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ひるね屋サノ  作者: 優月瞬
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 日本は随分夏の割合が大きくなった。

 四月だというのに既に夏の様に暑く、濃い色の空には入道雲が立ち上っている。そんな蒸した午後、サノは買い出しを終えて帰路に就いた所だった。

「あら、サノさん。お元気?近々また行こうかと思っているんだけど、いかが?」

 不意にかけられた声に、落としていた視線を上げると、見知った顔が手を振りながらこちらへやってくるところだった。アスファルトからの照り返しで視界が白む。

「こんにちは、タカセさん。お陰様で元気にしております。今日はこの通り、お休みを頂いておりますが、明日以降でしたら大丈夫ですよ。またご都合よろしい時にお電話下さい。」

「じゃあ改めて電話するわね。そんなことより、どうせまたろくなもの食べていないんでしょう?何か作って持って行くわね。」

 明るい笑顔と裏腹に、化粧で巧妙に隠されている眼の下の隈が、白い日傘の下で影を落とす。

「あはは、否定できません。ありがとうございます。」

 サノは困ったように眉を下げると、スラリと伸びた肢体を軽く折り曲げ、穏やかに微笑んだ。



 都内某所。駅からは少し遠く、人通りも疎らで、細い路地の絡み合う静かな住宅街にその場所はある。レンガ造りの築三十五年のそのマンションは、何年か前に行われた工事でオートロックになり、部屋の中も大々的にリノベーションされたが、外観は変わらず古めかしさを残している。どうやらオーナー夫婦の趣味らしい。このマンションの303号室がサノの家だ。1LDKでリビングが広く、リノベーションのお陰で水回りも現代的でお洒落だ。サノは玄関に荷物を下ろし、気怠くなった腕を上げて伸びをすると、靴を脱いで暫し宙を仰ぐ。立ち止まった事を合図にして流れ出した汗が首を伝う。細く息を吐くと、再び荷物を持つために腕に力を籠める。

 今日の買い物の成果は上々だ。前々から気になっていたアロマとハーブティーが買えたし、寝室の照明はまだ検討中だが肌触りにこだわりのあるシーツも一式買い揃えることが出来た。季節の変わり目は何かと変更点が多いので必然的に出費が嵩む。

 サノはこの部屋で「ひるね屋」をやっている。いつからだったか、この部屋には不眠に悩む人々が通うようになった。それはサノの知人に始まり、知人の知人……といった具合にそれなりに広まって、秘かに人気のコンテンツになっている。ここ最近は本業のほうが忙しく、ひるね屋の予約は週に一人だけと決めてしまっているし、昔馴染みの(昼間のご婦人のような)方を優先させてもらっている。しかし寝具や照明を季節毎に新しくしてしまう程にはサノもひるね屋を気に入っていることになる。

 サノ自身も長い年月、不眠と呼べる症状と付き合っているが、別段困っていない。どうしても眠る必要はないと思っているし、眠らなかったからといって次の日の仕事に支障が出るわけでもない。次の日眠くて仕方がなくなった時は潔く仮眠をとることにしているし、それなりにうまく対処しているほうだと思う。他よりも少し仕事の時間に融通が利くのもまた利点の一つかもしれない。

 不眠症といっても原因や症状は人それぞれである。眠れないことよりも、眠れないことに対して悩み、実際に日常生活に支障が出ることこそが不眠症の診断基準なのである。不眠症は、うつ病とともに現代を代表する心の病として広く知られており、社会のうねりを大きく反映して増加傾向にある。人々は色々な意味で疲れているとサノは感じていた。ただ、自分には何もできないということも分かっていた。医師でない自分では、薬を処方することはできない。的確な指示も出せない。では何をして、何ができたのか。サノにできたことは、「居る」ことだった。

 照明の明るさや部屋の湿度と温度、アロマの香り、好みで調合したハーブティーに静かな音楽、こだわりのシーツと、高さや硬さを変えられる枕。この全てがひるね屋にとって重要であるのと同じくらい、サノは「誰かの気配のある空間」が大事であると思っていた。目を閉じた意識の端に、誰かの呼吸と温度があると眠れるという人は不思議と多い。眠れる環境を整えて尚、眠れずに悩む人にできることは、環境以外の、「精神」の部分を整えることだった。社会や人とうまく関われずに孤立し、助けを求められる誰かも、気兼ねなく連絡を取れる誰かもいなくなってしまった時に、その人たちはどうするだろう。夜の闇の中で自分を卑下し、手を差し伸べてくれない顔なしの誰かを憎みながら、一人深淵に立ち尽くすしかないのだろうか。何かを言うわけでもなく、手を差し伸べるでもなく、只そこにあることで、暗く荒れた水面が静かに息をひそめる瞬間があるのだということをサノはいつからか知っているのである。

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