第8話 おっさん、窮地を救う
虚無の襲撃も特になく、平和に夜を明かした俺たちは朝飯を済ませて旅を再開した。
因みに朝飯は寝起きの胃に優しいものをってことで野菜をたっぷり挟んだサンドイッチにした。手持ちのパンを固くなる前に消費したかったし、野菜は早めに食べないと鮮度が落ちるからな。本当はゆで卵かベーコンがあれば文句なしだったんだけど、今は手持ちにないので切った野菜を挟んでマヨネーズを塗っただけの簡単なものにした。この辺は後でまとめてフォルテに召喚してもらうことにしよう。
この世界にはパンの間に何かを挟んで食べるといった発想はないらしく、マーガリンのようなものもないので、そのまま齧るのが一般的なのだそう。フォルテはパンをこんな食べ方するのは初めてだと目を輝かせながら一生懸命サンドイッチを頬張っていた。特にマヨネーズの味が気に入ったらしく、これがあるから野菜が一層美味しく感じられると言っていた。
マヨネーズは優秀だもんな。単にサラダに掛けるだけじゃなくて料理の隠し味にも使えるし、地球の料理には欠かせないものだと俺は思っている。
昼飯は何にしよう。軽食だけだと力が出ないし、フォルテに肉とか卵を召喚してもらって何かがっつりとしたものを作ろうか。
肉と卵……そうだな、親子丼なんてどうだろう。
日本人はやっぱりパンよりも米だ。見晴らしのいい景色を眺めながら腹一杯に炊きたての米が食べたいよ。
よし、そうしよう。
俺が昼飯のメニューを決めた、それとほぼ同時だった。
俺の少し前を歩いていたフォルテが、唐突に足を止めた。
「……誰かが虚無と戦ってるわ」
彼女の視線は、遥か前方──俺たちの行く手に広がる平原へと向けられている。
確かに彼女の言う通りに、何か点のようなものが動いているのが見えるが……此処からでは遠すぎて人なのか何なのかが全く分からない。
異世界人って視力がいいんだな。まあ、この世界には視力を悪くするようなスマホもゲームもないし、常日頃から遠くを見て暮らしているんだろうから、当たり前か。
因みに俺の視力はあまり良いとは言えない。眼鏡は掛けていないが、後少し視力が落ちたら眼鏡が必要になると医者に言われたことがある。その程度の視力だ。
日常生活を送る分には不自由はしないだろうが……遠くから何かが飛んできた時にそれにすぐに気付けないのは困るかもしれないな。
「数が多いわね」
そう呟くフォルテの表情は引き締まっている。
「助けてあげた方がいいかも」
そんなに数が多いのか。
俺はあれをアルテマ一発で吹き飛ばしてしまったから虚無の脅威なんてものは今ひとつ分からないが、普通の武器では傷が付かなそうな固い体をしていたし、普通の旅人にとっては手強い存在なのかもしれない。
俺は勇者を名乗る気はこれっぽっちもないが、手の届く範囲の中に助けられる存在がいるのなら、それは極力助けてやりたいと思っている。
現場に向かおうと言うフォルテの言葉に、異を唱えるつもりはなかった。
戦場は混沌としていた。
立派な武器を手にした男たちが、杖を携えた女たちが、技を、魔法を必死になって繰り出している。
彼らを相手にする虚無は顔に大きな角を持ったサイのような動物を彷彿とさせる姿をしており、彼らを追い回してしきりに突進を繰り返していた。
虚無って人型だけじゃなくて色々な姿をしてるもんなんだな。
弱点である例の赤い玉が腹の下に隠れている分、仕留めるのが大変そうだ。
「あうっ!」
虚無の体当たりを避け損ねた魔法使いが声を上げながら宙を舞った。
角での一突きを食らったらしく、腹から血が帯のように噴き出していた。
「エルザ!」
戦場に飛ぶ仲間の叫び。
魔法使いは地面に投げ出されるように転がった。ぴくりとも動かず、全身がぐったりとしている。
他の仲間も彼女の安否を気にしているようだが、虚無の突進を避けるので精一杯らしく、誰一人として彼女の元に駆け寄る者はいなかった。
これは、まずいな。
「ハル、助けてあげて! 殺されちゃう!」
フォルテが俺の袖を引っ張ってくる。
言われなくても──そうするつもりだ!
俺は虚無を狙って両手を翳した。
狙うは、足だ。
まっとうな生き物でないあいつは頭を吹き飛ばしても堪えないかもしれないが、足がなくなれば少なくともあの突進を止めることはできる。まず足を吹き飛ばして動けなくした後に、弱点を潰してとどめを刺してやる!
「アルテマ!」
俺が放った魔法の光がまっすぐ虚無めがけて飛んでいき、その胴体に突き刺さる。
衝撃で、胴体が丸ごと吹っ飛んだ。黒い石の欠片が花火のように辺りに飛び散って、残った頭がごどんと地面に転がった。
「!……君たちは」
俺の方を見て驚愕の声を上げる男の一人。
「話は後だ。先にこいつらを何とかしないとな!」
俺は次の標的に狙いを定めた。
そう。まだまだ虚無は残っている。一体を仕留めたからといって気を抜いていいことにはならない。
俺は虚無の注意が彼らに向いているその隙を突いて、一体ずつ着実に魔法を叩き込み、奴らをただの石塊へと変えていった。
全ての虚無が倒されるのに、そこまでの時間はかからなかった。