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第1話 三人の孤児

 部屋の中央に、物寂しく机が置かれていた。

 机には、美しい木目が白くかすれてしまうほどに埃が被さっている。

 長い時間使われていなかったのだろう。


 机を挟み、向かい合わせに置かれた椅子。

 部屋の壁を端から端まで使い、びっしり並べられた六段の本棚には、隙間なく本が詰め込まれていた。


 個人の持ち物としては少々多い――どころではない。

 全ての本にざっと目を通すだけでも、数年はかかるであろうその量は、ここの家主は余程の本の虫だったのだろう。


 ギギギと、歯ぎしりみたいな音を響かせて、ゆっくりと部屋の扉が開かれる。

 夜の闇に紛れて、扉の奥から姿を現すのは少年だ。

 少年はこの家の者ではない。招かれざる客だ。

 いや、それは少々滑稽な例えだろう。

 この家には招く者――家主はもういないのだから。


 窓から差し込む月の光を頼りに歩き出す。本棚の前までくると、一冊一冊丁寧に吟味しては棚に戻した。

 一番下の段の隅に、隠されたように詰め込まれた本の前でピタリと手を止めた。


「大層な『偽りの名前(筆名)』だ」


 少年の住む村では誰もが知る名前。そんな人物の書いた本がこんな片隅に、人目を憚り眠っているわけがない。

 思わず声を漏らし、くすりと笑うとそれを引っこ抜く。

 背表紙に著者『ハーディル・フラン』と書かれた本を手に、月当たりの良い椅子へ腰かけると、慣れた手つきでページを捲った。





 扉の前に黒髪の少年が立っている。

 扉に、背を向けてだ。

 後ろにあるのは村長の家。村でもひと際大きい。

 正面に見える山は遥か遠いーーでもない。割と近い。

 なんと言ってもこの村、フラン村は山の麓にあるからだ。


 ようやく昇り始めた日の光が、山に育ち始めた緑葉を銀色になるほど眩しく照らす。

 黒髪の少年――カイトはそれを見ては胸を躍らせる。


「カイにぃ、行ってきますは?」


 華やかで、高く澄んだ声が聞こえた。義妹(いもうと)だ。

 声の方へ、顔ごと視線を向ける。

 (あたま)四っ分ほどの窓から、ひょっこりと顔を覗かせる森守族(エルフ)の少女。

 特徴的な尖った耳と、綺麗な翡翠(ひすい)色の瞳は、村で唯一と言っていい。

 初めて見る者ならば、魅入ってしまうだろう。

 義妹(いもうと)は眠そうにジト目を向ける。しまいには、早く言えと言わんばかりに、両肘を窓の縁に置き、掌の上に顔を乗せて、銀色の長い髪をだらりと垂らした。


「シュトラ、早うこっちにきなさい」


 家の奥からしゃがれた声が外まで響く。

 村長(じっちゃん)の声だ。

 義妹(いもうと)は「はぁい」と返事をすると、窓の奥へと姿を消した。


「いってきまーす!」


 窓に向かって大声で叫んでやった。


「やかましい! さっさといかんかい」

「は、はいっ!」


 思わず返事を返した。直立して、だ。

 両腕に抱えていた剣――身丈の半分ほどの長さの――はピタリと胸に当たった。

 正面から見たら、偉い人からありがたい物を頂いた。みたいになっている。

 なんて理不尽な怒られ方だ。

 きっと義妹(いもうと)は、しめしめと笑っているに違いない。

 気持ちを改め、剣を背負い直す。


 ――よーし、今日もやるか!


 気合を入れるとカイトは足を前後に開く。そして、後ろ足を力強く蹴り出した。


 ――いち、にぃ、さん……

 

 一歩一歩、歩数を数えながら、大きく跳ねるように進んでいく。

 目標は、あそこだ!


 ――にじゅうきゅう、とどけぇー!


「と、届いたぁ!」


 嬉しさのあまりに声が漏れてしまった。

 カイトの前に建っているのは銅像だ。

 数百年も昔、遥か東の地で他の種族と連合を組み、巨龍を倒した村の英雄『ハーディル・フラン』。

 その人の銅像だった。

 村の守り神――そう呼ぶ人もいる。

 

 ここから眺める銅像が好きだ。一番カッコよく見えるから。

 下から眺める光景は、日の光を反射して輝いて見える。

 数百年の時を経て風化しても尚、神々しくそこにあるそれは、見ていて不思議と力が込み上げてくる。何より憧れたのだ。彼に……。


「遅かったじゃないか」


 低い声がどこからともなく聞こえる。

 ぎくりとしたカイトはあたりを見回すが、誰もいない。

 さては――。

 こそこそと足音を立てないように、銅像の裏側に回った。

 ――いたっ!


 ジルバードを見つけた。義兄弟(きょうだい)だ。

 顎まである、少しうねった茶色の髪を真ん中で分け、銅像を背もたれにして本を読んでいた。

 身に纏うローブは、吸い込まれるような真っ黒をしていた。

 これが、とてもおかしい。その長さが、だ。

 伸ばした足は、膝から下の肌が見えている。

 初めて見る者ならば、笑ってしまうだろう。


「ジルにしては珍しく早起きじゃないか」


 目の前に回り込むと、ジルバードは眠そうな目をじろっと上げた。


「こう見えても僕は、やる時はやる男なんだ」


 ぶっきらぼうに答えると、ジルバードは本をパタンと音を立てて閉じる。欠伸を一回挟みゆっくりと立ち上がると、眠気を覚ますかのように、空に向かって大きく体を伸ばした。

 随分と眠そうに――。

 ――そうか! 本か! 寝てないのか、こいつ!


「その本、またあの家にいったな?」


 じっと睨みつけた。

 ジルバードは、たった今目覚めたとばかりに目をぱちくりさせる。

 すぐに手元の本に目を落とすと慌ててそれを後ろに隠し、ぎこちなく視線を外す。


「い、いや、何のことかな」


「とぼけたって無駄だ! 朝の苦手なジルが早起きするなんておかしいと思ったんだ!」


「僕だって早く起きる時くらいあるさ!」


「いーや、ないね! あそこに人が住んでいないからって、勝手に入るなって言われただろ」


「い、一冊くらい良いじゃないか。あの屋敷には山のように本があるんだし」


「ほらみろ、やっぱり行ったんじゃないか!」


 カイトとジルバードは対等である。

 どちらが兄か、と尋ねられたら二人揃ってこう答えるだろう。『自分が兄だ!』と。

 ゆえに対等である。


「キミも実は興味があるんだろ? 昔に使われていた――魔法ってやつを!」


「興味なんかないね! これっぽっちも! 今の時代、魔法を使えるやつなんか……いないじゃないか」


 子供さながらに目を輝かせるジルバードを余所に、言葉を吐き捨てた。


「キミには浪漫というものがないのかね。今は使える者が……いなくても、いずれは使ってやる! という気持ちがね」


 やれやれとでも言うように、ジルバードは両手を軽く上げため息をつく。


 ジルバードは、人並外れた知識欲を持っている。

 食事や睡眠よりも、本を読むことをこよなく愛する。

 何よりは、数百年前に使われていた魔法に関しては異常に熱意を示し、普段の生活からは想像もつかないほど舌が滑らかになる。


 まるで、自分が使って確かめた。とでも言いたげにその利便性を説明してくる。

 言われる方からしたらたまったものではない。毎度のことながら、同じような説明を繰り返し聞かされるのだ。 

 

「ジルの魔法に懸ける、あつーい気持ちは分かったから。怒らないから隠した本を見せてみな」


「本当に?」


 口元を緩ませて言うと、ジルバードは大切な宝物でも渡すかのように本を差し出した。

 受け取った本の表紙をじっと眺める。


 ――やっぱりな。

 

 すかさず本の角を使いジルバードの頭を小突いた。


「あいたっ」


 ジルバードは短く声を漏らし、呆気を取られた表情を浮かべる。片手で叩かれた頭を擦り擦り、カイトの顔をまじまじと見つめていた。

 それが怒りに変わるのには時間はかからなかった。


「怒らないって言ったじゃないか! 僕を騙したのか!」


「ああ、言ったとも。ただし――」


 ジルバードに表紙――『死界(ユドラ)からきた青年』と書かれた――を前にし本を突きつける。


「これのどこが魔法の書だっていうのさ。どう見たって幻想ものじゃないか!」


「ぐぅ……。この本には、どんな魔法の書にも優ることが書かれているんだ」


 恐ろしく小さい声で「おそらくきっと」とボソッと付け加えた。


「本なら村長(じっちゃん)の家にもたくさんあるだろ!」


「全部読んだんだよ! 前書きから後書きまで! 隅から隅まで! それより村長(むらおさ)様に向かってじっちゃんとは……そんな口の利き方、キミのほうが怒られるに決まってる」


 その後、一刻ほど続いた愚にもつかない二人の罵り合いは遂に終わりを告げようとしていた。

 ジルバードの「いくら温厚な僕でも流石に怒った」の言葉に、カイトが「なら世界中探しても温厚な人はいないことになるな」と答える。

 互いの視線がぶつかり火花を散らす。


『完膚なきまでに、叩き潰す!』


 二人とも殆ど同時に拳を握り込み、力強く地を蹴った。

 目覚ましのごとく、村中に響き渡るほどの声で舌戦を繰り広げた彼らの次の戦場は、血生臭い壮絶な殴り合いである――はずだった。


『ぬぅあ?!』


 二人揃って間の抜けた声を漏した。

 地面を突き破り、突如伸びてきた木の枝が、カイトとジルバードの足首を掴み、足を空に、頭を地にして持ち上げたのである。

 髪を地に向け垂らし、目を丸くさせ、きょとんとしながら空中で見つめ合う。


 勝負の行方は、第三者の手によって呆気ない幕切れを迎えたのだった。

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