ぬばたま川の鉄砲水
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、こーちゃん。いらっしゃい。
久しぶりだね、ここにやってくるのは。またネタ集めの旅の最中なのかな?
――ん? 来るときにぬばたま川を渡ってきた?
おお、それは無事でよかった。あの川にはちょっとしたいわくがあってね。ここ最近じゃおとなしくしているけど、いつ牙を剥くか分からないとおじさんは思っているんだ。
ん? そのいわくについても取材しておきたい?
ふむ、構わないよ。戦国時代の前後までさかのぼる話なんだけどね。
ぬばたま川の鉄砲水といえば、おじさんの地元では有名な伝説のひとつだ。
雨が降ったわけでもないのに、とつじょとして大量の水が津波となって、いちどきに押し寄せる。この川から田んぼや生活の用水を引いている家は多いから、この鉄砲水が押し寄せると、水路をはじめとする、多くのものが荒らされる恐れもあったらしい。
もちろん、人がいようといまいとおかまいなしだ。家族の目の前で濁流に呑み込まれ、はるか下流で見つかった時には、息を引き取っていた……などは珍しい話じゃなかった。
人々はいずれも、天命として受け入れていたようだ。逆らいがたい意思の前では、我々の命など玩具同然。いつ失われてもおかしくないものと、できる限り淡白に受け入れようと努めたとか。それが自分の身内であったとしても。
逐一、正面からしっかり受け止めていたら、自分たちの心が持たない。自分たちには防ぎようのないことだったのだと、納得させて心を守るんだ。
今も昔も、変わらない。
その日もまた、鉄砲水にさらわれた者がいた。
川に渡された橋の一本。その上を渡っていた子供たちが、濁流にさらわれていったんだ。
ぬばたま川の鉄砲水は、その速さもまた弾丸を思わせる。瞬く間に視界の端から端へ過ぎ去り、何が連れていかれたのか、一瞬分からないこともままあるくらいだった。
橋はずぶぬれにこそなったが、壊れてはいない。その上にいた子供たちだけが、叫び声ひとつあげる間もなく、ぱっといなくなってしまった。すぐに親たちを中心として、彼らの捜索が行われたけど、川を下流へ十里ほど下ってみても、彼らを見つけることはできなかったという。
――たくさん産んでいる子供のひとりだから。
そう言い聞かせる親たちは涙ひとつこぼさず、普段の野良仕事へ戻っていく。
ところが、それから半月ほど経った際、思わぬ報せが村へ届けられた。
やってきたのは、この近辺をおさめる、お殿様の家来のひとり。いわく、お殿様が鷹狩りをしていたところ、鷹の一羽がぬばたま川の近くに降り立ったまま、なかなか動こうとしなかった。
近寄って見ると、鷹は川べりに倒れている何人もの子供たちのひとりに足をかけている。羽を広げず、ただ不思議そうに首を何度もかくっ、かくっとかしげるばかりだったとか。
気つけをすると、ほどなく全員が目を覚まし、村の名前と場所を口にした。それがここと合致したので、確認のために訪れたのだという。
照合が済むと、子供たちは親元へ返された。
望外の再会に、彼らの誰もが喜びを隠せなかったが、ほどなく子供たちの首回りにあざが浮かんでいるのが、分かる。
首を吊りながら、何時間も生きていられたらこうなるだろうかと、のどまわりをぐるりと覆う、青黒い輪。子供たちもいわれて初めて気がついたらしく、自分から触りにいって、特に痛がる素振りも見せない。
ケガではないならと、当初はさほど問題視されなかったが、あざは何日たっても彼らの首元へ残り続けた。くわえて、少し妙なことが子供たちの周りで起き始めたんだ。
水だ。子供たちが土の上を歩くと、ときどきその足跡に水が溜まっていく。
とっくに彼らの身体は乾いているし、汗をかいているわけでもない。本人たちもなぜこのようなことが起こるか、全然分からない様子だった。
時間が経つうちに、家の床の上、土間の石の上でさえも水がにじみ出るようになっていった。子供たちの首回りのあざも、再会したときに比べれば更に色濃くなり、皮膚を盛り上げながら、ひとりでに脈打つ姿さえ見られるようになったという。
なにか悪いものに憑かれているのでは。親たちがそう心配し始めるも、動き出すには少しばかり遅すぎた。
子供たちがおのおの、畑仕事を手伝い始めたときだ。田んぼの柔らかくなった土に彼らが足をつけたとたん、一気にその部分の地面が陥没したんだ。
それぞれ、彼らひとりのみが入り込めるほどの、細くて深い穴だ。あっという間に頭さえも隠れてしまった彼らの後を追い、のぞき込んだ者の顔を、間欠泉のごとき水が直撃する。
倒れ込んだ被害者を介抱する者の目の前で、空高く昇っていく地下よりの水。それらが雨のように降り注ぎ出してから、ようやくあの子供たちの姿が目に留まった。
彼らは空を飛んでいた。吹き出した水の勢いに乗って宙を舞っていたんだ。そして彼らのいずれもが、長い長いドジョウのようなものに、しっかりとしがみついている。
ドジョウは子供たちの数倍はあろうかという長い図体を持ち、しがみつかれた部分の上下を、しきりによじって、暴れているかのようだった。その身体はくっついた子供もろとも、ぬばたま川へ一直線。
ばしゃん。ばしゃん。
ドジョウが子供ごと飛び込むとき、盛大な水しぶきがあがる。
例の鉄砲水こそあれど、ぬばたま川の水深はさほどでもない。あれほどの図体が落とされたなら、川底に刺さって突き立つか、すぐさま浮かびあがるかのはず。
それがない。彼らは水の中へ飛び込んだきり、もう姿を見せることはなかったんだ。ただちに村の者たちが川を改めたけれど、大人の腰ほどの深さしかないその川から、ドジョウとそれにひっついた子供たちを見つけることは、とうとうできなかったとか。
お殿様も鷹狩りで近くにくるたび、川の近辺を探ってくれたらしいが、子供たちは行方不明のままだったという。
「ひょっとすると、子供たちは川の神様の『鷹』になったのかもしれん」
当時を知る大人のひとりは、子供たちにそう語った。
「人が鷹を使い、空から獲物を探させて狩りをする。それが川の神様にあてはまった。
川の神様は、子供たちを使って地上から獲物を探させて、川の中の獲物を捕まえさせたんじゃなかろうか」
とね。