よくあるざまぁのそのあとの話 ー負け組編ー
前編
元侯爵家の三男・ディルク。家から絶縁され、最後の情けとして与えられた仕事である田舎の役所に勤めていた。
後編
男爵家から娼館に売りはらわれたサーシャは、相変わらず男に媚びるだけの生活を送っていた。
「お前また!ここ!間違ってんだよさっさと直せ!」
そう怒声とともに投げつけられた書類が宙に舞った。
「くっ…」
屈辱をこらえながら床に散らばったそれらを拾い上げる。這いつくばるようにして絨毯も敷かれていない汚い床に落ちた紙を拾い、汚れを払い落とす。
なじみのある上質な真っ白い紙ではなく、ごわごわした黄ばんだものだ。
「どうしてこの私がこんな…」
「グダグダしてねぇでさっさと修正して出し直せ!終わんなきゃ昼飯抜きだからな!」
「…。クソッ。」
もとは侯爵家の出自を持つ私が今いるのは、とある子爵家の領地を管理する役所。ここに届けられるのはその地域の納税状況や住民の訴えをまとめたもの。ここにいる者たちはそれをまとめ、緊急性の高いものや重要なものを抜き出し領主官へ報告するための準備をし、それ以外のものの処理をおこなう。ばらばらに届く納税書をまとめ計算し、脱税やその他の不正がないのかを確認する仕事だ。
税といえば収穫期のみかと思っていたが年中何かしらの納税や支払いがあり、一年を通して大量の書類の処理に追われる。
今私が投げつけられたものもそのうちの一つで、今期の通行税をまとめたものだった。
そこまで栄えている町ではないとはいえ、一年の通行者は1万人を超える。それを月ごとにまとめているでもなし、ただ紙に通った順に人数と金額を記載してあり、余白がなくなったら次の紙に書いていっているだけのものを月ごと集計し、送られてきた金額との差異を確認しなければならない。間違っているといわれても、計算が間違っているのか、元の用紙の記載が間違っているのか、徴収した金額が間違っているのか、送られてくる途中で中抜きが発生したせいで金額が合わないのか。
それを一つ一つ確認しなければならないなんて、気が狂いそうになる。
当然何時間かで終わるようなものではない。それをこいつは、終わらなければ食事をとらせないという。
「クソッ…これはあってる。これも。…どこが違うっていうんだ…!」
実際間違いなんてなくて、ただ嫌がらせでこんなことをしているのではないか。ここにいる役人は貴族出身ではなく、比較的裕福で教育を受ける機会に恵まれた者たちからなる。そのような者たちからしたら、問題を起こして飛ばされてきた元貴族なんて格好のいじめの的だろう。そうだ、そうに違いない。ほんとは間違っていないのに突き返してきたのならば、このまま再提出してやればいいだけだ。そうと決まれば…
「はぁ…ほんっと成長しねぇよなお前。それ。そこだよ。5月の採算が合わねぇ。一枚計算してないだろ。だいたい2000クラウンほど少ないんだよその表だと。2000クラウン分っていえばだいたい提出されるリスト一枚分だ。よく探せ。」
「え?あ…本当だ。しかし提出されたリストはこれで全部だ。すべて記入済みのはずだ。」
「だーかーらー!確認しろっての。何も一から十まですべて確認しなおせってわけじゃない。ところどころ、要点だけ確認するだけでも全然違うんだよ。試しに。5月の用紙だけ取り出して、1枚2000クラウンだとしてだいたいで計算してみろ。」
真剣な口調に反抗する気も起きず、いわれるがまま計算してみる。
「…。24000クラウン。計算より1850クラウン多い…。」
「そういうこった。200、400多いとか少ないなら多分問題ねぇよ。だが4桁になっちまったら自分を疑え。特にだいたいで出した数字より実際計算した数字のほうが少ないときはな。」
「…もう一度計算します。」
「おう、他の月は問題なさそうだからそこの月だけだ。それだけなら昼飯までに終わるだろ。さっさとやれ。」
その後はそいつも私も無言で書類に取り組んだ。
少し時間を過ぎたが、あいつの言った通り昼ごろに終わった。できた書類をあいつ…上司のもとへもっていく。
「言われた通り計算しなおしたら、5月の計算が1900クラウン少なかった。月合計を修正して、通年の金額も直した。これでいいか。」
「確認したのはそれだけか。ほかの月は?」
「…だいたいで計算してみた。多くても300以上のずれはなかったから大丈夫なはずだ。」
「そうか。ご苦労さん。」
そういうと上司は内容を確認することもなく保管用の箱に書類を放り込んだ。
「私が言うのもなんだが、確認しないのか。」
「あ?お前が確認したんだろ?きちんと金額も言えるだろ?」
「まぁ。そうだが。」
「なら問題ねぇじゃねぇか。ごちゃごちゃいうくらいなら行くぞ。昼付き合え。」
そういうとこちらの返事も聞かず立ち上がり、歩き出す。
あっけにとられて立ち尽くすと「早く来い!!」という怒鳴り声が飛んできて慌てて後を追うことになった。
昼食を取りながら分類ごとの確認方法や要点、よく問題になる安いところなどをとうとうと語る上司にうんざりしながら食事をとる。ガチャガチャと音を立てながら、ものをほおばりながら語るその姿に、なぜだか前より嫌な気分がしなかった。
「だからさっさと確認して提出しなおせって言ってんだろこののろま!」
「こっちだって確認したっての!そのうえでこの結果なんだからさっさと監査隊出して不正調査しろって言ってるんだ!」
「ハッ。ついこの間までろくに計算もできなかったお坊ちゃんが偉そうに。間違ってたらどうなるかわかってんだろうなぁ!?」
「何か月前の話を言っているんだ…。上等だ!貴様こそ間違っていたら今度昼飯をおごってもらうからな!」
「まーたやってるよあの二人。今度はどっちが正しいと思う?」
「自分は班長っすかねぇ。前回はディルクさんでしたし。今回は班長じゃないっすか?」
「でもここ最近ディルクさんの書類ミス全然なかったからなぁ。俺はディルクさんで!」
「よっしゃ。何クラウンかける?」
「自分は10で!」
「俺は15!行けると思うんだよなぁ!」
「「お前ら 俺 / 私 で賭けてんじゃねぇ!!!!」
そんな馬鹿な奴らと一緒になって働きながら、私はずっと満たされなかったものが満たされていくのを感じていた。何が足りなかったとかそういうことはうまく言葉にできないが、私はようやく、居場所を見つけた気がした。
ここに来た当初、家族に見捨てられたと、ここで働けと言われたことは何の罰だと思った。
愛していたサーシャと引き離され、会いたければ働いて借金を返せと言われた。
サーシャのことを思い出すとリリエレールのことも思い出してしまう。あの日、自分の人生が、信じていたものがひっくり返るきっかけの日。私は心の底からサーシャのことをいとしく思い、婚約破棄を切り出した。今思うとあの頃の私は何も見えていない愚か者だったのだろう。少しでも分別のあるものからは、サーシャの言葉に踊らされる道化のように見えていたに違いない。
確かにサーシャは私を肯定してくれたし、愛していると言ってくれた。だがそれだけ。私のために何かをしようとしたことなどないだろう。私の知る限りなかったし、知らないところでもないと言い切れる。
彼女が欲しかったのは金の湧いてくる財布だったのだと今ではわかる。
もし私の思うとおりになって、サーシャと結婚し辺境伯になったら。私は幸せだっただろうか。
今のこの充足感は得られたのだろうか。
少し考えて、意味のないことだと思いかぶりを振る。
今の私の仕事はここにあって、馬鹿な仲間といけ好かない上司とともに領民のために働く。
それでいいじゃないか。
私は私なりに幸せだ。
「クソディルク!いつまで油売ってんだ!お前も監査に同行しろ!てめぇが言ったんだ。ちゃんと証拠押さえて来いやぁ!!」
「はぁ?行けるわけないだろう!まだ先月の滞納者リストが残っているんだ。」
「ナサがやる。…ここらで監査を経験しておけ。この先必要になる。」
「…どういうことだ?」
「お前は優秀だ。こんなとこにいるよりもっと上のほうがお前の力を活かせる。監査に同行し、仕事を学んで来い。」
「…わかった。ありがとう。」
「礼はお前の仕事を肩代わりするナサに言うんだな!おいナサこっち来い!仕事だ!」
「何すかもぉいっぱいいっぱいですよぉ!!!」
「うるせぇ泣き言言うんじゃねぇ!やれっつったらやるんだよ!」
しでかしたことの責任は取り切れないし、どう取ればいいのかわからない。だから自分のできることを全力を持ってやっていく。いつか、もう一度リリエレールと言葉を交わせる立場にまでなったら、今度こそ自分の言葉で謝ろうと思う。
ー後編(サーシャ編)ー
「どうしてこんなことに…。」
何千回言ったか分からない言葉がまたこぼれる。
ディルクと結婚して一生贅沢に幸せに暮らせると思ったのに。何が何だかわからないまま実家の男爵家は辺境伯家から請求された多額の借金を払いきれず、私を娼館に売った。
かろうじて高級娼館に分類されるところだったため、一晩に何人もの男と寝る羽目にはならなかったが、以前だったら絶対に相手にもしない奴に媚を売り、体を許す。
最初の客は50過ぎのジジイ。私が処女じゃないことを知って激高し、無茶苦茶しやがった。
それでもう二度とこんなことしたくないって言ったのに、やらなかったら中級や下級の娼館に売り飛ばすって支配人に脅されたから仕方なくその後も客を取り続けている。
毎晩かわるがわる私の体を求めて男たちがやってくる。
媚びて、寝て、媚びて。毎日毎日その繰り返し。最初は屈辱的だった行為にも何も感じなくなっていく。
本来、ここにいるのはあの憎たらしいリリエレールだったはずだ。ディルクに捨てられ、行くところがなくなったあの女を娼館に売り渡し、そのお金で贅沢なドレスを仕立ててやるつもりだった。
だってそれがシナリオだったから。
前世、女子高校生だった私はそこそこかわいい容姿を活かして円光していた。たくさんの男の一人がたまたまとあるR18のゲームのファンで、私に内容について耳にタコができるくらい語ってきていたのをこれまたたまたま覚えていた。
学園でいちゃらぶしたり、気取った貴族女が娼館でぐちゃぐちゃにされているのは割とざまぁ見ろって感じで好きだったから、多少興味を持って聞いていたおかげかな。
学園では、知っているシナリオ通りに進んでいったから、このままハッピーエンドまっしぐらだと思っていたのに。
「おい何ほかのこと考えてるんだ。」
「きゃっ…んぐ…。」
頭をつかまれ喉の奥まで突っ込まれる。こんなのにももう慣れた。前にもやってたし、何度もこんな扱いをされてればさすがにね。最近、私の客はこんなのばっかりだ。たまにちやほやしてくるやつもいるがすぐにいなくなる。「つまらない」だの、「心がこもってない」だの。
金で女を買いに来た男の分際で何を言ってやがる。
「あんた、いつまでもそんな態度でいるといずれ客がつかなくなるよ。」
ある時、年配の娼婦からそんなことを言われた。
「何言ってんの。そんなわけないじゃない。常連みたいなのもできてるし、毎日毎日忙しい。実際あんたみたいな年増より客ついてるわ。」
「今の話をしてるんじゃない。これからの話さ。若い小娘をなぶるのが趣味のやつらは、もっと若いのが入ったらあっさり乗り換える。そうなる前に、あんたのお客をつくらなきゃならない。わかってんのかい。」
「あーもーうるさい。私疲れてんの。あんたの言う、なぶるのが趣味のやつらの相手してくたくたなの。ひがむなら私のいないところでやってくれない。」
「はぁ…もういいよ。無駄なことを言ったね。お休み。」
何よあいつ…憐れむような眼をしてた。私がそんなにかわいそうに見えた?あんな年増女に同情されるなんて…!
それから私は、その娼婦の客を狙って落としていった。ちょっと胸をはだけてしなだれかかればホイホイついてきた。あの女も何も言わず見てるだけ。ざまぁみろ。客が減って困るのはそっちだ。私はあんたなんかよりずっと魅力的なんだから。
そう思っていられたのは短い時間だった。
奪ったはずの客たちはいつの間にかあの女のもとに戻っていった。
もともといた私の客は今は新しく入ってきた別の子に鞍替えしていった。
私のもとにはたまに思い出したように来る変態どもしか残らなかった。
「なんで…。なんでよ!私なんだってやった。なんだってやらせてあげたじゃない!なんで私よりもあんな不細工の、若さしかないような女のほうに行くのよ!」
「あの時言った通りさ。あの人たちはあんたの客じゃなかったんだよ。」
いつの間にいたのか。あの娼婦が言った。
「あんたは媚びるばかり、その場限りの言動しかしなかった。あんたを求める客を作れなかったんだ。」
「うるさい…うるさい!そんな目で見るな!私は…私は!!」
「ここはただ女を売るところじゃない。男に安らぎと一夜の夢を売る場所だ。それが高級娼館というものなんだよ。お前のやっていることは下級娼婦と同等だ。ここの客はそんなものを求めていないのさ。」
「私が下級娼婦だって言いたいの!私はここの誰より美人じゃない!そんな私が下級だって!?」
「下級娼婦でも怪しいもんさ。求められれば寝る。金のために。そんなのはただの売女だ。娼婦ですらない。」
「あんたに何がわかるの!」
「わからないね。私が努力もせずここにいると思うかい?あんたはただ嘆くばかりで何もしなかった。そのつけを払わなきゃなんない。」
「勝手なこと言わないで!」
「勝手かどうかはすぐにわかるだろうよ…支配人がお呼びだ。すぐ行きな。今日は客もいないだろ。」
「…っ!行くわよ。行けばいいんでしょう!」
肩を怒らせ立ち去る私の背をじっと見つめ、その娼婦は小さくため息をついた。
「居場所は自分で作らなければ、みじめになるだけだというのにねぇ…。最後まで気づかないんだろうね。あの子は。」
「総支配人。お呼びと伺いました。」
「ああ。」
無表情の支配人は入ってきた私に目をやると、立ち上がり近づいてきた。
「なにか…きゃあっ!」
彼はあろうことかいきなり私の肩をつかみ、ソファーへ押し倒してきた。
強い力で引っ張られドレスが裂ける。胸元の布が取り払われた。
あぁ、この人も私の体が目当てか。
「あっ、そんな。言ってくださればいくらでもお相手しますのに。お好きなようにしてください。わたし、ずっとあなたのことが大好きだったんです。」
その言葉を聞いた瞬間、支配人の動きが止まる。
ふふ、この人さえ落とせればこの娼館の地位は安泰。もう客を取れなんて言われないかもしれない。そう、ほくそ笑んでいると。
「やはりな。お前を買うべきではなかった。お前はこの娼館にふさわしくない。」
支配人からかけられたのは思いがけない言葉だった。
「この娼館は、ただ体を売る女はいらん。」
「求められればいつでも、誰とでも。私に言った言葉と同じ言葉を何人に吐いたんだ。」
「いっそすがすがしいほどにくだらない女だな。」
この私にかけられていいはずのない言葉の数々。
私はほんとなら、この男には手が届かないくらい高貴な身分になっていて。そんな私をこんな風に言うなんて。
「明日、他の娼館にお前を売る。多少はお前に使った金の足しになればいいが。明日の朝までに荷物をまとめろ。ああ、だが持ち出していいのはお前がここに来る時に持っていた持ち物と、ここにきてから買った服を一着だけだ。他はこの娼館の持ち物だから勝手に持ち出すことは許さない。」
「ここに来た時の持ち物なんて、残ってるわけないじゃない!そんな、どこに売ろうっていうのよ!」
「お前が口出しできることじゃない。さっさと行け。不愉快だ。」
それから私は、ずっと下級の娼館に払い下げられた。
そこは避妊や感染症対策も徹底されていないうえ、一晩に何人も客を取らされる。食事も寝どこも比べ物にならないほどにひどい。
でも逃げ出すこともどうすることもできず、言われるがまま客を取る。
いつか孕むか病気になるかする時までずっと。
私は、どこでまちがったんだろう。
幸せになるはずだったのに。