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中卒リベラシオン  作者: つきしまいっせい
1/28

○第一話 大地

※前書きが長すぎたので後書きに移しました(2017年7月11日修正)

 2050年、東京。

 かつての北区、足立区、板橋区を統合した第七行政区。

 首都の北部に位置することからノース・サイドと呼ばれている地域の、その一画。

 そこでは高さ百メートル、横幅は二百から三百メートルにも及ぶ濃灰色の建物が正確に南北を貫きながら何百棟も林立している。

 それぞれの建物の断面は細長い凸字状を成し、下層部の奥行きは約四十五メートル、中層部以上は奥行き二十三メートルで統一されている。

 立地を無駄なく使うように整然と配置された、無味乾燥な巨大団地群。

 生活保護受給者や年金のみで生活する高齢者、犯罪歴のあるせいで碌な仕事が見つからない生活困窮者といった、経済弱者ばかりを集めた特別養護団地だ。

 ここはまた、官製貧困ビジネスの巨大実験場でもあった。


「あ、茜姉(あかね)ぇ!」

 それまでの緊張して強張った表情から一変して、赤羽大地(あかばだいち)はアザだらけの顔をほころばせた。

「なに、また負けたの?」

 大地の頭をグリグリと撫でながら豊島茜(とよしまあかね)は呆れたように、しかし嬉しそうに笑った。

 生徒指導室。この場にいる別の人物が苦笑を浮かべる。

「久し振りだな、豊島。今日は休みか?」

「お久し振り、センセ」茜は表情を一変させ、今度は好戦的な笑みを見せる。「非番だからハウスに寄ってみたら、寮母さんが学校に呼び出されてるって聞いて、ね」

 教師はやれやれとわざとらしく溜息をついた。

「明日で卒業だってのに、……まったく」

 教師の小言などまったく耳に入っていないのか、大地はやってきた茜を嬉しそうに見つめてばかりいた。

 日本人離れした赤い髪と深緑の瞳。中性的な顔つきで、背は男子としては低い方。

 痩せぎすでいかにも頼りない体格。

 実際、体力はなくケンカも弱い。

 赤羽大地は教室の片隅で目立たないようにしているのが似合うひ弱な少年。

 普段の表情も穏やかだ。だが、敵と認識した相手には一歩も引かず、むしろ積極的に戦ってしまう。

 幼い頃からずっと、茜にそう教えられてきたからだ。


 茜は大地の頭を撫でたまま、悪びれずに応じた。

「どうせケンカ売ってきたの、向こうなんでしょ?」

「ま、そうなんだがな。困ったもんだよ」

「だったらいいじゃない? 逃げてばっかりじゃ舐められっぱなしだし」

「……教師として賛同できる考えではないな」

「ウチはそのやり方で学校生活を楽しいものに変えてきたんだけど?」

 不敵な表情を浮かべた茜は、拳を突き出してみせる。

「確かにお前は一年でそうしたさ」

 教師の溜息を聞き流すと、茜は大地に視線を戻した。

「でも大地は、ちょっと弱すぎかな?」

 教師はやれやれとぼやきながら椅子から立ち上がった。

「明日は卒業式だ。もう問題は起こさないでくれよ?」

「それは相手次第でしょ?」

 大地に代わって言い返してくる茜に向かって、教師は「帰っていいぞ」と呟いた。

 だが、別れ際に声をかけてくる。少しシリアスな口調だった。

「なあ、豊島」

「なに、センセ?」

「やはり高校には行かないのか? せめて定時制ぐらいは出てないと。それに赤羽も……」

「ありがと、センセ」茜は割り切ったように笑う。「でもウチ、今の仕事が大事だから。それに大地だって……そうよ」

 どこか自分に言い聞かせるように、茜は低い声で言い切る。

「そうか」

 もう何回も言っていることなので、教師は諦めてその話を打ち切った。

「だが、勉強をする気になったらいつでも言ってこい。先生はずっと待ってるからな」

 茜はもう一度「ありがと」と言ってから大地を引っ張って廊下を進んでいった。

 茜の隣で大地は、去り際に教師に眼を向ける。

 

 一年経ってもその顔を憶えることができなかった。

 顔を憶えかけては忘れてしまう。ずっとその繰り返しだった。

 そして明日の卒業式で、もう会うことはなくなる。

 先生は、たぶん先生なりに自分のことを心配してくれていたみたいで、それは何となく分かる。恐らくいい教師なのだろう。それは茜とのやり取りからも十分に想像できた。

 でもその気持ちに応えることは結局できないままだった。

 大地は諦めたように溜息を洩らす。

 明日にはきっと先生のことなんて、存在ごと忘れてしまうのだ。

 

 校舎から外に出ると、巨大な板状の建物が視界をいっぱいに覆ってくる。

 濃灰色の団地群だ。

 それぞれの建物は下層部分が公共施設や工場などに使われていて、大地たちが出てきた中学校も、そんな団地棟の下層部にあった。

 周囲を威圧的に囲む壁面に睥睨されながら大地と茜は狭い校庭を歩いていく。

「この前まで通ってたのに、いきなりよそよそしくなるんだね、学校って」

 少しだがノスタルジーを帯びた瞳で、茜は校舎を振り返った。

 豊島茜は、大地とは対称的に健康的で逞しい少女だ。

 日焼けした全身。春先だというのにへそ出しタンクトップに丈の短いショートパンツ。薄手のスプリングコートという姿なのに少しも寒そうにしていない。

 腹筋の浮き出る無駄のない腹部と、豊かな胸部を隠すように締めつけているスポーツブラのせいで、精悍な印象が強められている。

 天然のカールがかかった黒髪を顎のラインで整えたショートボブ。燃え盛る炎のように情熱的な瞳、少し低めのハスキーボイス。

 周囲からよくアマゾネスと形容される、ワイルド系の美貌の持主だ。


 大地はふと立ち止まり、おずおずと茜に眼を向ける。

 茜は満足げに笑みを浮かべると、大地の肩に自分の手をかけていった。

 それを待っていたかのように、大地も茜の肩を抱き、ふんわりと笑う。

 直後、周囲からは悲鳴にも似た声が控えめに響いてきた。

 先ほどから遠巻きに送られてくる熱い眼差しの向かう先は大地だ。

 茜が見たところ、五~六人といったところか。

 そんな視線を感じながら、茜は大地の横顔をしげしげと眺めていた。

 優しそうな面差しだ。しかし大地にはそれ以上に人を惹きつける、ある種の魅力があった。

 控えめな笑みと中立的な態度。自分から人を傷つけることは決してせず、いつも目立たないようにしている。それでいてイヤでも眼につく真っ赤な髪と中性的で整った顔立ち。弱々しい立ち居振る舞いには、つい庇護欲が刺激されてしまう。

 放っておけないタイプなのだ。

 だが、大地はそんな自分の魅力をまるで認識していなかった。

「ずっとアンタのこと見てるよ。……話しかけてみれば?」

「うぅん、でも……」

「どれどれ、こうして見ると結構可愛い子も混ざってるじゃない」

 言われて見回してみるが、大地の視界に入ってくるのは知らない顔ばかり。

 憶えようとしてもそうすることができなかった、恐らくはクラスメートたち。

「……いいよ、別に」

 少女たちへの関心を打ち消すために、視線を逸らす。

 大地は数少ない身内や明確に敵対的な存在を除くと、人の顔を憶えることができないのだ。


 茜は密かに溜息を洩らす。

 もし、ここで大地が他人に声をかけることができれば――

 或いは、ハードルを乗り越えて大地に話しかけてくれる相手が一人でもいれば――

 たぶん、その瞬間にもっと違う人生が開けていくはずなのに……。

「オレは……」

 大地は透明な笑みを浮かべて、茜だけに聞こえるように小声で語った。

「茜姉ぇと舞、あと翼がいればそれで幸せだから」

 それは大地の口癖。

 目の前に開かれた機会を拒むように、大地はいつもそう口にする。

 茜はそこで言葉を閉ざしてしまう。これ以上、その話には触れたくない。だから別の話題を探してしまうのだ。

「大地、少し背が伸びたんじゃない?」

「そう?」大地は興味なさそうに応じるが、言われて逆に気がつく。「そう言えば、茜姉ぇ、最近腕が太くなって……ぐはぁっ」

 茜の拳が大地の鳩尾にめり込んでいた。

 体をくの字に曲げて悶絶する大地の姿に、きゃあという痛々しい悲鳴が覆い被さる。

「女の人に腕が太いとか言わないのっ!!」

 ビシッと人差し指を向け、憤然とそう言い放つ茜。筋トレの成果で上腕二頭筋が逞しくなっているのは事実だった。だが、面と向かってそう言われると腹立たしいのもまたその通り。

 大地はううっと呻きながらゆっくりと体を起こした。

「うん、分かった。もう腕のことは言わないから。……ゴメンね」

 反省した表情で俯いてしまう大地。

 その、自分に対してあまりにも従順すぎる姿に、茜は一瞬にして冷静になってしまう。

 大地は殴られて怒るどころか、逆に気を遣ってくるのだ。

「傷つけちゃった?」眼を窺うように心配する大地。

「アンタって……」

 茜は呆れた声を洩らしながらも、思わず大地を抱き締めていた。底抜けとすら思える大地の優しさを感じると、そうせずにはいられないのだ。

 直後に響くのは少女達の絶望に満ちた悲鳴。そして呪詛の言葉。

 そんな反応を無視して、茜は大地の頬に自分の頬を寄せる。

「こっちも、殴ってゴメン」

 大地の気弱そうな表情が一変して安心した笑みに変わる。

「よかった」透明で儚い笑顔。「久し振りだね、こういうの」

 茜がハウスを出て一年。それまでは当たり前のようにしていた、こういったスキンシップもめっきり減っていた。嬉しそうな大地に頬を寄せたまま、茜は頭を優しく撫でる。

「ねえ、翼は今でも大切?」

「もちろん」間髪を入れずに応じる大地。

「そうよね……」茜は眼を閉じて、翼のことなんて思い出したくないのに思い出す。

 何かある度に大地に抱きついてきた、不安定な翼のことを。

 いつも不安げな顔で大地にピッタリとくっついていて、大地ばかりを頼っていた。

 血色の悪い顔と、やけに真っ黒な瞳が成す奇妙なコントラスト。

 短く刈られたツヤのない漆黒の髪はいつもボサボサ。

 みすぼらしい半ズボン姿と青白い肌が、痛々しいくらいの貧弱さを際立たせていた。

 三歳の時に大地から少し遅れてハウスに入ってきて、五歳になって引き取られていった。

 そんな翼に大地が取られそうな気になってしまい、不安に駆られた茜も対抗して大地に抱きつくようになっていた。

 すぐ後に入ってきた舞も同じように大地に抱きつきだした。

 幼児の遊びのような、そんな大地の奪い合いは翼がいなくなった後も、年を経て彼らが思春期になっても続いてしまった。それは彼らにとってはあまりにも当たり前で、疑うことすらない行為になっていたのだ。あるいは、お互いの関係性を確認し合う儀式と言い換えてもいい。

 そんなのはおかしいとクラスメートたちに指摘されればされるほど、茜たちはむしろ意固地になってしまうほどだった。

「じゃあ、もしあの時引き取られていたのが大地だったら?」

 茜はそう訊ねずにはいられない。もしそうならば大地にはまったく別の、恵まれた人生が用意されていたはずだから。

「翼が幸せなら、オレはそれでいいよ」

 大地は透明な笑みで、団地に切り取られた狭い空を見上げる。

 自衛軍のヘリコプターが、低周波音を響かせながら蒼穹を横切っていった。

「でも、翼が幸せじゃないなら、また一緒に暮らしたい……。茜姉ぇと、舞と、四人で……」

 言って大地は遠い目をしてみせる。右の手の平で胸を押さえながら。

「大地――っ!」

 思わず叫んでしまってから、茜は大地を抱き締める腕に力を入れてしまう。強く、強く。

 彼女だけは知っていた。大地の儚げで透明な笑みが意味しているものを。

 大地は自分も、舞も大事にしてくれる。でも、何かが決定的に欠けたまま。

 失われた心の欠片を、ずっと取り戻せないでいるのだ。

「ウチだけはずっといるから。大地を守ってあげるから……」

 絞り出すように、茜はそう囁く。

 大地は柔らかく笑った――嬉しそうに、透明に。

「オレも、茜姉ぇを守るよ。ずっとずっと」


* * * * * * * *


 茜が大地を連れていったのは近くにある公園の一画。

 若い桜の樹の根本には、枯れた花が何本か置かれている。

 茜は持ってきた切り花を手向けて、両手を合わせた。

 大地は茜に倣って、同じように合掌する。

「ここって、確か自殺があった場所じゃ……」

 茜は唇を噛んで頷いた。

「ここで死んだ人、元はウェスト・サイドでバスの運転手をしていたわ」

「うん……」

「乗り合いバスの運行中に、暴走していた自家用車にぶつけられてしまったの。それもわざわざ安全装置をオフにして、信号も制限速度も完全に無視した無謀な運転の車に……」

 公共交通機関は自動運転が基本。運転手の仕事といえば、誤作動がないか見張っているくらいで、基本的には座っているだけだ。運転手とはいっても、いわば監視役に過ぎない。

 そのバスは自動運転のまま一時停止線でしっかりと止まってから、ゆっくり大通りに出て行こうとするところだった。その鼻先に暴走車が突っ込んできたのだ。

 多くの証人が語るように、責任はすべて自家用車側にあると思われた。

 だが、裁判の結果はバスの運転手の過失という不条理なものになった。

 乗客の証言はすべて、下民(げみん)による信憑性に欠ける妄言として無視された。代わりに、その場にすらいなかった警察官による根拠のない心証だけが有力証言(・・・・)として採用された。

 おまけに一時停止のラインを超えるようなブレーキ痕が、いつの間にか路面に現われていた。

 事故直後に現場で警官が集まって、不自然に設置された囲いの中で何か作業をしていたことも目撃されていたのだが、報道はその件について何も語らず、またネットに上がった情報もすぐに削除されてしまった。


 暴走車を運転していたのは警察省のキャリア官僚。

「官僚無謬思想」と「公務員性善説」に基づき、被疑者であるはずの官僚は被害者とされ、運悪く事故を起こされてしまった罪のない運転手にすべての責任がなすりつけられた。

 運転手は執行猶予のつかない実刑で収監され、強制的に職を失う。

 無実を叫んでも、誰も耳を貸してくれない。控訴は当然のように棄却。

 司法はおろか、報道機関も完全に官僚の配下にあるご時世、運転手には抵抗する手段がなかった。左派系の野党議員に頼ろうとするも官僚が相手となると及び腰になってしまい、まるで役立たずだったという。

 運転手の身内でさえ、害が及ぶのを恐れて口をつぐんだまま。

 仕事を奪われ、家族から見放された男は出所後に生活保護受給者としてノース・サイドに移らされた。

 いわゆる“北落ち”である。

 そして男は失意のどん底から這い出る術を見つけられないまま、明日への望みを無くして自らの命を絶ったのだ。

「その警察省の官僚って、今なにしてるの?」

 大地は静かに訊ねた。普段は穏和な瞳が、宙の一点を見据える。

「そいつは同じような事故をその後で二回も繰り返してるわ。どっちも被害者ってことになってるの。本当の被害者の人生をメチャクチャにして、のうのうといつも通りの暮らしをしてるわ」

「オレたち下民は踏みつけられて当たり前ってこと?」

「官僚貴族は、ウチらのことを人間だなんて思ってないわ。ただの虫ケラよ。退屈しのぎに人生を台無しにしても、たとえ生命を奪ったとしても、少しも心を痛めることはないわ」

「その官僚は……、殺さなくっちゃダメだよね、茜姉ぇ? 殺さなくっちゃッ」

 大地の瞳を、茜は愛おしげに見つめた。

「いい子ね、大地」言って大地の頭を優しく撫でる。「でも大丈夫」

 茜は誰にも聞かれないように小声で、だがしっかりと囁いた。

「その官僚は、今晩粛正されるから――」

多少のネタバレを含む設定について。


【量子魔法について】

 本作における格闘手段は主に量子魔法となる。これは量子論による多世界解釈、人間原理から発展されたランドスケープ宇宙論、超弦理論およびその上位理論とも言えるM理論等において予測されている高次元の存在によって発生するものと設定している。そしてエキピロティック宇宙論のように、この宇宙が別の宇宙と接することによるエネルギーおよび物質の瞬間的な流入を量子魔法と定義している。

 量子魔法という呼称は、量子コンピューティングの演算実行により魔法が発生するという考えによる。本作において量子コンピューティングは部分的に実用化されているという前提になっているが、その技術はカナダ・D-WAVE社が製造している量子コンピュータを原型とし、ニオブという金属にジョセフソン接合を施した超伝導量子干渉計(SQUID)が発生させる磁束の重ね合わせ状態によって発生するものとする。

 エネルギーおよび物質の流入が魔力の源泉であるため、本作における魔法は物理現象という形で説明できる内容にするよう努める。従って物を作り出したり願いを叶えたりといった“幻想的な”効果は持たないものとしている。


【2050年の日本について】

 2050年時点での日本の人口構成および経済状態については、やや古いデータではあるが一般社団法人日本経済団体連合会 21世紀政策研究所 グローバルJAPAN特別委員会が発表した『グローバルJAPAN ―2050年シミュレーションと総合戦略―』のデータにおける「悲観シナリオ」が予測する数値を参照している。総人口は2010年より3,100万人減の9,700万人、労働人口は2,150万人減の4,438万人。高齢化は一層進行し、75歳以上人口の比率は24.6%にもおよぶ。世界第三位だったGDPは2010より27%縮小した2兆9,720億PPP(年基準購買力平価)ドルとなり、世界第九位。先進国の地位は保っているものの、かつて経済大国と呼ばれていた面影は見られない。

 長く続く不況は人々を消極的にさせ、イノベーションやチャレンジを阻む。一方で権威にすがる傾向を生み出し、半官半民ビジネスがしぶとく生き残る。政府との結びつきが強い老舗企業は税金によって保護される一方で、新興企業はその合理性故に目の敵にされ、出る杭として打たれ続ける。その結果、タックス・イーターばかりが蔓延るようになり、いわゆるギリシャ化という状況に近くなるものと考える。官僚による裁量は力を増し、その源泉となる各種の規制は強まっていく。

 政府の債務残高が現在のペースで増え続けると、2050年時点では2,000兆円を超える計算になるが、GDPを360兆円と想定するとその比率は555%。現実的にはあり得ない数字とのことで、債務削減のために何らかの対策は取られるものと本作では考える。政府の支出において多くの割合を占めるのが社会保障費であり、政府はこの部分に手をつけない訳にはいかなくなるだろう。年金や生活保護を無駄なく効率的にするため、現金ではなく各種バウチャー等による現物支給が主流となるのはある意味必然と言えるが、官僚はそのような“好機”を逃すことはない。誰もが反対できない施策の裏側には、必ず自分たちの利権を埋め込む。そのようにして官僚にとっての養分、即ち官制貧困ビジネスの基盤が生まれる。



【官僚による集団独裁について】

 官僚による独裁というと奇妙に思えるかもしれない。日本国憲法によって立法府である国会が最高機関と位置づけられており、また三権分立という原則があるからだ。しかし、三権分立などというものが実際に成立しているのか。法案は官僚抜きには成立できず、議員立法でさえすべてが官僚によって書かれている。裁判官の人事権を握られている司法はよほどのことがない限り官の決定に異を唱えることはない。実質的に官僚がすべてを掌握していると言っても過言ではないのだ。

 官僚はこれまでずっと政治家たちと見えない権力闘争を演じてきていた。そしてそれはこれからも変わることはないだろう。2017年現在、幹部官僚約600名の人事は内閣人事局に握られている。しかしこの状況はいつ変わってもおかしくはない。政権の支持率が落ちれば、或いは総理大臣が交代すればあっという間に状況は一変する。制度を骨抜きにすることも、制度自体をなかったことにすることも可能だ。官僚たちはその戦い方を熟知しているだから。

 官僚はまた、記者クラブ制度によって報道を都合よくコントロールできる立場にある。官僚たちは、メディアが特オチを極端に怖れていることをよく知っている。その習性を利用して、報道機関にアメとムチを使い分ける。大手メディア企業の記者が、本当の意味で官僚を監視することはない。官僚といかに良好な関係を築くかが、記者自身の保身と出世に大きく関わってくるからだ。

 そのような官僚たちが自らの子女を大手メディア企業に送り込むことは難しくないだろう。例えば電波行政を司る総務省がその配下にあるテレビ局へ新卒社員をねじ込むことも、警察庁の幹部が子女を大手新聞社へ情実入社させることもその気になれば容易である。

 では、コネで送り込まれた身内がメディア企業内で出世するように省庁が望んだとして、それを阻むことは可能だろうか。一社ずつ狙い撃ちされればあっさりと軍門に降るというのが本作における見立てである。たとえそれが左派メディアであってもだ。

 かくして官僚を監視する存在はいなくなる。

 残念ながらネットメディアの持つ影響力は限定的であり、その声は掻き消されていく。その具体策については隣の大国における豊富な事例が役に立つだろう。

 

 憲法が職業選択の自由や移動の自由を認め、国の最高権力は国会であり、三権分立は保たれ、報道の自由も表現の自由も保障されたままであるのに、しかし実質的にすべてが官僚の統制下にあるという、ゆるやかな集団独裁が実現していくのだ。

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