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夏蓮には、皇子の意図などわかるはずもなかった。
彼は「わかっていない」と言ったけれど、それは果たして何をだろう。そして、では彼は何をわかっているのだろう。
夏蓮の疑問は尽きない。
けれどただ悶々としていることもできず、叫び出したくてたまらない心境であった。
「夏蓮様、失礼致します」
楚々と現れた鳳泉は僅かに戸惑いを滲ませている。
初めての主人の来訪かと思えば、長く留まるでもなく立ち去ったのだ、彼女の困惑は自然だろう。
どう尋ねていいのかも決めかねる彼女に、「皇子ならもうお帰りになりました」と平静を心がけて伝える。鳳泉は静かに頷いた。
「『わかっていない』のですって。わたし」
「? 何をでございますか?」
「さぁ?わたしにもわからないわ。でも皇子がそう仰ったの」
皇子が、という言葉に鳳泉が反応を見せたが、それでも心当たりは思い浮かばないようで何かを言うことはなかった。
夏蓮は溜息を吐いた。
鳳泉さえもいなかったなら、寝台へ行くのも面倒がってこのまま卓に突っ伏して、そのまま夜を明かすだろう。明朝お越しに来る女官が仰天しそうだからしないが。
夏蓮としては、空閨と謗られようと構わない。正妃としての体裁を考えると多少は気にするべきなのだろうが、自分一人しかいない後宮では軽んじられることも無い。家族も、無体を強いられていないならと複雑ながらも胸を撫で下ろすだろう。
ーーーでも。
「ねぇ鳳泉。あなたは……あなた達は、やっぱり皇子とわたしには仲睦まじくいてほしいですか?」
「それは、勿論でございます。ですが、無理してそうして頂く必要は皆目ございません」
間を置かずに続けられた言葉に、夏蓮は目を向ける。不安そうな彼女を、鳳泉は優しく微笑んで対面した。
「女官は確かに皇子を最優先致しますが、夏蓮様も主人であることに相違ございません。私達は、お二人が少しでもお過ごしやすいようにお仕え致します。ですから、夏蓮様が女官の顔色を伺う必要など無いのです」
「いい、の?」
「ええ」
夏蓮の不安を拭い去るように鳳泉は頷いた。戸惑いはまだ消えないが、いくらか気分が軽くなった気がした。
「ありがとう、鳳泉」
「お礼には及びませんよ」
鳳泉はにこりと微笑んで、僅かに乱れのある寝台を整える。
「さぁ、夜も大分更けました。もうこのままお眠りください、明日が辛くなってしまいますから」
鳳泉に促されるまま、夏蓮は眠気で重だるくなっている体を動かす。きしりと鳴った音に、また意識が揺らいだ。
「あ、した……」
「はい?」
「あした、竪琴を弾くわ……。書庫も行く……」
「はい、かしこまりました」
うとうととして呂律の覚束ない言葉にも、鳳泉は丁寧に受け答えする。
柔らかな声音に余計睡魔が力を持つのを感じた。
「あの人は、きらい……けど、好きに……がんばるから……」
最後まで言い切れず、とうとう眠りに就いた夏蓮に、鳳泉はそっと苦笑して、上掛けを肩まで上げ、静かに室から退却した。