第2話 妹に嘘をつきました
「あれ? あれあれあれあれ?」
村長の家の方から聞こえる。華やかで、高く澄んだ声が二人を襲う。
びくっと体を震わせた。
――ま、まずい……。
ちらりと横目をやると、ジルバードも同じ心境なのだろう。その顔からは血の気はすっかり失い、むしろ青ざめている。
恐る恐る、二人揃って振り向くと――。
そこにはシュトラが――真っ白のワンピースを着て――立っていた。
不思議そうに顔を傾け、長い髪の隙間からちらりと見える翡翠色の瞳は、どことなく淀んで見える。
人差し指を立て頬に当てると、二人の義兄を交互に見つめていた。
「いってきますしたよね? ただいまなの? ねぇ、ただいまなの?」
「い、いやー、これはだな……」
「全部こいつが悪いです。ごめんなひゃい」
必死に言い訳を考えてる横で、ジルバードが被せてきた。
しかも噛んで。
……いやいや、今なんて言った? うらぎった?
義兄たちの言葉に、耳を傾ける様子もなく、シュトラはトゲを含んだ口調で言い放つ。
「ねえねえ、お兄ちゃんたち。今日は何の日だ?」
「か、可愛い可愛いシュトラの成人の儀の日……です」
ジルバードは上ずった声で答える。
「うんうん。そんな大切な日に、お花を摘みに行ってるはずの、お兄ちゃんたちの声が聞こえてくるではありませんか」
同じ屋根の下に、十数年住んでる兄妹だ。この後の展開は手に取るように分かる。
散々嫌味を言われた後にうっぷんを晴らすべく、最終的には力尽くでくる。
フラン村では古くからの風習がある。
男性は十八歳、女性は十六歳になると、成人の儀を執り行う。
全身を白基調で清め、男性は白鞘を用いた短剣、女性は生花で造った花飾りが使われる。
成人の儀を済ませた者には移住権が与えられ、他の地へ行くことも、他の地から帰ってくることも許される。
本来ならばとっくに山に登り、シュトラのために花を摘んでいるはずだった。
シュトラの、日常で溜まりに溜まった義兄たちへの不満を聞き流しながら、ジルバードはそっと囁いた。
「キミの妹だろ。なんとかしたまえよ」
「――お前の妹でもあるよ」
思わず即答した。
欠けらでも期待したのが馬鹿だった……。ため息しか出ない。
「ジルの魔法に懸ける熱い気持ち。それを体現するのはきっと今だと思うんだ」
「馬鹿を言うな。魔法は数百年前に消滅した古の力。精神論でどうにかなるわけないだろ」
まるで勝ち誇ったかのように鼻を鳴らすジルバードに確信する。
こいつには浪漫がないのだと……。
「村でも指折りの温厚なジルだ。シュトラとも、ここは穏便に済ませることは出来ないかな」
「馬鹿を言うな。僕ほど短気な者は、世界中探しても珍しいくらいだ」
再び鼻を鳴らすジルバードに、心の底から呆れた。
「もう! せっかく私が話してるのに、さっきからひそひそひそひそと……」
癪に障ったのか、シュトラはその場で地団駄を踏むと、ゆっくりゆっくりと長い髪を揺らしながら、歩み寄る。
――そうとう怒っていらっしゃる。
シュトラのだらりと垂れた右手に、辺り一面から木切れや石が、吸い込まれるように集まり形を成す。
カイトの背負う剣の倍にも膨れ上がり、棒状になったそれは、『叩くための武器』になったと言わざるを得ない。
背中に一雫の冷たい何かが、重力に従い、頭に向けてスーッと垂れ落ちる。それが汗だ、と思う余裕もなかった。
「片目を潰れ」
カイトは視線をシュトラから外さず、なおかつ悟られないように小さい小さい声で言った。
第一声で決まる。確信に近い何かを肌で感じとる。
シュトラは『可愛い・素敵・綺麗』という言葉には目がない。反対にそれ以外のことにはほとんど関心を示さない。
そのことを踏まえると今からやろうとしていたことは、勝率の極めて低い賭けに等しいだろう。
「今日のシュトラ、とっても可愛いな。今までおめかししてたのか?」
不意な賛美の言葉に、シュトラは頬を赤くしてうつむくように視線を外す。
カイトはここしかないとばかりに自分も片目を閉じる。しかし、こんな安っぽい言葉で解放をするシュトラではない。
ジルバードもそれをわかっているのだろう。片目こそ閉じてはいるものの、いずれは訪れるであろう甚だしい惨劇に、恐怖で心ここにあらずと放心状態に陥っている。
「いっつも可愛いけど今日は特別。だって晴れ舞台だもの」
短く「そうか」と答えると、後は祈ることしか出来なかった。
――頼む。
じゃり、じゃり、っと地べたを踏む音が一歩一歩近づいてくる。
――頼む。
「ねえ、お兄ちゃんたちは何でお目目つぶってるの?」
――く、食い付いた!
思わず口角が少し緩むがまだ助かったわけではない、とすぐに引き締めなおす。
そして流暢に言葉を並べるのだ。自分たちの助かるための嘘を。
「……というわけなんだ」
シュトラは話を聞き、「ほうほう」と物珍しく頷きながら感心を示す。
ジルバードも表情にこそ出さないが、興味深く聞いていた。
話はジルバードが持ってきた一冊の本を、興味本位で二人で読んだことから始まる。
その本の内容は、一見なんの変哲もない物語であったが、実は『禁術の書』であった。
読んだ者に強制的に魔法を与え、その魔法というのがもう一人の自分を作るというもの。
つまり二人の前に現れたのは、もう一人の自分たちというわけだ。
もう一人の自分とは視界を共有しあい、両目を開けると視界がごちゃ混ぜになってしまうので、片目を閉じている。
四人で花を摘みに行くのもあれだからと、本物の二人を山に行かせ、魔法で出来た二人は獣が村に入らないように、ここで見張っていたのだ。
決してただ単に口喧嘩して、無駄な時間を使っていたわけではない、と説明した。
無論シュトラにも、疑問点がなかったわけではないだろう。
「さっき両目空いてなかった?」
と聞かれ冷や汗を流したが、間髪いれずに答えたのはジルバードだった。
「そんなに長い髪じゃ見えるものも見えないよ。折角可愛い顔をしてるんだから、村長様に結ってもらいなさい」
先ほどの罵り合いさながらの饒舌ぶりに、思わず拍手を送りたくなる衝動をぐっと堪える。
しかし、それはつかの間の感嘆だった。
「じゃあ……」
嫌な予感がするというのはこのことだろう。
シュトラの声は怪しげに低くなり、知らず知らずに唾を飲み込む。
「ここにいるお兄ちゃんたちは偽物だから……殺っちゃっていいのかな?」
背筋をゾクッと震わせる。
恐怖、支配、絶望、様々な負の感情が体中の端からは端まで駆け巡る。だが臆するのはここではない。
ひと欠けらの希望に無理やり鼓舞する。
『ちょ、話は最後まで聞け!』
二人揃って必死に両腕を前に突き出し、荒ぶるシュトラをなんとか落ち着かせることに成功する。
先ほどの饒舌ぶりだ。ジルバードならばこの窮地を脱する策があるかもしれない。
「残念ながら、魔法で作られた俺たちも本物だ。もしこっちでシュトラに殴られでもしたら、あっちでも同じ衝撃が受けるんだ。なあ兄弟?」
ジルバードは、不意に話を振られて「えっ」と不安そうに、カイトをきょろりと見るが、「お、おうともさ」と、シュトラに向かって弱々しく胸を叩いた。
――臆したか。
このままいくとカイトも負の感情に臆するのは最早時間の問題だ。
シュトラは目を細め、口をへの字に曲げて「つまんないの」と愚痴を漏らすが、反論はさせない。いや、させてはいけない。
何より好戦的な一匹の猛獣を前に、無防備にいつまでも宙づりになっているのは危険だ。
恐らくは最後の賭けになるだろう。騙し通せて〈生還〉か、嘘がばれて〈死〉か。
そういえばさっきの本でも死界とあったが、どんなところなのかなと脳裏に浮かぶが頭を振って忘れ去る。
――ジル、せめて最後は一緒に踊ってくれ!
「シュトラは今日取りに行ってる花、どんな場所に咲いてるか知ってるか?」
「うーんとね、確か崖!」
「よく知っているな。俺の見立てでは、あっちは今頃手繰り手繰り崖を下ってると思うんだ。今確認してみる」
カイトは開いてる目を片手で覆い隠すと、閉じていた目をゆっくりと開いた。開いた目は空の一点見つめ、その顔を固ませる――勿論これには何の意味もない、単なる茶番である。
「な、こ……これは……シュトラ! 時は一刻を争う! 今すぐ解放してくれ!」
叫び声を上げながら、足に絡みついていた木の枝がちぎれんばかりに体を揺すった。
首を傾げるシュトラは、義兄に交互に目をやると、ジルバードも急に同様の反応を示した。
「今、瞳に映っているのは、崖から落ちるジルを片手で繋ぎとめる俺の腕だ!」
ジルバードは「なっ」と声を漏らすが、苦しそうに言葉を続けた。
「た、頼むシュトラ! 僕が死んでしまう!」
罠にかかった猿のように、言葉にならない言葉を次々と吐き出した。
宙ぶらりんのまま、振り子のように上体を激しく揺さぶる。
シュトラは人差し指を顎に当て、目の前の惨めな義兄をそっと見つめていた。
「うーん、お兄ちゃんたちが怪我をするのは全く問題ないんだけど……お花が届かないのはイヤだなー」
この子はきっと森守族の皮を被った悪魔族かもしれない。
しかも質の悪い奴。
そう思った。
「今回だけだからね。はやく摘んできてねー!」
シュトラが言うと、突然木の枝に足首を離され頭から地に落ちる。
思わず「ふぎゃっ」と、間の抜けた声が漏れた。
棒状に成っていた何かは音を立てて崩れ去ると、その残骸の上を、鼻歌交じりでスキップしながら村に戻る銀髪の少女を、目を細めて見送る。
「なぁ……」
「何も言わないでくれ」
頭に血が上りおぼつかない足でゆっくりと立ち上がると、「行くか」と一言添えた。
日はすっかり昇り、花の咲き始める季節――春には少し暑いくらいだった。