第4話 落ちる少年
世界中、至る所で起こる種族たちの戦争。
それは種族間戦争と呼ばれた。
土地が欲しい、食料が欲しい、気に入らない、理由は様々だ。
《グランバール王国》は世界に数少ない異種族国家である。
平和を謳い独自の剣士団を持つその王国は、あらゆる種族間戦争を止めるべく世界中を駆け回っている。
十数年前、フラン村も種族間戦争に参加した。いや、参加せざるを得なかった。
相手の要求が、ルボルグ山の恵だったからだ。
フラン村にとって、ルボルグ山は命そのもの。失えばどうなるかは想像に難くない。
村からは若い者を中心に出兵した。
他の部族の者と共同で戦ったものの、戦況は敗戦濃厚だった。
結果、多くの村人が帰らぬ人となった。村がいつ滅んでもおかしくなかった。
それを止めたのは他でもない、グランバールの剣士たちだった。
彼らの参入がなければ、幼子だったカイトもジルバードも、とっくに亡骸になっていただろう。
カイトが片手で歳が数えられるほど幼い時の記憶だが、よく覚えている。
村長の家にグランバールの剣士が訪れ、「村人を助けられなくてすまなかった」と深々と謝罪をしていたことを。
当時はその現実を、到底受け入れることは出来なかった。
一緒に引き取られたジルバードと、家の隅っこで二人揃ってよく震えていた。
シュトラが引き取られたのは、二人よりもひと月もあとの話だ。当時の戦争は関係なく、山に捨てられていたらしい。
それでも無邪気によく笑うシュトラに、酷く心を救われた。
自分の両親や同族の敵に、復讐を考えたことがないといえば嘘になる。
しかし、戦争に勝とうが負けようが多くの人に、深い悲しみしか生まない。
今こうして自分たちが生活している最中、世界のどこかで種族間戦争が起こっていると考えると、無性にいたたまれなくなる時がある。
自分にもなにかできることはないのか?
その想いは時を重ね、夢になった。
カイトの夢はーーグランバールの剣士になることだ。
「感傷に浸っているのかい? キミらしくもない」
不意には視界に入ったジルバードと目が合う。
ジルバードとは日々兄弟喧嘩ばかりだな、としょうもないことを考えては笑みをこぼした。
ジルバードは崖の方に一歩二歩と足を進め、両手を広げ体全体で風を受けながら言葉を続けていく。
「僕らも来年には成人の儀だ。やっと村から出られる」
振り返り崖を背にし、うねった髪の隙間から見える黒い瞳は目の前のカイトを見据えていた。
「キミは、剣士になるんだろ? 僕は……そうだね。差し詰め〈冒険家〉ってところかな」
無意識に笑ってしまった。
ジルバードの口から〈冒険家〉なんて言葉がでるとは思わなかったからだ。
「ジルの夢は〈魔法使い〉じゃなかったのか」
「キミは分かってないね。魔法を使って世界中を旅するのさ。見たことのない景色、町、獣、浪漫でいっぱいだろ?」
ジルバードの、この素直な性格は嫌いじゃない。
臭い言葉を、照れもしないで気持ちのままにぶつけてくる。
こっちの顔が赤くなりそうだ。
「悪いことだけはするなよ。じゃないと剣士になった俺が捕まえに行くからな」
お互いに顔を見合わせ口元をニヤリとさせると、笑い声をあげた。
気がつくと、いつの間にか太陽は隠れ、暗雲が立ち込めていた。
「雨が降りそうだ」
山の天気は変わりやすい。
それに、ルボルグ山は庭みたいなもんだ。毎日見ている。
おそらく、一時間もしないうちに降り始めるだろう。
長年の経験から、そう感じた。
「なかなか大きい雲だね。これは今日の祭りも中止かな」
「それはきっと、シュトラが決めるだろうな。間違いなくやるって言いそうだけど」
ジルバードは「確かにね」と答えると、ケラケラ笑う。
「さて、探しますかね。あまり遅いとシュトラにどやされるからな」
崖から身を乗り出し、下をのぞき込んだ。
先ほどの光景とは打って変わって、山の陰になった森は、黒く見えるほど不気味に妖しく揺れていた。
何より落ちたら命はない。そう確信させるほどに高い。
「あ、あった!」
お目当ての物はすんなりと見つかった。
ゴツゴツとした岩の壁は、あちこちから草木が剥き出しに生えている。
その一角に見える、白い塊のような集合体。
おそらく間違い無いだろう。
真っ白な花びらをもち中央部分に赤みのあるその花は、《ルコの花》と呼ばれ、山岳地帯でしか採れない貴重な物だった。
「本当かい?」
ジルバードも恐る恐る身を乗り出すと、すぐに顔を引きつらせては言葉を繋いだ。
「結論から言おうか……。あの位置は無理じゃないかな」
ジルバードがそう思うのも仕方はなかった。
この断崖絶壁を三十メートルは素手で下りないと取れない場所にあったからだ。
「なぁ、ユリエールたちに手伝いを頼むのはどうだろうか?」
「セレの民か……」
ジルバードの提案に、腕を組み暫し考える。
ルボルク山から東に広がる大森林には、勿論多くのものが生息する。獣、人、他種族たちが大自然の恵みを得て生きている。
その中にフラン村と友好関係を築く集落があった。
セレの集落と呼ばれるそこに住む者を、フラン村の住民はセレの民と呼んでいた。逆にセレの民からはハーディルの子孫たち、フランの民、などと呼ばれている。
セレの民は全員が魔族で、外見だけでいえば人族と何ら変わりはない。言われなければ分からないだろう。
ユリエールはそこの族長の娘だった。年が近いのもあってカイトたち兄妹とは仲が良かった。
グランバールの剣士になりたい。その同じ志を持つユリエールをカイトは特に親身に思っている。
とはいえ協力を求めた場合、《ルコの花》は祭りごとでもよく使われるため、フラン村からの要請という形になる。
それなりに大きい借りができてしまうので避けたいところだ。
――さては自分で崖を下りるのが嫌だからって、村長に丸投げするつもりだったな。
「今回はやめておこう。あまり時間もないことだし」
空を見ると、さっきより暗くなった。ような気がする。
「俺が採ってくるから、ジルはここで待っててくれ」
「本気かい?」
驚いた表情を見せたジルバードだったが、どことなく嬉しそうだ。
「可愛い可愛い妹のため、だからな。それに木登りだって俺の方が得意だろ」
親指を立て、笑って返した。
土台のしっかりした、でっぱりを探しては、少しずつ手足を進め下りだす。
草木は使わない。千切れやすいからだ。
遥か下の森の中からは、獣の鳴き声が聞こえる。
どこかの者たちが狼狩りでもしているのかな。
そんなことを考えながら、着々と手足を動かす。
額からは汗がこぼれ落ちる。指の皮はぼろぼろになっていた。
その甲斐もあって、花との距離は手を伸ばせば届く位置にまで来ていた。
「もう……ちょっと……」
懸命に手を伸ばし、小さな声をもらす。
その刹那、また獣の鳴き声が聞こえた。さっきと比べ物にならないほど大きい。いや、違う――。
――山鳴りだ!
「壁にしがみつけ!」
上からジルバードの大声が響く。
伸ばしていた手で《ルコの花》をむしり取り、でっぱりに手を戻そうとした時だった。
突風が崖を這うように駆け抜けた。
体を大きく煽られ、支えていた手は、でっぱりからずるずると滑っていく。
「うぉおおおおぉぉぉぉっ!」
大きな叫び声を上げながら、落ちていった。激しく木々を揺らす、黒い大森林に吸い込まれるように……。
上に見えるジルバードの姿も声も、どんどん小さくなる。
急激な落下により、意識も徐々に薄れていく。
朦朧とした意識の中、自分ではない者の声を確かに聞いた。
――キミには、この国は救えるのかい? と。
そのままぶっつり意識は消えた。