彼女の日記2
3月29日
昨日は早く寝てしまった。昨日は検査があって一日中眠かったんだ。今日は話の続きだ。
彼の話をしよう。さっきから私が彼と呼んでいる彼。実は私にも名前がわからない。彼は見たところ20代後半くらいの男性。それこそ目覚めた時はまさしく骨と皮だったが、今となっては少しずつ食事も取れるようになり、見た目はいたって普通の好青年だ。髪は深い黒でぼさぼさ、時より目が合うと切れてしまいそうな鋭い視線であたりを見渡している。背は私より少し高い。
彼がこの病院に来たのは1月の初め。2ヶ月半ほど寝たきりだったことになる。夜だった。私が寝ていると、看護師達が廊下を慌てて走っている音が聞こえる。またか。この病院ではこんなことは日常茶飯事だ。ここの患者に朝も昼も夜もない。ただ周りに振り回される、何となく生きながらえた時間があるのみだ。
意識不明のまま運ばれてきた彼は私の部屋の奥、1番窓に近い部分で先日までミイラのように眠っていた。
もう一生目覚めることが無いのではないか、いやきっと目覚めるはず、いや、目覚めたとしても…病院関係者の色々な思いが交錯する中、彼は無事に目を覚まして言った。
ここはどこですか。
がっかりである。彼は自分に関する一切の記憶を持ち合わせていなかった。意識不明で運ばれてきた男性。身元もわからず、親族や友達すら全く不明。男性の記憶がない。彼は自分の名前はおろか、住んでいた場所も職場も昔の記憶は何一つ覚えていなかった。病院関係者もこれにはがっかりである。
しかし落胆させられたからと言って病院も彼を野放しにするわけにはいかない。身体の方もまだまだ万全とは言えない。また明日から、彼の介抱を続けていく以外に選択肢は無い。私もこの何一つ自分のことがわからない男性と、これからこの部屋で過ごさなければならない。まあいいだろう。少なくとも、それが私の一つの使命であり、私と彼の奇妙な運命なのだ。
この日記はある一人の女性の単なる記録に過ぎない。それは私の妄想かもしれない。しかし私は、どうしてもこれを、この記録を残さなければならないのだ。はじめに警告した通り、今から何を書いたとしても、どう書いたとしても困惑せずに、読み始めたからには読み進めていただきたい。最後に信じられるのは自分は確かに存在するということだけなのだ。