プロローグ
作者、スガシラの趣味の範囲で綴っていく小説になります。
造語は多いと思います。
風は激しく吹き荒れ、雨は隙間なく大地に降り落ちる。
そんな嵐の夜だった。
縦横十歩ほどの大きさの、小屋が建っていた。
中には分厚い本がいくつも積み重なり、あちらこちらには、メモの代わりに使われた紙が散乱している。
隅の一角には、地下に続くであろう道が掘られていた。
藁を敷き詰めて、雑に作られた寝床には、綺麗――とは言い難い布が覆い被さっている。
その上に横たわるのは――青年だ。
青年のすぐ隣には、老爺がいた。
胡座をかき、目を閉じ、そっと見守るように。
長い長い沈黙を破ったのは青年だった。
「ガン爺、ほかの、人族は?」
肩で息をし、辛そうに、途切れ途切れ言った。
「みんな、ジル坊と似たようなもんじゃよ」
老爺は、穏やかに嗄れた声で言った。
青年は「そうか」と短く答えると、また沈黙が訪れる。
雨が草木に当たると音がする。
雨が屋根に当たると音がする。
地に溜まった水が流れて、水にぶつかる音がする。
青年を哀れむように、悲しい音色を響かせる。
老爺はぴくりと眉を動かすと、重い口を動かす。
「どうやら……ユリエールが来たようじゃな」
悲しい音色に紛れて、水を弾く足音が近づいてくる。
だんだん大きく。そして小屋の前で止まると――。
ばたんっ!
扉の奥から姿を現すのは女性だ。背中に白い翼を携えて。びしゃびしゃに濡れて、だ。
「ジルバード!」
女性が青年に近づこうとした時――。
「――ユリエール!」
嗄れた声が大きく響いた。雨の音をかき消すように。
老爺は背中を示すと、女性はハッとした表情を浮かべた。
「いや、いいんだ。人族は、もう、長くないから」
「あなた……知っていたの?」
片手で口元を覆うと、女性は瞳に涙を溜めた。
「当たり前、さ。僕はね、こう見えても、魔法の、専門家、だからね」
「ごめんなさい。私たちの……」
女性はそこで言葉止めると、いいや違う、と左右に首を振る。
「私のせいで!」
青年の手を両手で握り、うなだれるように、大声で泣いた。
「泣かないで、くれ。君を、泣かせたら、死界で、あいつに、何を言われるか、わからない、からね」
青年は言い切った後に、激しく咳き込む。
呼吸を大きくして落ち着かせると。女性の頭に、撫でるように手を乗せた。
「お願いが、あるんだ……魔法を、みせては、くれないか?」
女性はしわくちゃになった顔を上げた。鼻をすすり、腕で涙を拭いて立ち上がる。
そして、雨音よりも、小さく小さく唱えた。
青年の耳には、たしかに届いた。
――ウインド。と。
風が吹いた。微風のように、優しく。
女性に纏わり付くように集まると、濡れた体を少しずつ乾かしていった。
青年の目には、翠嵐の如く映っただろう。
はるか遠く離れた故郷を重ねて。
「やっぱり、すごいもの、だね、魔法は。こんな、ことなら、シュトラに、もっと、見せて貰えば、良かった、かな」
青年は、痩せこけた頬に笑窪を作って、笑ってみせる。
しかし、その視線は、どことも焦点が結ばれていなかった。
女性は思わず青年を抱きしめた。涙を堪えて。
青年の命は、風前の灯火なんだ。そう、感じられたから。
「僕は、欲張り、なんだ。もう一つ、お願いを、聞いて、くれないか」
「なんでも言って」
抱きついたまま、弱々しく言った。
「僕が、死んだら、遺体は、悪魔族に、引き渡して、くれないか」
「なっ、何を馬鹿なことを!」
涙声は小屋中に響いた。
青年には、その言葉は届いたのだろうか。
不思議なことに、青年の呼吸は穏やかになり、大きく息を吸って、ゆっくり吐くと。天井の一点を凝視する。
「なぁ、キミは世界を救ったんだろ?」
老爺にでも、女性にでもない。青年にしか見えない、誰かへの問いかけ。
「僕には、救うことは出来なかった。何ひとつ……。死界で、もしキミに会えたら、聞いてみたいことがあるんだ」
――キミには、この国は救えるのかい? とね。
「ガンダルフ……窓を開けてくれないか。僕が、出ていけるように」
短く、「ああ」と嗄れた声を震わせる。
老爺は窓をそっと開けると、外を見つめた。
その目から、雨と同じように水を流しながら。
青年――ジルバード・フランはひっそりと息を引き取った。
悲しい音色は朝まで鳴り響く。
嵐の日には珍しく、獣の遠吠えを添えて。