リザーブタンク
日曜の午後、タバコのストックが無くなってしまったので、コンビニに向かう。
陽気もいいし、いつもとは違う店まで、歩いてみるか。
信号待ちをしている俺から見て、左前方の路肩に1台のバイクが停まっている。
跨っているのは女の子だな。
キュルルルルル。キュルルルルル。キュルルルルル。
セルを回す音が続く。
あぁ、ガス欠か、あんまりセル回してるとバッテリーがあがるぞ。
信号が変わり横断歩道を渡り、彼女の横を通り過ぎる。
250TRか、女の子に人気だよなぁ、軽そうだし、足つきもいいんだろうなぁ。
見たところ、車体は新しそうだったな、買ったばかりか。
なら、プラグってことはなさそうだ。
単純にガス欠か。よかったね、お嬢さん。
燃料コックをリザーブに回せば、解決だよ。
コンビニで、物色しながら、さっきの光景を思い出す。
ヘルメットも新品みたいだったな。新人ライダーか。
最初の頃は、バイクの事よくわからないけど、走り回ったよなぁ。
バイクがあるのが、ただ嬉しくってさ。
そんな事を考えながら、タバコと昼飯の弁当を買って、コンビニを出る。
あれ、まだいる。
彼女はエンジンの掛からない愛車の横に立ち尽くし、途方に暮れていた。
きっと、どうして良いか分からなくなってしまったのだろう。
まさかリザーブタンクの事を知らないなんて事は無いよな。
しかたない、声を掛けるか… 不審な奴だと思われませんように。
「お姉さん、どうしたの? バイク故障した?」
「エンジンが掛からなくなっちゃって…」
不安そうな彼女の表情の原因が、俺じゃありませんように。
困ってる女性に付け込む輩だと思われないかな。
女だから、バイクの事なんか、どうせよく知らないんだろうと思って、
バカにしてるんでしょ。とか思われてないよな。
「さっき通った時に、セルを回してたけど、エンジン掛からずにいたから、
ガス欠かなとは、思ってたんだけど、
その程度で、声を掛けるのは失礼かなって、通り過ぎたんだ、
声掛ければよかったね。ガソリンは入ってる?」
これなら、自力で解決するだろうと、思っていたけど、無理そうだから、
声を掛けたって、分かってくれるかな。
「たぶん、入ってると思います…」
燃料計ついてないんだ…
「リザーブタンクは試してみた?」
「リザーブタンクですか… どこですか?」
「あぁ、燃料タンクの中に、区切りがあって、
空になった時の予備みたいにする部分があるんだ。
で、ここの燃料コックを、逆側に回すと、リザーブタンクからガソリンが出る。
アクセル開けて、少し待ってから、セルを回してみて。」
キュルルルルル。キュルルルルル。キュルルルルル。
ブォン。
「掛かったぁぁ! ありがとうございます! 助かりましたぁ。」
「うん、故障じゃなくてよかった。
ガソリン入れたら、コック戻すの忘れないでね。」
「はい、これを逆向きにするんですね。」
「そう、あとね、あんまりセルを回さない方がいいよ。
バッテリーが上がるから。」
「はい、そうします。本当にありがとうございました!」
「あの、こんな物しかありませんけど、お礼です。受け取ってください。」
彼女が差し出してきたのは、人物が描かれたコインのキーホルダー。
「あぁ、どうもありがとう。」
走り出した彼女は左のミラーで、こちらを見たあと、左手を上げる。
あれはバイク乗りがよくやる挨拶だ。
こちらを見たと分かるのは、バイク乗りだからだろう。
彼女もバイク乗りから、同じ挨拶をされた事がある。
それが分かるのも、バイク乗りだからだろう。
先輩ライダーとしては、いいことしたかな。
これからもバイクを楽しんで欲しいもんだ。
バイクに詳しい友達とか、彼氏とかできるといいね。
そもそも、彼氏の影響か。
走り去る250TRを見送り、ちょっといい気分で家に帰る。
それから、彼女を見かけた事は無い。
あれから10年。今も彼女はバイクに乗っているだろうか。