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【宵闇奇譚】  作者: 不知火昴斗
鬼の章
6/10

鬼の章(六) 

【六】


 高城と麟太郎は肩を並べ、似たような家並みが延々と続く小径を歩いていた。

 高かった陽も傾きはじめ、白一色だった景色は、仄かに黄色く色づいている。

 道中何か話したような気もするが、それについては高城はよく覚えていなかった。先の出来事があまりにも鮮烈で、ほとんど何も考えられなかったのだ。

 麟太郎もそんな高城の様子をわかっていたからか、込み入った話はしなかった。時々、気分はどうかなどといった気遣いの言葉をかけ、半分ほど上の空の高城の返事を聞いては頷くというのを繰り返す程度だ。

 四ツ辻を通り越し、また長い道のりを歩き、そうして雑貨店近くのバス停までたどり着いたところで、麟太郎は立ち止まり、高城にたずねた。

「バスの時間は、まだ大丈夫かね?」

 高城ははじめて気付いたかのようにはっとして、顔を上げた。

 慌てて腕時計を確認するが、文字盤に記された時刻は高城が当初目標としていた頃を過ぎてしまっている。

 タクシーなどという高級なものを使わせてもらえるほど、高城は出世していない。

「まぁ、そう気を落とすな」

 盛大なため息を吐く高城の肩を、麟太郎が叩く。

「でも、今日中に入稿をしないと……それに、折角書いていただいた先生の原稿だって……」

「それならそれで、仕方ないと諦めるだけさ」

 やけにあっさりとした麟太郎の返答に、高城は呆気にとられる。

「第一、こんな遅れたのは、私の責任だしな」

 麟太郎はそう言って、きまりが悪そうに笑った。

 高城は口を開いたが、言葉が出てこなかった。何を言えばいいのか、何を言おうとしたのか、そして何をたずねようとしたのか、咄嗟にわからなくなったのだ。

 結局また口を閉じるしかない高城に、麟太郎の方が声をかける。

「高城君、喉は渇いていないか?」

「は?」

 唐突な質問に、高城は目を丸くした。

「え、まぁ……」

 いわれてみれば、先にラムネを飲んでから結構な時間が過ぎている。骨董店を探しているときはそれほど気にならなかったが、暑いさなかを歩き回ったのだと改めて思い至ると、途端に疲れがどっと押し寄せてきた。

 そんな高城の顔色を見て、麟太郎がまた笑う。

「あすこに、丁度いい具合に日陰がある。そこで待っていてくれ」

 と言い置くと、麟太郎は店へと行ってしまった。

 ひとり残された高城は暫くその後姿を眺めていたが、やがて、言われたとおりの日陰へと足を運んだ。

 バスを待つ人のためにと設えられた小さな椅子に、崩れるように腰を下ろす。

 目の前の往来には、まばらではあったが、人や車の姿があった。

 それまでの静けさが嘘だったかのような光景に、高城は深々とため息をつく。

 狐にでも化かされたような気分だった。

 夏と変わらぬ日差しにじりじりと焼かれた足元には、熱気がこもっていた。それでも、あの湿った路地と庭の空気よりは遥かにましである。思い出したかのように噴き出す汗を拭うのも忘れ、高城はぼんやりと座り続けた。

 どのくらいそうしていたのか、聞き覚えのある下駄の音と仄かに香る白檀に顔を上げれば、ラムネを手にした麟太郎が側に立っていた。

「そら。これでも飲んで、体を冷やしなさい」

 いつもと同じ微笑で冷えたラムネを差し出す麟太郎の反対側の手には、もう一本同ものがある。自分も飲むつもりなのだろう。

 そうして、高城の隣に腰を下ろしながら言った。

「橘さんには、私から伝えておいた。夕方までに戻ればいいそうだから、安心なさい」

 橘というのは高城の上司で、麟太郎の本来の担当者であり、そして編集部の主任でもある男のことである。麟太郎は、雑貨屋でラムネを買うついでに電話を借りて、高城の代わりに連絡を入れてくれたのだ。

「すみません」

 高城はラムネを受け取りながら、詫びた。素直にありがとうございますと言えなかったのは、こうして変わらぬ笑顔を見せる麟太郎と、先に見た険しい表情との差に、戸惑いと不信を抱いてしまったからだ。

「先生は、ご存知だったんですね」

 水滴のついたビンを手にしたまま、高城は呻くように呟いた。

「本当は何もかもご存知で、それなのに僕に嘘をついたんですね」

 麟太郎は、鬼女の掛軸の顛末を知っていた。

 知っていて、言わなかったのだ。

 その事実が高城には心苦しく、そして悔しかった。

 顔を上げず、またこちらを見ようともしない高城に、麟太郎は湛えた笑みを崩すこともなく応える。

「そういうことになるな」

 いつも二人で他愛もない会話をしているときのような口調に、高城は酷く傷ついたような目を向ける。

「まぁ待ちなさい。私だって、全部をわかっているわけではないんだから」

 高城は苦笑する麟太郎から顔を背け、手の中にあるラムネに視線を落とした。水滴のついた青いビンは、骨董店で汗をかき青ざめていた自分の姿に重なって、余計に腹立たしい。

 高城は、女子供のように幽霊を怖れるような軟弱者ではない。少なくとも自分自身ではそう思っていた。それが、あのざまだ。

 子供じみた八つ当たりだとわかっていても、高城の気持ちはなかなか治まりそうになかった。

「……あれについては、ちと複雑な事情があってな」

 高城の気が幾分か鎮まった頃合を見計らい、麟太郎が話し始める。

「結論から言えば、あれはもうこの世にはおらん。今頃は店のご主人と共に、浄土で仲良くやっているはずだ」

 麟太郎が佐々木の訃報を受け取ったのは、五年前の丁度今頃の時期のことであった。

 親族と名乗る男は、例の掛軸の件を麟太郎に託すという佐々木の遺言を携えていた。結局、佐々木は菩提の寺に持っていくことも、他の手を打つこともしなかったのだ。

 否、あるいは何らかの手立てはすでにとっていたのかもしれない。しかし、彼は鬼女を生涯手放すことはなかった。形見分けで集まった親族に譲ることもしなかった。

 もっとも、例え遺言で託されたとしても、人をとり殺すと噂のある品を喜んで引き取る者などいるはずもない。佐々木の遺言を携えてきたその男も、麟太郎に向かって何度も詫びてはいたが、同時に厄介払いができてせいせいしたという思いが透けて見えていた。

「それで、先生はどうなさったんですか?」

 うっかり話に引き込まれ、麟太郎へと視線を向けた高城は、そこにしてやったりという笑みを浮かべた顔があるのを見、しまったと思った。

 慌てて俯いてはみたものの、今更不機嫌を装ったところでどうにもならない。

 もとより、高城は麟太郎を責めるつもりはなかった。

 掛軸の話をちゃんとしてくれなかったことについての不満はあるが、それも今こうして話してくれているのだから、いつまでも拗ねていては自分の狭量さを示すだけである。

 高城は思い直すと、顔を上げ、麟太郎と向き合った。

「掛軸を引き取ったんですか?」

「ああ」

 麟太郎は頷いた。

「ご主人のたっての頼みでもあるし、それに、他所にやるわけにもいかなかったしな」

 どこか他所に流れたことで、また誰かが命を落とすようなことがあってはならない――例えそれが鬼女とは直接の関係がなかったとしても、そういった噂が広まることで、鬼女の業を深めるような真似を、麟太郎はしたくなかったからである。

 それに、どんな事情が鬼女にあるのかはまでは知らないが、今やあれの心の内をわかっているのは、麟太郎だけだった。

 ならば、どうにかして〈彼女〉の想いを受け止めてやらねばならない。

 しかし同時に、麟太郎自身もまた、鬼女を長く手元に置くのは危険だと考えていた。とり殺されることを恐れてではなく、万が一自分に何かがあった場合の、その後を思ってのことである。

「そこで私はな、ご主人を弔った寺をたずねて、一緒の墓に入れてやることにしたのさ」

 幸か不幸か、佐々木の家は彼の代で終わっていた。

 佐々木自身、妻をめとらず子もいなかったし、他に兄弟もなかった。麟太郎に遺言を伝えにきた男も、母方の血筋であり、同じ墓に入ることはない。

 住職もものわかりの良い人物で、麟太郎の話に真摯に耳を傾け、掛軸の供養を請け負ってくれた。もしかすると、彼もまた、事前に佐々木から相談を受けていたのかもしれない。

「ともかくそういう次第だから、今はもう、共にこの世にはおらん。おらんから、少しくらいなら話しても大丈夫だと思っていたんだが……」

 麟太郎は済まなさそうな顔して、高城に向かって頭を下げた。

「別に、君を騙すつもりで黙っていたわけじゃぁない。それだけは信じてくれ。もとより、こうなることがわかっていれば、話さなかった」

「そんな、先生」

 高城は慌てて麟太郎を止める。すぐ側を通りすがった婦人が、何事かといった具合に振り返ったからだ。

「いいですよ、もう。済んだことですし、それに――」

 大事に至らなかったのだしと言いかけて、はたと気付く。

「どうして先生は、あの場に居たんですか?」

 麟太郎の部屋を出た時点では、高城は骨董店へ向かう素振りを見せるどころか、そもそも探そうとも思っていなかったはずだ。

 何故あの場所に、それもあので麟太郎が居合わすことができたのだろう。

「ああ、それはな」

 高城の疑問に、麟太郎が即答する。

「君が帰ったあとで、煙草をきらしていたことに気付いてな。散歩がてらそこの雑貨屋まで買いに出たら、先を行く君の姿が見えたんだ。バス停に向かうかと思っていたら、横道へとふらふらと入っていくじゃないか。どうも様子が変だと思ったんで、後をこっそりつけていたというわけさ」

「そうですか……」

 そうは言うものの、高城は麟太郎の言葉を半分ほどしか受け入れることができなかった。なぜなら、麟太郎はいつも外出時には杖を持ち歩く。それなのに、今隣で人の良さそうな笑みを見せる彼の手にはそれがない。

 それでも高城は、麟太郎が間一髪のところを制してくれたのだということは理解していた。

 ふらふらと崖っぷちまで誘い出され、あと一歩で転落してしまうような、そんな危ういところを、寸でのところで止めてくれたのだ。

 編集部の中でも、麟太郎は変わり者だという見方をする者が多かった。偏屈で気難しいという意味ではなく、一風変わった、得体のしれない男だという意味である。

 高城の勤める編集部は、下から数えた方が早いような弱小会社である。そのため、好んで寄稿してくれるような作家は滅多にいなかった。いたとしても、散々ご機嫌とりをしなければ、一文字も書いてくれないような者さえいる。

 そんな中で、毎度遅れがちではあるが、安い報酬で文句も言わずに寄稿してくれる麟太郎の存在は貴重であり、部の中では結構な割合を占めているはずであった。それなのに、どういうわけか麟太郎と深い付き合いをしている者は、誰ひとりとしていないのだ。

 本来の担当である橘も同じく、またこうして度々使いに出される高城でさえそれは替わらない。どんな知己がいて、どんな交友があるのかすらも、はっきりと把握できていない。

 先の会話においても、他人事だと言ってのけたくらい、麟太郎は人付き合いに関しては驚くほど淡白だった。

 そんな男が、あのように駆けつけてくれたのだ。どんな事情があるにしろ、それだけでも十分に感謝すべきことではないだろうか。

 高城はいつの間にか力んでいた肩から力を抜き、ラムネにようやく口をつけた。

 先に飲んだものよりも冷えが足りないような気もしたが、乾ききった体には嬉しい甘露であることに代わりない。

 喉を鳴らして甘い炭酸水を飲む高城の横顔に、麟太郎は目を細めた。それから、同じように自分の手中にあるものを口にしたのだった。


<七に続く>

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