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5

 夏蓮は黙々と書物を読み進めた。速度はあまり早くはないが、それでも既に数回取り替えている。

 書庫の蔵書は、なるほど、確かに魅力的だった。物語だけでも歴史物、恋愛物、怪奇物と幅広い。それに加えて民間伝承の総括書や詩文もあって、到底夏蓮を飽きさせることはない。ひたすら熱中していた。


 「誰だ、お前は」


 不意に、後ろから声がした。さらには腕が伸びてきて、夏蓮の手首を掴んできた。

 驚いて、椅子を跳ね除ける勢いで立ち上がる。椅子が相手に当たればよかったのにそうなることもなく、夏蓮は腰を机に押し付けられた。

 机と侵入者との狭間に捕らえられて、何事かと心臓が早鐘を打つ。


 侵入者は男だった。切れ長の目が涼やかな、精巧な造りをした顔の男。

 深く艶やかな黒の瞳が夏蓮を射抜いて逸らさない。

 ーーー綺麗な人。

 思わず見惚れていると、男は不機嫌を隠しもせず今度は夏蓮を睨んだ。


 「おい、答えろ。誰だお前は」

 「わ、たしは……円夏蓮、です。この春に、第三皇子の後宮に上がった……」

 「後宮に?………お前が?」


 男の顔が訝しげに顰められる。夏蓮は恥ずかしくなって俯かせた。

 本来後宮に上がれるような容姿など持ち合わせていないと、自分自身で重々承知している。それを改めて、しかも出会ったばかりの人間から指摘されてはいい気などするはずもない。


 「あっ、貴方こそ誰なの?わたし、ちゃんと使用中に変えておいたはずよ」


 開け放たれた扉に目を向けると、記憶に違わず漢字の面が表向いている。それなのに押し入ってきて、しかも身分を明かしたのに離れないこの男は何者なのか。

 睨み上げる夏蓮を、男は意に返さない。


 「ここは普段私が使っているんだ。さっさと出て行け」


 尊大に言い放った男に、カチンとくるのは不思議なことではないだろう。


 「あ、なたねぇ!?先に使ってるのはわたしなの、貴方の常なんて知らないわよ!」


 きっと強く睨みつける夏蓮に、男も負けじと眦を険しくして言い返す。


 「それこそ知らん!他の部屋を使え!」

 「なんでわたしが!?あなたいったい何様のつもりなの!?」


 「皇子様だが!文句あるか!?」


 怒鳴るように投げつけられた言葉に、理解しきれず夏蓮は硬直した。

 ぱったり一言も発さなくなった夏蓮に、彼はふんと鼻を鳴らす。

 夏蓮は改めて男をまじまじと見直した。


 夜のように深く艶やかな髪と瞳。涼しげな目元とすっと通った鼻筋。僅かに日に焼けた肌は傷の一つもなく、健康的な印象を受ける。

 長い髪を束ねる髪紐は太く緻密に編み込まれ、緒の端に結びつけられた飾り玉は間違いなく本物の玉。身に纏う衣も上質な絹で、さりげなく施された意匠がより品の良さを際立たせている。どうみても官服ではない。

 明らかに、文武百官にはできるはずもない装いだ。


 「ほ、んとうに……皇子殿下……?」

 「そうだと言っているだろう」

 「……何人目の?」

 「………三人目だ」

 「………三人目?」

 「三人目」


 妙な沈黙が二人を取り巻く。

 夏蓮は自身の許容範囲を超える情報量と突発的事態に目眩がした。なんだか頭も痛い。

 相手も相手で気まずいのか、そろそろとあちらこちらに視線を泳がせている。


 三人目の皇子殿下。第三皇子殿下。

 さて、自分の身分とは何だったか。記憶違いでなければ、第三皇子の正妃で、唯一の妃妾だ。

 それはつまり、この男の妻であるということで。自分は、この男に名指しも同然に後宮に召し上げられたわけで。



 (ーーーーーよし、逃げよう)



 決断した夏蓮の行動は迅速だった。

 机に置きっ放しにしていた書物を引っ掴み、抱え込んだ。そして相手の足を思いっきり踏んづけて、拘束が緩んだ隙に突き飛ばすように相手を跳ね除けて、そのまま扉を蹴破らんばかりの勢いで蓮の個室から飛び出した。


 今の夏蓮の頭の中には淑女らしくだとか、おしとやかに、だとかいう女の教えなど影も形もない。

 たとえ誰かにすれ違おうとも構うものか。今日いまこの時ばかりは礼儀作法もなんのその。三十六計逃げるにしかず。

 現状打開、これだけが彼女の思考回路を埋め尽くしている。


 だって、冗談じゃない。会いたくないと言ったばかりだというのに、寄りにもよってこんな出逢い方はごめん被る。

 鳳泉に言った、会ってみなければ嫌うこともできないなんて言葉はただの建前だ。綺麗事だ。

 嫌いじゃないなんてもう言えない。言うつもりもない。

 だって、思いもしなかったのだ。


 (あんな…あんな傲慢暴君が夫だなんてーーー!!!)


 絶対絶対ぜぇったいに認めない!!!

 夏蓮は反抗心に燃えていた。


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