合わせの頃合い
前作に『山茶花の咲く頃に』があります。
二人の馴れ初め編。よろしければそちらもどうぞ。
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平日最後の金曜日。片手には少々大きなバッグ、もう片手には手土産に買ってきたシュークリームの入った袋。
それぞれをしっかりと持ち、通い慣れた庭にお邪魔した。
家を囲うように植えられた山茶花が、今年もたくさんの白い花を付けている。
毎年のことながら圧巻。見るたびに心が洗われるのだけど、同時に気恥ずかしさも出てくる。
6年通った月日の出来事を、この山茶花達はすべて知っている。
そして、ひとつだけあるピンクの山茶花も。
(……やっぱり開いてない)
玄関の引き戸はいつも通り施錠されていた。
防犯のためだとこの家の主人は言うけれど、単に他人とのやり取りを避けるためだと私は知っている。
仕方なく、これまたいつも通りに、玄関から座敷の方へまわった。
縁側のガラス戸に手をかければ、こちらは施錠されておらず。これも、いつも通り。
遠慮なくお邪魔させてもらった。
座敷の真ん中、円筒型の石油ストーブには火が入っている。けれど、件の主人は不在だった。
肩透かしを食らったが、それもよくあることで気にはしない。
置いてあるこたつに足を入れ、スイッチを入れてしばし。
体がぽっぽと温まった頃に、部屋の外でとたとたと足音が聞こえた。
スッと襖が開いて、第一声。
「わっ。いつ来たの」
驚かれた。
この家の主人である彼は、手に持っていた薬缶をストーブの上に置いた。
ジュッと水滴が踊る。
「ちょっと前。縁側から、お邪魔してまーす」
「また縁側。玄関からおいでよ」
「だって、鍵、開いてないんだもん」
「チャイム鳴らせばいいのに」
そう言いながら、彼は座敷を出て行ってしまった。開きっぱなしの襖から冷たい空気が流れ込む。
彼が向かった先はおそらく、台所。
食器のカチャカチャという音が静かな家の奥から聞こえた。
(チャイムを鳴らせば、と言うけれど)
在宅勤務の彼は、不規則な生活をしていたりする。
朝方まで仕事をし、夕方まで睡眠をとっていることもしばしば。それを邪魔してしまうのは気が引ける。
それに。
(縁側が開けてあるのは私のためだって、知ってるから)
とたとた、カチャカチャ、と音が近づいてくる。
急須セットのお盆を片手に彼が戻ると、ようやく襖が閉じらた。
「そうだ、お兄さん。お土産にシュークリーム持ってきたよ」
「ありがとう。手ぶらでいいのに」
袋を見せると、彼は私の荷物にも目を留めた。
「今日、泊まってく?」
「うん。仕事で邪魔になるなら帰るけど」
「大丈夫。そんな気がして、終えておきました」
急須を揺らした彼は、湯呑みにととと、とお茶を注いだ。ほのかに甘い香りが漂う。
山茶花のお茶は、私たちにはすっかりと定番となっていた。
「徹夜した?」
「さっきまで寝てたよ」
「無理しないで」
「君が来るなら頑張れるよ」
はい、と茶托に湯呑みが置かれた。
さりげない言葉に彼は照れることなく、シュークリームも小皿に取り分け始めた。
(お兄さんって本当に……読めない)
私の前にシュークリームが置かれる。
その引っ込んでいく手を目線で追い、彼の顔を窺った。
言葉ではいくらでも好意を向けてくれる。
ただ、彼がその好意を行動に移すことはとても少ない。雰囲気に流されて、とか。記念の折に、とか。
必要な時には触れてくるが、付き合っている上でそれが日常的になることがない。
(キスだけ、なんだよね……)
手を繋いだり、抱きしめられることはある。
それ以上に踏み込んだ触れ合いとなると、キスだけ。
彼は、頑なに私に手を出してこない。
「ん? どうしたの?」
早々にシュークリームを平らげた彼が私を見返した。
不安はない。不満はちょっとある。
それは、大学の友人に相談する程度には。
提案された解決方法を、私はおずおずと切り出した。
「……お兄さん、ゲームしない?」
❇︎❇︎❇︎
14枚のカードにはそれぞれ質問事項が書かれている。それを裏返してこたつテーブルの上に並べた。
手札には13枚のカードを持ち、こちらには1〜13の数字が記されている。
「並べたカードを1枚ずつめくって。質問が書かれているから、YESなら偶数のカードを。NOなら奇数のカードを質問カードに重ねて捨てて」
「最終的にどうなるの?」
「お兄さんの気持ちがわかるよ」
「心理テストみたいだね」
「そんな感じ」
とりあえずやってみるね、と彼は1枚目のカードをめくった。
質問カードには『二人の出会いを覚えていますか?』とある。
「あぁ、なるほどね。こんな感じか。じゃ、君も一緒にやろうよ」
「えっ。私も?」
「僕も君の気持ちが知りたいし。二人でやった方がゲーム性があるでしょ」
彼はあまったカードから手早く1〜13のカードを抜き出し、私に持たせた。
「捨てるカードは裏返しで見えないようにしてさ、あとで答え合わせしようよ」
そう言うと、迷いなく手札のカードを質問カードに重ねて捨てた。もちろん裏返し。
「ほら」と促され、私も同じように捨てた。
そこからは単調に進む。
カードをめくってはお互いにカードを捨て、まためくる。
彼が時折りふふっと笑みをこぼすが、そのたびに私は気恥ずかしくなった。
「これ、君が作ったでしょ。僕らの過去を見てきた質問ばっかりだ」
「だ、大学で流行ってるから……」
「へぇ。アナログなのが流行ってるんだね」
またカードをめくる。
二人で過ごした些細な出来事を質問され、彼は淀みなくカードを捨てた。
質問カードはあと3枚。
右か真ん中を迷って、右をめくった。
彼の手が初めて止まる。
「これは。攻めてきたね」
私は2枚の手札で心許なく顔を隠した。
質問カードには『私を好きですか?』と書いてある。
彼はカードを1枚捨て、残り1枚。
「はい、君もカード選んで。なんなら僕が選ぼうか?」
「それじゃ意味ないでしょっ」
染まる頰を諦めて見せると、彼は柔らかに微笑んだ。
私は勢いでカードを捨てる。
質問カードはあと2枚。
手札はあと1枚。
吉と出るか、凶と出るか。これは私の運試しだった。
「最後の1枚。めくるよ」
右か左。
彼は順番に指をさし、左を選んだ。
質問は。
「……僕、もしかして試されてる?」
残った1枚の手札で口元を隠した彼は、恥ずかしげに目線を泳がせた。
私も同じく手札に顔を伏せる。上気した頰は、ストーブの上の薬缶よりも湯気を出しているかもしれない。
選んだカードには『キスしたい?』と書かれていた。
「これ、手札が足りなくて違う答えだったらどうするの」
「それは……数が合うように質問を調整したから……」
「策士だなぁ」
じゃあ、と。
彼は私がさりげなく手元に寄せて隠していた、本当に最後の質問カードをさっと抜き取って表に返した。
質問は、どれよりも核心をついたもの。
「……ふふっ。まさか、こんな」
「わぁ、もう。そのカードはダメ!」
すぐさまカードを取り上げようとしたけど、それよりも早く彼の手が動いた。
眉を下げてまじまじとカードを見る表情は、見惚れるほどに優しく笑んでいる。
「僕、もしかして不安にさせてた?」
「だ、だって。お兄さん、全然それらしいことしないから」
「ごめんね。君、まだ学生だから……」
ちらりと私を見て、次いで壁に掛けられたカレンダーを見た。
少し間があって、彼が口を開く。
「来年の3月で卒業だよね?」
「え? うん、そうだよ」
「じゃあ、もういいかな」
立ち上がった彼は居間を出て、自室へ。
残された私はぽかんとその背を見送った。
そして、戻ってきたその手に注目する。
「これ」
差し出されたものに、きょとんとした。
小さな箱は、いくら見てもその箱にしか見えない。
「さっきの質問カードの答え。手、かして?」
「う、うん……」
私の左手を取った彼は、箱から取り出したものをそっと薬指にはめた。
輝く石は控えめに、それでいて存在感を放つ。シルバーリングが、ぴたりとはまった。
うん、ぴったり。
彼は満足そうに頷く。
「もちろんキスもしたいけど。いろいろと大変なんだ」
「いろいろって?」
「一線。引いてるつもりなんだけど。君はまだ、学生だから」
「……学生だと、だめ?」
「ううん、そうじゃなくて。僕の問題」
私は首を傾げる。
「隔たりなく、君に触れたくなってしまうから。めちゃくちゃにして、僕だけのものにしたい。というか、絶対にするんだけど」
「っ!」
「今はダメでしょ? だから、その我慢。でも、気持ちだけは伝えておかないとね」
彼は私の両手を握ると、真正面から見据えた。
いつもは見ないその色。頰に、私もつられる赤を差して。
「受け取ってくれる? って言っても、プロポーズは先を越されたようなものだけど」
「プロポーズ……」
彼は片手をはなして、質問カードを手に持った。
私に見せつけるそれには、きっと私と彼にしかわからない合言葉が綴られている。
「誓うよ。君に。卒業したら、僕と結婚してくれますか?」
彼に向けたカードは、今度は私に問う。
『ピンクの山茶花の花言葉を、誓ってくれますか?』と。
私は彼の持つ質問カードを同じく掴んで、震える声で答えた。
「…………はい」
かつて、彼の祖父が祖母に向けて植えたというピンクの山茶花。
それは愛の証であり、愛の誓いである花言葉を秘めて。
『永遠の愛』を。
二人で誓って、確かめるように抱きしめ合った。
タイトルの『合わせ』は婚姻の意味です。
以下、本文に入れようか迷ったその後の会話。
切るのももったいないのであとがきに。
❇︎❇︎❇︎
「今夜は大変だ。僕の理性がすごく試される」
彼の腕の中、頭の上から聞こえる言葉にどきりとした。
今日はお泊まりだと先に伝えていたし、ある意味で一線を越えてしまった私たちにはそれを避ける必要は、実はない。
「お兄さん、そんな感じなの……?」
おずおずと、そう問いかける。
「君と出会って6年。気持ちが通じてもうすぐ4年。ずっと我慢してるよ」
「でも、そんなに我慢できたなら」
「何言ってるの。僕のプロポーズに君は『はい』と答えたんだ。本当は今すぐめちゃくちゃにしたいくらいだよ」
心臓に悪い。
激しい鼓動が私の体を微かに揺らし、その振動が彼に伝わっているのではないかと心配になる。
硬直した私に、察した彼は声を落として囁く。
「……安心して。卒業までは我慢するから」
「あの、なんか。……ごめんね」
「大丈夫。卒業後には、全部僕のものになってもらうから」
意地の悪い声色にぞくりとしながら、髪を絡め取る指はいつも通りに優しい。
ギャップに酔いしれる。
(こんなお兄さん、知らない)
初めて男を越えた獣を垣間見た気がした。
この先、卒業を迎えたら。
(私は耐えられるのかな……)
想像もつかない甘さにひとり緊張して、彼の胸にぎゅっとしがみついた。