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満腹になったせいか、うつらうつらと舟を漕ぎ始める少女に、イグニースは苦々しい感情を滲ませ、声を掛けた。
「エクレール……食べるのに夢中になりすぎて、酒場に来た他の目的を忘れていないか?」
イグニースの言葉に、半ば夢の世界に旅立っていたエクレールが慌てて首を振る。絶対零度の空気に取り囲まれ、一気に目が覚めたようだった。
「わ、分かってるよ。ここには、あの魔物の噂を確かめに来たんだもんね。ちゃ、ちゃんと情報収集しますー」
エクレールはひどく慌てている様子だったが、それでも自身の状況を把握しているのだろう。街道の時とは違い、ほぼ唇を動かさずにイグニースへ届くぎりぎりの音量で、囁くように喋りかけてくる。
「全く……これでは、どちらが主人か分からんな」
渋々といった様子に、イグニースは盛大に嘆息した。
だが、イグニースの小言を日常茶飯事のように聞いているエクレールは、少し首を竦め、剣の方を向いて頭を下げ、軽く謝罪をしただけであった。
「はーい、ごめんなさい。ところで、さっきの魔物の話だけどさ、なんかおかしいよね」
反省した様子のないエクレールに、イグニースは更に言葉を重ねようとしていたが、話題が仕事の話に移ったため、仕方なく小言は止めにする。
「ふうん、さすがのお前でも気付いたか――」
「さすがのって……ちょっと、一言余計じゃない、イグ?」
「なにか含みがあるように聞こえたか? 純粋に褒めているんだが、エクレール」
「……はい」
もし、剣に顔があるならば、今イグニースは間違いなく満面の笑みで言い放ったに違いない。滅多にない上機嫌な声が腹立たしい。
エクレールはイグニースのことを、思い切り地面に叩きつけてやりたくなったが、身を護る武器が無くなってしまうのは心許ないので、寸前でその衝動を堪える。
不承不承といった風に、エクレールは頷いた。どうも今日は分が悪い。
「それで、何がおかしいと感じた?」
まるで教師のような口調でイグニースがエクレールを促す。恐らくイグニースはおかしい点をとっくに洗い出しているに違いないが、時折、こうやってエクレールを試すようなことをする。少女を甘やかさないことを信条にしているイグニースは、いついかなる時でも、エクレールが成長するよう鍛えているのだった。
「まず、旅人も冒険者も遺体が今までに全く見つかっていないこと。食い殺されたんじゃないかって話もあるらしいけど、その可能性は低いんじゃないかなあ……この辺りでは、人を食べるような凶暴化した魔物は発見されたことがないはず」
エクレールはそれを分かっているため、素直に答えようと指を折りながら、今回の依頼内容の疑問点を口に出す。首を傾げ、眉間に皺を寄せているのは、彼女の考え込んでいる時の癖だった。