんな言葉が頭を支配して、またどうにもらならない苦しみに苛まれる。

反抗心も抱いたが、ナルがとれる行動はただひとつしかなかった。


 廻船は古びていて、手摺は磨り減り、塗装は剥げたままの箇所がある。それでも初めて海上の船を間近で見るナルにとっては立派で、威厳すらあるように感じられた。


「おい、大丈夫かい?」

「え、ああ…」ナルはろくな返事も出来ず、虚ろな目をその人に向けた。

「おれはオセルっていうんだ。船員だよ。あんたは?」

「…ナル…」

オセルと名乗った男は首を縦に振り、マグカップを手渡した。中身も確かめずに口をつけたことを、少しばかり後悔した。

「それでも飲んで、ゆっくり眠っちまいな。なに、港に着けばたたき起こされるさ」

舌がピリッと焼け、一瞬頭が冴える。ナルは赤い汁をしげしげと眺め、一気に呷った。

「おっ! いくね」

陽気なオセルに礼を言い、ナルは千鳥足で船室に向かった。早くも酒に酔った訳ではない。ただ船酔いがひどかったのである。


 男達の陽気でがさつな大声が頭にがんがん響いていた。

明日の朝に港に着くように、船は錨を降ろして海の真ん中で停泊中だ。

海は穏やか。濃紺の空と海とはその境目が全くわからない。見分け方は星が瞬くのが空、松明の炎が照り映えるのが海だ。

そんな静寂とした夜にこの船室は非常に騒がしかった。酒盛りのテーブルを何故かナルも囲んでいる。

ほら話の好きな海の男達のこと、素っ頓狂な話が次々に飛び交う。始めは面白く聞いていたが、ここまでくると呆れるしかない。嘘だか本当だかわからない冒険談と女の話に花が咲き、がははと笑ったり、茶々を入れたり、突然合唱したり…。

 思えばあの時気持ちよく眠ったままでいればよかったのだ。オセルがくれた酒のお陰ですっかり気分が良くなり、そのまま眠りに就いたのだが、ふと目が覚めて、甲板に出て夕陽と海の美しさに見惚れていたのがこの不幸の始まりだった。そこでオセルと顔を合わせ、あれよあれよという間にこの有り様。

 ぼんやりと酒杯を眺めていると、ナルにお声がかかった。

「よう、なにか話してくれよ。さっきから聞くばっかりだろ」

「僕が?」

「応とも」

何もない、と断ったところで簡単に許す輩ではあるまい。

ナルは口元を押さえしばらく考え込んだ後、ため息とともに「それじゃあ、」と言葉をきった。

即席で皆が喜ぶような話を作れるほど想像力も豊かではないし、こういう場に慣れてもいない。どうせ夢のような話、誰も信じたりはしないだろう、と高をくくりこの船に乗る経緯を語ることにした。

「ほう、岩で塞がれた洞窟にそんな女神様が在るのか」

「美しくてね」

「なんだぁ? 石像が好きなのか? あんな固くて笑いもしないもの」

既に酔いつぶれた者がそう野次を飛ばした。彼の前の酒袋はすっかり空になり、周りの者からひったくっては飲んでいる。

「そんなんじゃないさ」

ナルは当惑もせずに否定した。

自分しか知らないということで愛着はあったにしろ、『好き』とは違うであろう。あっても敬愛とかだ。

話を進めるにはどうしたってあの忌々しい老人を思い出さなければならない。


「カーヤオースに行きなされ。そこで友を得られるであろう。そして己の運命もわかるはずじゃ」

そう言い残して濃い影に変異した老人が霧散する。

「待て! あんたは何なんだよ!」

「儂か? お前さんが見ているのは影、お前さんの想像したモノ、ここに儂は存在せんのよ」

「存在しないって…何者なんだ?」

「儂はな…つむじ風じゃよ」

霧の晴れた荒野にしわがれ声のみが響く。

老人が消えた跡には、それがせめてもの厚意なのか、愛用の弓と矢筒、外套が置かれていた。

村は何処へ消えたのか。その在処を探し、元に戻す方法を求めなければ。

村をなくしてはナルの居所だってないのだ。癪に障るがあの老人の言葉に従うしかない。


 皆は生きている。何処かわからない場所に移っただけで、無事に、元気に暮らしているに違いない。

そう思わなければ虚しい…。

胸を押し潰す焦りがじわじわと迫ってきた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ