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【宵闇奇譚】  作者: 不知火昴斗
鬼の章
3/10

鬼の章(三) 

【 三 】


「それで、どうなったのです」

 ひととおりを一気に話してしまったあと、大きな溜息をつく佐々木を、麟太郎は促した。

「……それで、さすがに立続けに不幸が続くと父も不安になったのか、一度は寺に持って行って、供養でもしてもらおうかと考えたようです。けれど、なかなか行動に起こせずにいるうちに、また新たにあれを欲しいから是非にという話があがりました。

 一体どこからか聞き付けてきたのやら、わざわざ京都の方からお越しになられた方でした。こちらが渋っておりましたらば、その手のものは扱い慣れているから大丈夫だと仰いましたので、それならと思い、譲ったのです」

「ところが、また何かあったわけですな。でなければ、此処にあれが在るはずがない」

 麟太郎の言葉に、佐々木は疲れ切った顔に弱々しい笑みを浮かべた。

「はい、そのとおりです。家財一切を失う大火事に見舞われたそうで」

「火事ですか」

「ええ。夜中に、まったく火の気のないところから出たそうです。突然のことで気が動転したのでしょう。その方が無我夢中で胸に抱いて飛び出したのが、ついこの前手に入れたばかりの鬼女。さすがにこれはどうしようもないと投げ出されて、結局こちらへ戻ってきたわけです」

 そうして、この騒動の後、掛軸にまつわる怪は瞬く間に近所中に知れ渡ってしまった。

 噂は噂を呼び、いつしか得体のしれない尾ひれがつき、やれ魂を喰われるだの何だのという実に陳腐な――それでいて、どうにも無視しがたい曰く付きの代物が出来上がり、遂に、店に客足は途絶えた。

「それで、この通り、先代も身罷ったことですし、この際ですからここは閉めてしまおうかと……そう考えているのです。私自身は、別のところに勤めておりますし、客などは、もう見込みもありませんしね」

 佐々木はそこで一息つくと、寂しげに笑った。先に使用人を帰したと言ったのは、そういうわけだったのだ。

「そうですか。そのようなことがあったとは」

 麟太郎はすっかり冷めてしまった湯呑を手にとり、底に沈むおりを眺めた。

「……と、まぁ、そういう次第です。ですから、あれはお止しになったほうがよろしいと申し上げるのです」

「なるほど」

 冷めた茶を啜り、押し黙る。佐々木の方もまた、話すべきことを全て話し終えたつもなのだろう。互いに沈黙を守ったまま、暫しの時を過ごす。

 使用人を帰してしまったと佐々木が言ったとおり、家の中はとても静かだった。



「一口に鬼といってもいろいろありますが」

 先に口を開いたのは、麟太郎の方だった。

「あの鬼は、〈夜叉やしゃ〉でしょう」

「〈夜叉〉?」

「もとは印度や中国のものですが、この国では別名〈鬼子母神〉ともいう」

「はぁ」

 何やら要領を得ない顔つきで佐々木が返事をする。麟太郎は首を廻らせて、店の方を見遣った。

「名に鬼と付けども、元は愛情深い普通の女です。女性にょしょうは表裏一体。深く愛すこともあれば、同じように憎むこともある。あの掛軸の鬼は、おそらく、執着しておるのでしょう」

「……何にですか」

「さてそれはあれにたずねてみねばわかりませんが……自分の気に入った持ち主あるいは、恨めしく思う相手か。もしそれがすでにこの世にいないのならば、その生まれ変わりともいえる者を。だから、そこに辿り着くまでは流転を繰返す。逆に、すでに気に入った処があれば、自分の意志とは関係なしに離れれば、何としてもそこへ戻ろうとする」

「はぁ……」

「そして人も〈もの〉に執着する。何としても手に入れたいものを見てしまったとき、或いは、手許に置いておきたいものと出会ってしまったとき、あなたならどうされる」

 再び座敷へと戻った麟太郎の目が、佐々木の正面を捉える。

 佐々木は答えない。きちんと正座した膝の上で、拳に力がこもったように見えたのは気のせいであろうか。

「ご主人。あなたは、あれをどうするおつもりかな」

「さて……どうしたものか……」

 俯き、言葉を濁すが、佐々木が胸中でどう思っているのかは容易に窺い知れた。

 再び静寂に包まれる座敷の中、線香の香りが時折ふっと二人の鼻先を掠める。それはあたかも、掛軸の鬼が息を詰めながら二人の言葉に耳を澄ましているかのようであった。

「ご主人」

「はい」

 麟太郎に呼ばれ、佐々木がはっとしたように顔をあげる。

「私のような者が、唐突にこのようなことを申し上げるのは何ですが、あれは、やはり一度は寺なり何なりで、きちんと供養してもらった方が良いでしょう」

 麟太郎は湯呑を卓の上に戻し、佇まいを直した。

「ご主人は、〈付喪神つくもがみ〉というものをご存知ですか?」

「つくも……ですか」

「つくもは元々は〈九十九〉と書き、九十九年を経た物に魂や精霊などが宿ったもののことを指します。そしてそれらは、経てきた年数が長ければ長いほど、大きな力をつけるとも云われています。

 おそらくあれは、己に込められた念が――あれを描いた何者かが絵に込めた想いが、鬼女に命を吹き込んだのでしょう。一体何を思ってあれを描いたのか、その者の胸の内まで推し量ることはできませんが、あれが意志を持っているのは確かです。誰ぞに執着しておるやもしれませんが、だが同時にあれは、少々悪い癖も持ち合わせている」

「悪い癖……」

 佐々木の呟きは嗄れ、ほとんど聞こえなかった。

 鬼女が何故そのようなことをするのかはわからない。

 だが、鬼女が訪れる者の心を次々と捕え、胸の奥底に燻るものを暴き、弄び、そしてまたこの店に戻って来るのは確かであった。

「これ以上についてを申し上げるのは控えておきましょう。部外者である私が口を差し挟むのは不粋かと」

 申し訳ないといったふうに苦笑を浮かべ、麟太郎は頭を下げたが、

「好いたものや場所があれば、頑として動こうとはしないでしょうし、逆にあれが他所に気を移すことがあれば、自然とその場へと行くでしょう。それを妨げるのはまずもって不可能。しかし、人ならざる神を野放しにしてはいけません」

 はっきり伝えると、佐々木は困惑の表情で目を瞬かせた。そしてすぐにまた俯き、自らの膝頭を凝視する。

「そうですか……」

 佐々木の漏らした声はくぐもり、力がなかった。だが、

「そうですか」

 もう一度、佐々木は言った。

 今度はいささか力のこもった、腹からの声だった。

「わかりました。きっと、そのようにいたします」

 すっと背筋を伸ばし、麟太郎に正対する。憑き物が落ちたかのような、すっきりとした顔だった。

 麟太郎は小さく頷くと、再び湯呑に手を伸ばした。しかし、湯呑はすでに空となっていた。

 ふと気付けば外もすっかり日が傾き、どこからか漂う夕餉の匂いが二人の腹を刺激する。

「いや、どうも。すっかり長居してしまいましたな」

 薄暗くなりつつある部屋の中で、麟太郎はぺこりと頭を下げた。

「ともかく、御主人が心配されているようなことはもう無いでしょう。私がこの店に入ったのも、実は、あれとは別のものに惹かれてのことですから」

 そうして、ばつが悪そうに苦笑しながら、帰りの道をたずねる。

 佐々木は呆気にとられたように目を瞬かせていたが、すぐに吹き出し、声をあげて笑った。



   †



 家々の瓦は雨に洗われ、輝くおもては暮れなずむ夕陽に染まる。

 その下でまだ幾らかぬかるむ裏路地を、麟太郎は佐々木と共にとりとめもない話をしながら歩いていた。道案内までは不要だと麟太郎は言ったのだが、佐々木がどうしてもと譲らなかったのだ。

 麟太郎が目をとめた洋灯は、佐々木の好意で取り置いてもらうこととなっていた。

 どうせ店も閉めるのだし、いっそただで引き取ってもらっても構わないとも佐々木は言ったのだが、麟太郎は丁重に断った。

 まだ物書きとしてさほど売れておらず、郷里の仕送りも大した額ではなかったが、しかし代金分が貯まったらきっとまた訪れるからと麟太郎は佐々木に約束し、佐々木もようようこれを承諾したのだった。

 やがて、麟太郎は見覚えのある四ツ辻まで辿り着いた。

「ああ、ここならわかるぞ」

 安堵の声をあげる麟太郎に、佐々木が足を止めた。

「では、私はこの辺でご無礼いたしましょう」

 慇懃に礼をし、いとまを告げる。

「それでは、また」

 互いにそう告げる足下には、一段と色濃くなった家々の影が落ちていた。

 それぞれの方向へと向かう足音が、徐々に遠く小さくなる。

 長い影を引きながら家路につく麟太郎は、ふと立ち止まると、後ろを振り返った。

 しかし佐々木の小さな体はすっかりと夕闇に溶け込んでおり、もう何も見えなかった。


< 四に続く>

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