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 呟いたところで、ほて、ほて、と軽い足音が聞こえてきて、だらしなく卓に突っ伏していた夏蓮は慌てて背筋を正した。


 「夏蓮様、お茶と菓子をお持ち致しました」


 ふんわりとした笑みを浮かべて、鈴を転がしたような声で囀るのは、夏蓮付きの女官の一人で、名を姚佳(ようか)という。夏蓮と歳は変わらないが、小柄かつ華奢な体躯と垂れ目がちの顔貌が彼女を年齢よりやや幼く見せている。


 「ありがとう、姚佳。ちょうど喉が渇いていたの」


 助かりました、と砕けすぎず堅すぎずの絶妙な匙加減で対応して、嬉しそうにふんわりとはにかんだ彼女に口元を緩める。

 恐らくは夏蓮よりも家格の高い出自だろうに、姚佳はそれを鼻にかけることなく尽くしてくれている。そんな彼女を、夏蓮は尊敬の念さえ抱いていた。


 「姚佳、少し時間はありますか?一人では寂しいから、もし都合が着くなら招かれてほしいの」

 「まあ。私がご相伴にお与りしてもよろしいのですか?」

 「ええ、もちろんです」


 軽口のように言葉を交わす。

 それならお言葉に甘えまして、と姚佳は同じ卓に着いた。


 姚佳が持ってきたのは工芸茶だった。白磁の茶器の中で咲き誇る茶花が目も楽しませる。華やかな香りの茶にそっと口付けて、夏蓮はほっと肩の力を抜いた。


 「後宮での暮らしは如何でしょうか」


 何かお困り事はございませんか、と尋ねる姚佳に、夏蓮は首を振った。


 「困ってることなんて、強いて言うならやることが無いことくらいよ」


 夫君に仕えるでもなく、立場上女官達の仕事を手伝うわけにもいかず、夏蓮は毎日を手持ち無沙汰に過ごしている。手慰みに胡弓を持ち出して奏でても、日がな一日弾いていれば飽きもする。気分を変えて琵琶や筝などにしてもみたが、これらも半月と保たなかった。あまり得意では無い刺繍に興じてみたりもしたが、五六品を完成させる頃にはこれもまた飽きてしまった。

 退屈だと訴える主人を、それもそうだろうと姚佳は同情的に聞いていた。


 「本当なら私達がお相手させて頂くのですが……」


 第三皇子の後宮は、末の皇子ということもあって規模は兄皇子達と比べて慎ましい。それに応じて女官の数も少ないのだが、女官には女官の仕事がある。むしろ人手が少ないからこそ、一人当たりの仕事量は主人が三人いる皇太子の後宮よりもよほど多いのだ。それは正妃付きとなった者でも、多少軽減されはするが変わらない。


 至らず申し訳ありません、としょんぼりする姚佳に、夏蓮は慌てて気にしないでと首を振った。

 姚佳を含め、彼女達が忙しい中で自分に気を遣ってくれていることはよくわかっているし感謝もしている。彼女達を困らせたいわけではないのだ。ただちょっと、不満が零れ出てしまっただけで。

 順序も無く弁解する夏蓮の必死な様子に、姚佳はやっと表情を和らげた。ほわりと心が綻ぶような微笑みに、夏蓮は落ち着きを取り戻す。

 ふと、姚佳は思いついたようにぽふんと拍子を打った。


 「夏蓮様は、書物などはお好きですか?」

 「書物?そうですねぇ、物語だとかなら好きですけれど……」


 夏蓮の答えに、姚佳はそれはようございましたと嬉しそうに笑んだ。


 「後宮から少し離れているのですが、書庫に行かれてはいかがでしょう。いつの時代かに大層読書家な方がおられたそうで、小さな区画ですが物語が集められているのです」


 詳しく聞いてみると、区画設営の起源のおかげで妃妾も自由立ち入りを許され、その場で読み耽るのも良し、室へ持ち帰って気ままに読むのも良し、となんとも夏蓮には嬉しい制度であるらしい。これでまたしばらく暇つぶしに困らないと、夏蓮は大いに喜んだ。


 「それは良いことを聞きました。早速、(ひる)にでも足を運んでみますね」


 教えてくれてありがとう、と礼を述べたところで、失礼致します、とまた一人別の女官が現れた。こちらは夏蓮や姚佳よりも幾つか年上で、鳳泉(ほうせん)という。この後宮の筆頭女官だ。

 翠玉は姚佳に目を留めて、探しましたよ、と少し堅く口を開いた。


 「ごめんなさい、姚佳を引き止めたのはわたしです。彼女に非はありません」

 「夏蓮様、……いえ、誤解をさせてしまい申し訳ありません。私が彼女を探していたのは、彼女に面会を希望する者が来ておりますゆえ」


 咎めるつもりはありません、と締めくくる鳳泉に夏蓮はほっとした。

 それから、面会?と珍しいことを繰り返した。

 後宮は男子禁制の女の園である。それは妃妾の有無に関わらない不文律なのだが、女官の中には行儀見習いとして来ている者も決して少なくはないため、両者の合意を前提として、手続きさえすれば面会は可能なのである。

 その手続きが一つならずあるので面倒に思う者がほとんどなのだが、それでも希望するということは、希望者が親類か、相手によほど好意を寄せているかのどちらかに大別される。

 ちらりと姚佳の様子を伺えば、彼女は頬を薔薇色に染めて、恥ずかしそうに小柄な体をより縮こまらせていた。どうやら彼女も、相手を憎からず想っているらしい。


 「そういうことなら、安心しました。姚佳、付き合ってくれてありがとう。あまりお待たせしてはお相手が可哀想ですから、早く行って差し上げて」

 「夏蓮様っ」


 夏蓮の言葉にさらに顔を赤くして、姚佳は物言いたそうに主人を見た。じとりとした目で見られても、涙に潤んだ目では迫力も何もあったものではない。

 飄々として食えない彼女に悔しそうにしながら、姚佳は「御前、失礼致します」と完璧な跪拝をして見せて、室を去っていった。


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