87話 どこまでも…ズルい人
前回からの続きとなります。さて今回は、馬車の中での出来事で……
「これからは毎日君と、少しでも長く一緒に過ごしたい。だから、カノも…協力してくれないか?…僕と貴方の思い出を、少しでも多く作れるように…」
「……そのお申し出は、ズルいです…」
入学当日から同じ馬車に乗り合わせた、トキ様とわたくし。学園で彼と過ごせる時間が、この1年間だけだと理解しておりながらも、わたくしは困惑しておりましたわ。彼に請われるまでもなく、わたくしも学園でのこの1年間は、大切な時間にしたいと思っておりました、けれども……
でき得るならば貴方の願い通りに、毎日ご一緒に登校致しましたり、昼食も共に取りたいと思いましてよ。この1年間は時間のある限り、貴方とご一緒したいのですわ。貴方の時間を独占したいとも、思っておりますが。
貴方には他にも、大切なご友人がおられますもの。貴方には貴方のお付き合いがございますように、わたくしにもわたくしだけの付き合いが、ございます。それら全てを蔑ろにして、貴方と2人っきりで過ごすことなど、あり得ませんわ。貴方の為にも、そして…わたくしの為にも、なりませんもの。
1年と3年が合同授業となったとして、貴方にお目にかかれたとしても、例え正式な婚約者であろうと、授業中に個人的な都合で、安易に話し掛けてはならないと、存じておりますので。
「僕と一緒に過ごす時間が、カノは…嫌みたいだね。来年の春には僕も卒業するから、君と共に過ごす時間が増えると、僕はずっと楽しみにしていたのに。ほんの少しの間君と、一緒の時間を過ごしたいと願うのは、僕だけだったのか…」
暫し間真剣に考えておりましたら、トキ様はずっとわたくしの様子を、観察なさっていらしたようでした。まるで子犬のようにシュンと項垂れると、時折上目遣いでわたくしに情を訴えかけてこられます。何か計算された所業に見えますのは、わたくしの気のせいではないような。
もしや、わたくしの勘違いでは?…いいえ。全くの検討違いでは、ございませんことよ。全てが計算尽くされた…とまでは、わたくしも申したくはありませんけれども、少し(?)は計算されておられたはず。
「……トキ様は本当に、ズルいお人ね…」
「…そうだね、僕は狡い…かもね。例えカノが断ったとしても、君を責める気は全くなければ、君を困らせるつもりもなかった。ただ僕は君も、同じ想いだと信じたかっただけで。(君への想いが)重過ぎて、ごめん…」
現世だけならいざ知らず、前世で貴方と共に過ごした時間は、それなりに長い時間でもありました。前世の貴方のことでしたら、わたくしもそれなりによく、存じ上げております。ですから、貴方がわたくしの本心を、気付かれたようにわたくしもまた、貴方の本心を見抜いておりますのよ。
「…もう、本当に!…貴方のそういうところが、ズルいのです……」
本当に抜け目のないお人だと、以前から思っておりましたけれど、今も正にその通りですと申し上げたくなります。こうした貴方の言動に、すっかり慣れてしまったわたくしも、恥ずかしさで真っ赤になりまして。
「…くくっ。顔を赤くして困っている君は、この世で一番愛らしい。」
「…………」
わたくしを困らせる気はない、と仰いながらも困らせる貴方を。簡単にわたくしの心を乱す貴方を、本気で嫌いにはなれなくて。貴方の一言に毎度、右往左往させられるわたくし。尚更認めたくないとばかり、無言でキッと彼を睨みつけ。
「…カノ、ごめん。僕が悪かった…。君の反応があまりに可愛く、つい揶揄ってしまう僕をどうか許してほしい…」
「…………」
一見してシュンと落ち込まれておりますが、実際のところは…反省は、殆どなされておられませんのね?…わたくしの心の中を読まれ、弄んでおられるようでしたので、ジト目で疑う視線を向けまして。
「息を吸うように褒められるのは、止めていただきたいですわ。」
「…うん、ごめん。揶揄い過ぎたようだ。嫌わないでくれ…」
それでもわたくしは許せないと、フンっという風に彼から顔を背け、拗ねたフリを致します。実際に拗ねておりましたので、全てが演技でもありませんし、それほど演技が下手でもございません。彼も慌てて苦笑気味に、嫌わないでと仰っても。
……先程までの落ち込みようは、演技でしたのね?…わたくしの気持ちを、試しておられたのね?
今度は礼儀正しく頭を下げ、真剣な表情で謝られます。前世の日本式礼儀と、異世界のこの国の礼儀とでは、常識や形式は全く異なるようでした。心からの謝罪を行う場合は、日本では深く頭を下げるほど、反省したと捉えます。カルテン国では軽く頭を下げるのが、正しい謝罪と言えますわ。
日本風に近い謝罪に見えますが、その意味は全く違いますのよ。日本で正しく謝罪を行うならば、土下座を行うべきでしょう。但し、仲の良い友人や家族の間では、略式として軽く頭を下げる程度で、目上の相手には深々と頭を下げる程度で、謝罪の意は十分に伝わることでしょう。似て非なるものと、言えますかしら?
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「では、お迎えしてくださるのは、週に1・2度で…」
「……えっ?!…カノは何故、そんな悲しいことを言うの?」
こうしてご一緒できますことは、大変嬉しゅうございます。但し、ラドクール公爵家の家紋入りの馬車で、毎日のように登校したくはございません。そうでなくとも入学当日から、目立つことこの上なく……
できればなるべくお断り致したい、と考えますのも当然のこと。まさかトキ様自身を我が家の馬車に、頻繁に相乗りさせるわけにも参りません。公爵家の馬車と侯爵家の馬車では、豪華さや乗り心地も格段に異なりましてよ。
公爵家の馬車は王族専用に負けず劣らず、外観には豪華な装飾が施され、また馬車内も高価な装備を施し、座席のクッションはふかふかで、お尻も全く痛くないという程に、非常に快適だと申せます。また、馬車揺れなども殆どなく、乗り心地も最高ですのよ。勿論のこと我が侯爵家の馬車も、決して乗り心地は悪くございませんし、多少揺れる程度ですが。
「…トキ様は非常に忙しいご身分なのですし、わたくしにばかり構っておられるのは、どうかと…。ですから…わたくしのことは、あまりお気になさらず…」
わたくしが冷たいとでも、仰いたいのかしら?…瞳をウルウルさせ、わたくしの情に訴える風体ですが、子犬が親犬を見るかのような悲し気な瞳で、明らかにわたくしの心を揺さぶっておられます。本当にズルくて、面倒なお人だわ……
「カノは何も、気にしなくていいんだよ。ただ僕が君と一緒に、登校したいだけなのだから…」
「…それに、公爵家の馬車で毎日通学致しますと、他のご令嬢方のお目もございますので…」
公爵家家紋入りの馬車で通うのは、なるべくご遠慮したいという意を込め、彼への気遣いを致します傍ら、他の貴族子女方からの好奇な視線に、わたくしの負担も大きいと…。彼との心理戦に疲弊しつつも、ここはハッキリ申し上げますわ。
「…ああ、そうだね。それならば尚更、一緒に登校すべきでは?…僕達は婚約者なのだから、正々堂々とするべきだ。婚約者として当然であるし、仲の良い婚約者として認識されるのも、当然の権利だろうからね。」
「…………」
にっこり微笑む我が婚約者殿に、わたくしは深く長い溜息を吐きます。このようにして正論を打つけられては、もうこれ以上は断りきれませんもの。返す言葉もございません……
心理戦では、勝てませんわ。すっかり疲れ果てたわたくしとは逆に、トキ様は満面の笑顔を浮かべておられました。わたくしの心の内どころか、手の内をも読んでいらしたことでしょう。何をどう申しましても、勝てる気は致しません。
漸く王立学園の門を潜り抜ければ、前世の学生の頃に戻った気がして、若干ウキウキしてしまいます。あの頃を思い出し、胸いっぱいの期待を膨らませ。わたくしは彼の差し伸べた手を取り、彼にエスコートされて馬車から降りました。
「…まあ、お珍しい…。彼の噂の婚約者、ご当人…でしょうか?」
「学園では一度も、お見掛けしたことがないわ。何処のご令嬢かしら?」
「噂で知っていましたが、これほどご寵愛なさっていらしたとは…」
「…おおっ?…ラドクール公爵令息がエスコートしているぞ。」
「あのご令嬢は、初めて見たな。何処の家のご令嬢なんだ…?」
「…うわあ、珍しい光景だよな。あの令嬢は一体、何処の誰なんだ?」
「可愛いらしいご令嬢だな。あれが、トキリバァール殿の婚約者…?」
わたくしが想定した通り、他の貴族子女・子息のほぼ全員から、視線を向けられておりました。興味津々なご様子を、犇々感じていますわ。背後を振り返ってまで、わたくし達を観察なさる生徒の姿も、所々でお見掛け致す程に。
想定内ではございましたけれど、前世で注目を受けることが多く、実は…わたくしも慣れております。特に緊張することもなく、貴族令嬢らしく堂々と振る舞えましたのは、前世のお陰とも言えますかしらね。
「流石は、僕の愛しい婚約者。貴方はどんな時でも優雅な振る舞いで、男女問わず惹き寄せる不思議な人だよ。僕の自慢の婚約者だ。」
「…まあ!…嬉しいお言葉を、賜りましたわ。婚約者思いのトキ様はお優しいだけでなく、わたくしをこの上なく大切にしてくださいます。貴方の婚約者で本当に良かったと、大変光栄に存じておりましてよ。」
トキ様が敢えて態とらしく、わたくしをべた褒めなさるので、わたくしも負けじとばかりに、彼を褒め称えさせていただきました。但し、これが後に…死ぬほど後悔する結果に、なるとも知らず。
「光栄に思うのは、僕の方だよ。貴方が僕の婚約者だからこそ、僕は幸せを感じているんだ。貴方以外の異性は、今後も愛せそうにない。貴方1人だけを一生愛することを、ここに誓う。」
本当に…ズルい人。黄色い歓声が上がりましたのは、言うまでもなく……
公爵家の馬車の中での、2人のやり取りとなります。前世の恋人だったことが判明し、更にラブラブなムードになっています。2人の駆け引きがメインになっておりますが、トキの方が一枚上手なようです。
本文中の『ズルい』は、敢えてこのように表現しています。またトキの方を漢字で表現したのも、日本語の平仮名やカタカナがない世界、というのを意識して敢えて漢字にしました。
次回は、学園での出来事になりそうです。




