第12話 虚無討伐作戦
リッカの街を出て一路東へ。二時間ほど歩いた先に、その場所はあった。
ロクワ山道。ロクワ山脈という大陸を縦に二分する山々の連なりの間にできた、自然が形成した道である。
成程な、山脈の間を通った道か……迂回すると時間がかかると言っていたフォルテの言葉には納得だ。
俺は山道の入口に目を向けた。
緩やかな傾斜になった道が、背の低い雑草が生えた山の中に向かって伸びている。奥の方に行ったらその限りではないだろうが、この辺り一帯にはあまり背の高い木は生えていないらしく、遠くの様子がよく見えた。
道の脇に、色褪せた字で『ロクワ山道入口』と書かれた古めかしい木の立て札が立っている。
そして、その横。山道を体全体で塞ぐように。
巨大な虚無が寝そべっていた。
体長は、此処からでは正確には分からないがおそらく十メートルほどある。尻尾があるので、その長さを含めたらもっとあるだろう。尖った形をした頭は太い胴体と比較すると随分小さく、その形は爬虫類のもののように見えなくもない。背中には歪な形をした大きな紫の岩が張り付いており、何だか畳んだ翼のように見えた。
「竜型の虚無……」
虚無を見て喉を鳴らすフォルテ。
竜か……本物の竜とやらがどれほどの存在なのかは俺には分からないが、何だか強そうだというニュアンスは伝わってくる。
仮に竜型でなかったとしても、あれだけの大きさだ。魔法一発で仕留めるのは流石に無理そうだということは分かる。
たかが虚無だと思って引き受けた仕事だったが……これはちょっと甘く見てたかもしれないな。
「ハル……本当に大丈夫なの? あんな大きな奴、本当に一人で倒せるの?」
「……仕事を引き受けた以上、やるしかないだろ」
俺は手の骨をぱきぱきと鳴らしながら虚無を睨んだ。
それまで前を向いていた虚無の顔が、ゆっくりとこちらを向く。目玉があるわけではないので見られているという感じはしなかったが、確かに奴は、俺たちの方を見ていた。
伏せていた巨躯が、持ち上がる。
奴が、動き出そうとしていた。
先手必勝だ。接近される前に可能な限りの魔法を叩き込んで、少しでも大きくあの馬鹿でかい体を砕いてやる!
「フォルテ、離れてろ!」
フォルテを安全な場所に逃がして、俺は魔法を放った!
「アルテマ!」
俺の掌から放たれた青白い光が、虚無の頭を粉微塵に吹き飛ばす。
ごろごろと辺りに飛び散る黒い石の欠片。しかし虚無は全く動じていない様子で、その巨体からは想像も付かないような早い動きで俺の方へと迫ってきた。
やはり、弱点を潰さない限り体の何処の部分が欠けようが動き続けるようだ。こいつも一応生き物であるとはいっても、その特性は機械なんかに限りなく近いのだろう。
それならば。
「アルテマ!」
迫ってくる虚無に向かって同じ魔法を撃つ。
狙ったのは──足。
どんなに大きな存在でも、足を使って体を支えている限り重力には逆らえないようにできている。足を失えば、体を支えられる手段がなくなり、動くことができなくなる。
アルテマの光が虚無の四本ある足のうち左側の二本をまとめて砕く。
体のバランスを崩した虚無が走る勢いをそのままに地面に転がり、滑るようにして俺の方へと突っ込んできた。
俺はそれを全速力で横に走って避けた。体のすぐ後ろを巨大なものが横切っていく感覚を感じ、後少し走るのが遅かったら……と背筋に冷や汗を感じた。
くそ、こんなことなら普段からジョギングでもして少しは体力を付けておくべきだったよ!
息をぐっと飲みながら振り返る。
虚無は完全にひっくり返っていた。今まで下になっていた腹の部分が上になっており、隠れていた弱点の赤い玉がよく見える。
起き上がろうと残った足を懸命に動かしているが、片側だけの足では体のバランスを保つことができないようで、ひっくり返った亀のように地面に空しく背中を擦り付けるばかりだった。
勝負はついた。後は弱点を潰せば、終わりだ。
俺は赤い玉を狙って魔法を叩き込んだ。
魔法の光が赤い玉を粉々に砕く。
弱点を潰された虚無は尻尾の先からがらがらと音を立てて崩れていき、幾分もせずに巨大な瓦礫の山と化して、沈黙した。
「……ふう」
俺は肩に入っていた力を抜いた。
これだけの大きさの代物を相手にすることになった時はどうなることかと思ったが、所詮はやはりただの虚無だ。パニックになったりしなければ、俺一人でも十分に倒すことができる。
俺は黒い瓦礫の山に近付き、石を漁った。そして数多の黒い石の中に紛れた赤い石の欠片を見つけて、掘り出した。
虚無を討伐した証として、心臓の欠片である赤い石を持ち帰る必要があるのだ。これを冒険者ギルドに提出して初めて俺が仕事をちゃんとこなしたことが認められ、報酬が支払われるようになっているのである。
俺は赤い石を鞄の中に大切にしまった。
遠くで俺の戦いを見守っていたフォルテが、駆け寄ってきた。
「あんな大きな虚無を一人で倒すなんて……凄いじゃない! あんなこと、並の魔道士にはできないわよ!」
尊敬の眼差しを向けられて、俺は思わず照れて後頭部を掻いた。
人に尊敬されるなんて……生まれて初めてだ。ちょっと嬉しい。
思わず、笑みを零す。
それを彩るように、横手から誰かの拍手が聞こえてきた。
「まさか、この子を一人で倒すほどの魔法の使い手がいるなんてね……驚いたわ。人間の魔道士も、まだまだ捨てたものじゃないのね」
喜び合うのをやめて、拍手のした方に顔を向ける俺たち。
虚無がその体で道を塞いでいた山道。その中央に、
「初めまして……有能な魔道士さんたち」
旅をするには不釣合いな裾の長い漆黒のドレスを身に纏った一人の女が、微笑みを浮かべて佇んでいた。