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先程とは別の術を完成させようとしているのか、イグニースがいろいろな呪を唱え始めた声がエクレールの耳へと届く。
初めはただの牽制だろうと、エクレールは制止することもなく横目に見ていたが、どれがいいかと逡巡する声は止むことなく続いている。時と共にイグニースが紛れもなく本気であることを感じ取ったエクレールは、傍観するのを止め、慌てて床へ頭を付けんばかりに下げて謝った。
「わ、私が悪かったです。ちゃんとナンパせずに仕事しますから許してください。次に攻撃されたら死んじゃうって!」
「大げさだな。私と契約できる程の力を持つお前が簡単に死ぬはずないだろう。威力が強い中でも傷が付かないものはかなりあるしな……試してもいいか?」
どこか嬉しそうなイグニースの様子に、修行時代の悪夢を思い出したエクレールは、高速で首を振る。首の筋を違えたような気がしたが、今はそれに構っている場合ではないと、必死でイグニースを止めにかかる。
「いいいい、いいわけないでしょ! 今イグが考えてた術、私が知らないと思った!? あいにく前にくらったから知ってます!! 肉体も精神もずたずたにする術でしょ、それ!?」
「――直接的な痛みを与えてやれば、お前の病気も収まるかと思ってな。まあ、きちんと反省するなら、止めてやるが?」
「……本当に、本当にごめんなさい」
「はっ――分かればいい」
静かに謝ったエクレールに満足したイグニースが勝ち誇ったような笑い声を立てる。敗残者である少女は、先程までの意気揚々とした姿はすっかり消え去った様子で、ふらりと立ち上がる。
「――お姉さん、お待たせしてごめんなさい。ナンパは止めるんで、お仕事紹介してください」
急に座り込んだと思えば、床に額づいていた少女に、女性は瞬きを繰り返した。
「ええと、その……急にしゃがみ込んだけど大丈夫なの……?」
「大丈夫です。持病の癪でたまにこうなるんで。あっ! もちろん仕事には影響がないから安心してください」
「そ、そう。ならいいのだけど。それから、お姉さんって言われるとなんだか変な感じがするから、カリダって呼んでもらえるかしら?」
「分かりました、カリダさん。それで、仕事を――」
「ああ、ごめんなさいね。今、貴女に合いそうな仕事を紹介するわ」
エクレールが申し訳なさそうに繰り返すと、カリダは慌てて自分の手元の分厚い綴じ本を捲る。
だが、しばらく捲っていた手を止めると、難しい顔で少女へと向き直った。
「悪いけど、今はかなりの場数を踏んだ冒険者か冒険者に対する依頼しかないわ。この間までなら、探索系の仕事とか、街中で働く仕事とか、経験が少ない人でもできる案件がいっぱいあったのだけど」
すまなそうな表情をするカリダに、エクレールは肩を落とした。心なしか落ちた肩に哀愁が漂っている。