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6

 一人で辿り着くことは不可能だろうと思っていた後宮は、怒りに身を任せて道を行けば意外にもあっさりと顔を出した。広い回廊を足音けたたましく進む夏蓮に、女官達は何事かと驚いた様子でいた。


 「あら?夏蓮様、お早いお戻りでございますね」


 文箱らしいものを手に鳳泉がきょとんとして主人を見る。未の刻に迎えに出向くことになっていたはずだが、いまはまだ案内申し上げて半刻ほどしたばかりだ。

 両手に複数の書物を抱えているから書庫が気に召さなかったと言うわけでもないだろう。

 それに、心なしか主人は憤っているように見受けられた。


 「鳳泉っ!」


 いつにない様子で呼びつける。釣りあがった目尻に、本当にどうしたことかと鳳泉はたじろいだ。


 「お願い鳳泉、絶対に、わたしにあの人を近づけないで!!」

 「は…?あの、失礼ながらどなたのことを……」

 「皇子よ、第三皇子!!」


 示された人物に鳳泉だけでなく、聞き耳を立てていた他の女官達も音を立てて固まった。

 頭に血を上らせた夏蓮はそれに気づかず、般若の形相で皇子に毒を吐いている。


 曰く、あんな傲慢な人だなんて!

 曰く、夫だなんて認めないわ、絶対に!

 曰く、顔も見たくない!


 書庫にいた僅かな間に果たして何があったのか、彼女達には知りようもない。しかし、妻であるはずの彼女が夫であるはずの皇子をどうにも毛嫌いしているということだけは認識した。理解なんてものはできていないが。

 はらはらと、終いには涙まで零して嫌がる夏蓮。ほろりとこぼれ落ちた一粒に我に返った鳳泉は、慌てて手近な室に夏蓮を押し込めて人目を憚った。

 無理矢理に作り出した二人きりという空間。鳳泉はただならない意味で心臓が痛いと感じていた。


 「か、夏蓮様、一度落ち着いてくださいませ」

 「そんな…無理よ。わたしにはあんな人と夫婦になんてなれませんっ」


 いやいやと首を振る夏蓮に、鳳泉はどうしようもなく困り果てた。


 「鳳泉は、皇子のこと、知っていたの…?」


 涙に潤んだ瞳に見上げられて、鳳泉は如何ともし難く言葉を詰まらせた。

 鳳泉はお勤め歴も短くない、後宮でも立場ある女官である。それは誰よりも皇子に近い位置にいると言っても過言ではなく、当然その間に彼の人の為人も見知ってきた。

 しかし、だからこそ鳳泉には目の前の彼女が皇子を嫌がる理由がわからなかった。


 「夏蓮様、どうぞ落ち着かれませ。夏蓮様が何を見聞なさいましたか、私は存じません」


 袂から手拭を取り出して、そっと目尻に押し当てる。生地の柔らかさと、それ以上に柔らかな彼女の雰囲気に、夏蓮は言い表せない安堵を感じた。

 落ち着いて、と言葉以上に語る優しい手に、荒んだ心が安らいでいく。


 「……鳳泉は、姉様みたいですね」

 「あら。夏蓮様は、嬉しいことを仰ってくださいますね」


 思わずと口を突いて出た言葉も、鳳泉は大らかに受け入れた。

 実際には姉がいないからわからないが、きっと姉というのは彼女のような存在なのだろうと思った。


 「あのね、鳳泉……」


 彼女なら、大丈夫。そんな安心感から、夏蓮はおもむろに口を開いた。






 ∽ * ∽ * ∽ * ∽






 「ーーーというわけなの」


 締めくくられた夏蓮の話に、鳳泉は頭を抱えたくて仕方がなかった。今感じている目眩も頭痛も幻覚では無いはずだ。

 聞かされた話は、それだけひどいものだった。


 「そ、れは……さぞお辛かったでしょうね」


 仕える立場として主を悪く言えるはずもなく、鳳泉は曖昧に立ち位置を濁した。

 しかしそれでも、自分を労ってくれる彼女に夏蓮は感動に打ち震えた。


 「ごめんなさいね、鳳泉……。こんな話をして、………あなたもいい気はしませんよね」


 しゅんと萎れた夏蓮に、鳳泉はいいえと首を振った。


 「一人で抱え込まれてしまうより、話してくださる方が余程楽です」


 鳳泉は穏やかに微笑んだ。

 その言葉に偽りは無い。理由が分からなければ手の打ち様も無いのだから。


 「事情は承知致しました。確約は致しかねますが、ご意向に添えるよう、尽力致します」


 ですから、ご安心くださいませ。告げる彼女の頼もしさに、夏蓮は一も二もなく頷いた。


 「ありがとうございますっ。ご迷惑をかけてしまいますが……どうかよろしくお願いします」


 鳳泉によくよく頼み込んだ夏蓮は失念していた。この後宮に仕える女官が、彼女だけではないということを。

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