38話 貴方の力になりたい…
いつも通り、花南音視点となります。
内容的には、前々回から続いています。
父は…口元をピクピクと痙攣され、言葉を失われており、またわたくしも…あまりにも準備の良い彼に、固まっておりました。彼から受け取った書類を拝見され、固まられた父に…彼は、満面の笑みで声を掛けられます。
「乃木社長。これで、僕が本気だと…理解していただけましたか?」
「「………。」」
八代様の真剣な瞳に、わたくしと父は…顔を見合わせ、父の困ったような表情と、わたくしの困惑した表情で、アイコンタクトを取りまして。父は、彼のご両親にご連絡を取られるようで、席を立たれます。彼のご両親の本意を確かめられる為に。それが…偽物かどうかを疑う訳ではなく、このように書類を用意されましても、会社を経営する社長と言う立場で、本当にこれでいいのかと、文書の真意を問われる為に、ご連絡をされますのよ。
父は以前にご本人から頂いたと言う、名刺を秘書に用意させ、先ず秘書に電話で連絡を取らせてから、ご自分で真意を確かめられておりました。その間は、社長室の隣にある秘書室にて、お電話されておりましたので、社長室では…八代様とわたくしの2人で、待っておりましたのです。
「…何故…それ程に、この会社に…拘られるのですの?」
「僕は、君を……助けたい。その為なら…僕は、何でも出来るよ…。」
「………。以前に…何処かで、お会い致しましたかしら?」
「……いや。……無いよ。今は……。」
「??」
わたくしは…思い切って、2人っきりになりました時に、満面の笑顔をされている彼に、疑問を投げ掛けましたのよ。果たして…この答えは、意味のないもので…。わたくしを…助けたい?…わたくしの為にならば…何でもされるとは?…何のことやら、全く理解できません。まるで…わたくしのことを、以前から知っておられるような言葉で。
どうしてそこまで、わたくしのことを?…わたくしの何を、知っておみえなの?…八代様は、歯切れ悪く…意味の分からない事を、仰られるだけで。その後は…黙ってしまわれて。唯…その時の八代様は、これ以上もないくらいに悲し気な、今にも泣きそうなお顔をされておられて…。わたくしの方が、見ておりますのが…辛くなる程でしたわ。本当に…わたくしと、お会いしたことがないのですか?
電話を終えた父が戻って参りまして、彼とのお話は…中断しましたの。いつの間にか、気持ちを切り替えられた八代様は、もうすっかり落ち着かれておられまして。泣きそうなお顔は、演技だったのでは?…と、疑ってしまうぐらいには。父もわたくしも、彼の真意がどこに向かっておられるのか、よく理解出来ないまま、父は了承するしかなくて…。そして、わたくしも同様に…。
父が了承致しますと、彼は…わたくしの方を振り返られます。わたくしの顔をジッと、不安そうに見つめられ…。わたくしが了承の意味で小さく頷きますと、彼は心の底から安心したと言うように、ホッとした表情をされ、わたくしに笑顔を返されます。「ありがとう。」と仰って。わたくしには…お礼を言われる覚えも、ございませんのに…。
「今日はお願いに来ただけだから。」と、八代様は嵐の如く帰って行かれました。わたくしも父も、暫く…気が抜けたようになっておりましたわね…。ですが、気持ちを入れ替え、父はそのまま社長室に、わたくしはいつものように、開発室への向かったのでしたわ。
「あれっ?…副取締役。今日は、随分と遅かったですね?…もう、ここには来られないのかと、思っていましたよ?」
「そうですね。副取締役が遅れて来られるとは、珍しいですね?…何かあったんですか?」
「…ええ。少し…取り込んでおりまして。今まで…社長室におりましたのよ。」
『副取締役』とは、わたくしの会社での役職名ですわ。実は…わたくし、この会社では『福取締役』と呼ばれておりますのよ。この開発室に入り込んだ当初は、当然の如く、『お嬢様』と呼ばれておりました。しかし、これでは、何か不測の事態がございました時に、他者の人間に聞かれると…不味いという事になりまして、何か違う呼び名をお願いしたところ、今の呼び名となったのですわ…。
何故、この呼び名となりましたか…と申しますと、社員らしく役職名を…となりまして、出来れば…副社長や専務などではなく、存在しない新たな役職が良いと、副取締役という役職名が我が社には存在しないとなり、社長の娘ということもあり、そう呼ばれることになりましたのよ。一社員のようにと…わたくしを扱えない事情は、仕方ありませんわね。それでも、気安く接してくださるこの開発室は、わたくしにとっても、最も居心地の良い場所でしてよ。
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「…ええ!…八代グループの坊ちゃんが…?…何でまた…我が社の玩具を…?」
「…八代クループと言えば、不動産業界に革命を齎したとか、何とか…。」
「あの…八代グループの…御曹司が…。我が社で…働くのか?」
「…まあ!八代グループの頂点の1つである、社長の御曹司ですって?!…もしかして、副取締役に…気があるのでは?…きゃあ!素敵……。」
この開発室には、10名の正社員が在籍しております。その内の1人は、この開発室の部長であり、他には課長と課長補佐、係長にチーフにサブチーフが在籍しております。つまり、半分が役職あり、半分が平社員となります。我が社では、仕事に意欲を燃やしてもらう為、敢えて役職を増やしているのです。部長から上に上がるのは正直難しいですが、課長までならば…頑張り次第では、誰でもなれる可能性がありますのよ。
課長補佐が新たに課長への出世しますと、係長が課長補佐に出世する可能性も上がりまして、更にチーフが係長に、サブチーフがチーフにと、全員が出世しやすくなる仕組みとなっておりますのよ。
実はこれを取り入れたのも、わたくしの意見からでした。その頃のわたくしは、単なる父への助言程度でしたが、父はわたくしの意見を受け入れまして、自分の会社に取り入れたのです。ですから、その仕組みを提案したわたくしは、我が家の社員達にはウケが良いのです。特に、この開発室の社員達には。
早速近日中に開発室の会議に、参加したいと仰られた八代様。その為には此処のメンバーに、正直に伝えて置かねばなりません。今日は、仕事どころではございませんわね…。皆様の邪魔をしてしまいますが、大切なお話ですので…致し方ございません。ノルマは特にございませんから、急ぎの仕事もございませんので。彼らには心の負担もお掛け致しますけれど、本当に…申し訳ございませんわ。
10名の社員の反応は、悲喜交々…という雰囲気でした。驚いた者もおられれば、今後の不安を感じてられる者、単に面白く感じている者、無理やりにでも…恋愛要素を捻じ込んで、盛り上がる者達もおられまして。最後の盛り上がっておられる者達は、この開発室では少数派の女性社員達、でございます。現在、チーフ1名と平社員2名だけでして。貴重な女性目線の社員なのですわ。普段はわたくしの強力な味方ですのに、こういう恋愛絡みのお話になると、わたくし…正直言いまして、付いていけません…。今も…きゃあきゃあと、勝手に盛り上がっておられますし…。
こういう場合は、男性社員の方が現実的ですわね。普段は何でも歓迎という感じの部長も、流石にどう扱えば良いのかと、今から悩まれているご様子です。課長も…わたくしとは違う意味で、対応に困るなあという雰囲気でして。課長補佐以下は、顔をひくつかせておられますし、歓迎ムードなのは…女性社員ぐらいでして…。
これは、わたくしの態度次第も…ございますかしら。彼がどう振る舞わられるか分かりませんが、わたくしが毅然とした態度を取らなければ、我が社の社員達の立場が…ないでしょう。飽く迄もあの方には、わたくしの補助としていただきましょうか…。我が社の社員達を守るのも、社長やわたくしの役目でしてよ。
到頭、その日がやって参りました。彼はまるで、新入社員のように丁寧な挨拶をして、自分は新人ですので教えてください、何でもやります、みたいな下から目線の態度を取られ、職場の皆様とは…あっという間に、仲良くなって行かれたのです。1カ月が経つ頃には、長年の付き合いのような関係になられており、開発室の社員達に可愛がられていらっしゃるのです。
今までのわたくしの…立ち位置を、何やら取られてしまったような…寂しい気分でしてよ。然も、社員の皆さんの対応が、完全に自分達社員の後輩という位置付けでして、嫌でも…わたくしへの対応が、其れとは違うのだと…思い知らされましたわね。確かにわたくしは、この会社の社長の娘ですが…。社長の娘には、後輩の扱いが出来ないのは、頭の中では理解しております。それでも…目の前で見せつけられますと、悲しい気分になりましてよ…。
その上…彼にまで、「副取締役」と呼ばれますと、流石にそれは…止めていただきたいと申し上げましたら、「花南音ちゃん」と方向転換されまして、少々…小恥ずかしかったですわ。会社の中で、他の社員達の生ぬるい視線を感じながら、こう呼ばれるのは…恥ずかしい、と…隠れてしまいたいぐらいでしたわ…。わたくしから言い出したことですし、副取締役と呼ばれたくない事実もあり、他に呼び方が無いと仰られてしまえば、泣く泣く…諦めましたけれども。
『後悔先に立たず』とは、こういう時に使うのでしょう。わたくし今まで、後悔したことはございませんでしたが、これだけは…後悔致しておりますの…。
漸く、2人の出会い編の話は、今回で終了です。
花南音と父が渋々了解し、花南音父の会社に出入りを許された時流は、何故だか…花南音に拘る素振りを見せますが…。結果は…時流のアピール勝ちでした。
社員達に波紋を広げた当の本人は、あっという間に人脈を作り出し…。
以前から居る花南音が、複雑な気持ちになるのも…仕方ないかも。