第三章
最初に生じたのは、何とも言い難い本当に些細な違和感だった。
三年ほど前のある日の明け方、私は何時もよりずいぶんと早く目が覚めてしまった。
晴れているとはいっても明け方の空はまだ暗く、いつも身の回りの世話をしてくれる侍女は当然まだ起こしに来ない。見慣れているはずのこの広く豪奢な調度品の並ぶ部屋の中に一人きりという状況に、なぜか焦燥感にも似たひどく心細い心地がした
最初は、本当にそれだけ。それだけのなんということはない昔の出来事のはずなのに、なぜか頭にこびりついて離れないのだ。
まるで本能がこれから起こる予兆への伏線、或は何か大切なことを思い出すための小さなかけらを拾い上げたかのように。
その出来事から数日は何も起こらなかった。
夜、暗い部屋の中で一人たたずんで窓の外、一面に広がる星空を見てもただ美しいと思うばかりで、何の違和感も感じなかった。それに私は一人、ほっと胸をなでおろしたのを今でも覚えている。
しかし、それからというもの何の規則性もなく折に触れてその何とも言い難い違和感は私に襲い掛かった。
例えば、お父様がお仕事で遠方へ行った際、お土産として下さった見たことがあるはずのない珍しい品種の美しい花を見た時。
例えば、クローブが花のように可愛らしく微笑みながら親愛を伝えてきた時。
例えば、数日に一度必ず来るアルからの手紙に綴られたあふれんばかりの愛情を感じ取り、私の胸にじんわりと温かいものが広がった時…
それは枚挙の暇もないほど日常に溢れていた。
そして今日、私がその違和感の正体を知る決定的な出来事が起こった。
つい先ほど、私がクローブと一緒に中庭の庭園を散歩していた時の出来事である。
大人の男性でも全てを見て回るのに軽く半日ほどかかるその庭園には、色とりどりの花が咲き乱れており、何度散歩をしても見飽きることはない。加えて今日はよく植物について教えてくれる初老の庭師が、新しく植えた数種類の花たちが見ごろになっているといっていたため、弟とともに楽しみにして来ていた。
弟はとても植物が好きだ。私も図鑑を眺めたりすることが好きなので結構詳しいつもりだが、クローブのそれは群を抜いている。
私が知らない花を見つけ、それについて尋ねるたびに、とてもとても丁寧に、そして驚くほど詳しく教えてくれる。近頃はお父様やお母様の許可を得て、庭師とともに花の水やりを手伝ったりしているらしい。
そんなクローブと二人で歩きながら(もちろん迷子にならないようしっかり手を繋いでいる。)しばらく歩いていくと、今までは何も植えられていなかった花壇の一角に、初々しく咲き誇る花々が見えてきた。遠目から見てもわかる程鮮やかなそれらは大小さまざまだが、不思議と調和がとれている。
「ねえ、クローブ。残念ながら私はあの花々の名前は全く分からないのだけれど、あなたは知ってる?」
私が隣の植物博士にそう聞くと、クローブはフフッと少し得意げに微笑んだ。
「うん、分かるよ‼あの小さなハートがくっついてるみたいな草はクローバーで、その隣はアネモネ。そのまた隣の濃い紫色の花は竜胆でその奥に植えてあるのはフリージアとペチュニア。あ!ラナンキュラスもある‼木みたいなのに咲いているのは薄い紫色のほうが藤で、赤くて大きな花が咲いているのは椿だよ!すごい、全部外国にしか咲かない珍しい花ばっかりだ‼それにね…」
うれしそうに語る弟の言葉は、それ以上耳に入ってこなかった。
知っている…その花たちも、クローブも、私も…この世界が何なのかも。
私を長い間苛み続けた違和感の正体に気が付いた時、私を待っていたのは軽い絶望だった。
私は俗にいう転生をしてしまったのだ。それも、この世界の中において最も最悪な形で…。
更新遅れてすみません(;´・ω・)これからも頑張っていきます‼