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月光の香りを追う

都市では華やかなルネサンスが幕開けをつげていた時代、辺境ではいまだ中世の香りが残る。そんな時代のヨーロッパ東部、恋と戦いと悪魔たちの織りなす物語です。

 (一)


 秋は狩りの季節である。わたしは落葉の散りしいた森で、白い大鹿を追っていた。馬が疾走し、ブナの金色の木陰、カエデの深紅の木陰、その間にかいま見える爽やかな青空が後ろへと流れていく。ゆるやかな曲がり道で、わたしは馬の走るにまかせ、あぶみを踏みしめ、弓をしぼり、放った。白鹿は矢が風を切る音を聞いたのか、大きなブナの木のむこうで大きく跳ね、光のように素速くしげみをとびこえた。矢はうなりをあげて、幹に突き立ち、震えた。


 矢を引き抜いて、湯気を立てている愛馬のたてがみをなでていると、フィルが鼻先でなにかの匂いをかいでいるのに気がついた。落ち葉にかくれているものをとりあげてみると、水色の布で束ねられた一房の髪であった。白味がかった金髪で、紙片もいっしょに束ねられていた。木漏れ日のなかで、紙片をひらいてみる。


 「マシュ様、ついていくことができません。年老いた父を一人のこし、ここを去るにしのびないのでございます。どうか分かってください。あなたがわたくしに書いてくださった詩は生涯大切にいたします。おそらく、わびしい一生で、ただひとつの宝となりましょう。偽りなき心のしるしとして、髪の一房を贈ります。ほかに捧げるものがありませんが、愛の記憶として。許されるなら、あなたの永遠の白薔薇。タナ」


 わたしはこの書きつけを読み終えると、詩をおくったマシュと、タナという娘の実らぬ恋に思いをいたし、どうして、この愛のしるしが、落ち葉のしたに見すてられることになったのかと、想像をめぐらした。マシュが傷心ゆえに真実の愛をすてたのか。それとも、タナがあるいは去ってゆくマシュの負担になることを悟り、渡す前にあきらめたのか。


  狩猟の興奮はいつしか醒めていた。日はまだ傾いたばかりだが、わたしは村の宿にかえることにし、馬をこんどは歩かせて、この大森林の色彩をみながら、もときた道をたどった。馬のひずめの後に、静かに落葉が散り、森は人の痕跡を消していった。


 秋の日暮れは思わぬほど速かった。村の近くに来たときには、もう夕闇がせまっていて、はやく引き返したことが正しかったと思った。夜になれば、ほんものの悪魔や、悪魔に扮した盗賊がでるかもしれないからだ。


 「だんな、獲物はないようでしたな。一人じゃむりでござんすよ。どうです。明日は犬と勢子を世話しますぜ。村の衆と犬で追い込めば、大鹿を狩るのも夢じゃねえ。」


 夕食のシチューを出しながら、宿の主人が言った。しかし、わたしの心は別のことに向いていた。


 「主人、この近くにタナという娘はおるか」と、思わず尋ねていた。


「ああ、水車小屋の娘ですよ。親父は変わり者で、言葉づかいからすると、もとは街の金持ちだったらしいのですが、もうに十年以上になりますか、この村に流れてきて、水車小屋を始めたんですよ。昼に粉の仕事を終えると、夜にロウソクをともして、娘に読み書きをさずけたようですな。それが災いしたのか、何だかわけのわからん男を追いかけて、ちょっと前から行方知らずですよ。やれやれ、女に教育をさずけるなんざ、ろくなことはありませんな。」


 わたしは「もう少し一人でやってみる」と言い、しつこく勢子を世話するという宿の主人を下がらせると、寝室にはいった。上着の物入れから髪房をとりだしてみると、それは月光のように静かに湿った光をはなち、野の花の香りをかいだような気がした。わけもなく、これがうち捨てられたのも、今日のような月夜ではなかったかと思いをいたし、ねむりについた。

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