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【宵闇奇譚】  作者: 不知火昴斗
鬼の章
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鬼の章(二) 

【 二 】


 麟太郎が通された座敷には、店に入ったときに嗅いだ線香の香が残っていた。

 閑静な住宅街、雨間の昼下がりともあって周囲は至極静かで、麟太郎の耳に届くのは柱に掛かっている時計が時を刻む音だけである。

 そんな静寂を破るかのように、廊下から足音が近付き、間もなく襖が開いた。

「午前中に先代の初七日を済ませましてね。それで、そのご挨拶に近所を回っておりましたので……」

 言いながら、店主が湯気のたつ湯呑を盆に乗せて座敷へと入ってくる。

「店も丁度休みにしましたもので。使用人も皆暇を出して帰してしまいましたから、お味の方はどうかご容赦を」

「いや、こちらこそ、そのような忙しいときに邪魔をして申し訳ない」

 麟太郎が苦笑しながら頭を下げると、店主もまた同じように苦笑を返した。

 店主――佐々木洋一と名乗ったその男は、歳は三十をすぎた頃であったが、もう四十代ともとれるような、血色の悪い、少々くたびれた感じのする小男であった。

「さて、何でしたかな。ああ、そうそう。あの掛軸のことでしたね」

 しかし、佐々木は麟太郎の前に座った後も、暫くの間もぞもぞと居心地が悪そうにしていた。どこからどこまでを話してよいものやらと思案していたのだろう。

 麟太郎は黙って出された茶をいただき、佐々木が口を開くのをじっと待っていた。

 やがて、ようやく決心がついたのか、佐々木は小さな咳払いを一つして、こう切り出した。

「私の方からいきなりこのようなことを申し上げるのも何ですが、悪いことは申しません。あれはおしになられた方よろしいかと」

 唐突な物言いに、麟太郎は瞑目した。

 あの掛軸が欲しいなどとは一言も言っていなかったはずなのだが、佐々木の方はそのことはすっかり失念してしまっているらしい。

 けれども、麟太郎はその間違いを訂正するつもりはなかった。ただごとではなさそうな雰囲気に、好奇心が勝っていたからである。

「何故です。あれは、売り物ではないのかな?」

 麟太郎の探るような視線に、佐々木が口籠る。

「いえ、売り物です。ですが、その……あれは、少々縁起が悪くて」

 自身の言葉の歯切れの悪さに一層居心地を悪くして俯いてしまう。が、すぐに顔を上げ、続けた。

「あなたのような若い人を不幸な目に遭わせても、こちらも夢見が悪いですから……」

 一度話し出してしまうともう後は気が楽になったのか、佐々木はそれまで胸につかえていたものを吐き出すかのように喋り続けた。

「まぁその、話せば長いことながら。そもそもあの掛軸を拾ってきたのは先代――つまり、私の父でして。まだ、私がほんの子供の頃のことです。

 拾ったというのも妙な話ですが、実際頂き物なのかそれともどこぞの借金のカタに質に取られたものが流れてきたのか、肝心なことを父が何も口にしなかったので、さっぱりわからないのです。

 箱書きもなければ、落款らっかんもありません。そんな出自もわからないような代物などは、本来ならば大した値もつかないはずなのですが、何を思ったのか、あるとき父は、これを何食わぬ顔で他の掛軸と共に並べてしまいました。

 母や使用人は、鬼の絵なんて誰が買うんだと眉を顰めたものですが、父は全く意に介しませんでした。

 鬼であっても、世間では幽霊絵を集めていらっしゃる奇特な――あぁ、いや、少々変わった嗜好をお持ちの方もおりますことですし。それに比べたら、これは角さえ気にしなければ普通の美人画として通るだろうというのが、父の言い分でした。

 身内の恥を曝すようで何ですが、父は少々お金に汚い所がありまして。別にやましいことをしていたわけではないのですが、何と言いますか、売れるものであれば、例え高値であっても欲しがる人がいることを知っている分、こういった品を物置で腐らせておくのが厭だったんでしょうね。

 そんなわけで、暫く店に並べておいたのですが、父の目論見どうり、買い手はすぐにつきました。いつも懇意にしていただいているさるお方の家へと貰われていったのです。

 ……ところが、数カ月後、大変なことが起こりまして」

「大変なこと?」

「はい」

 麟太郎の目を真直ぐに見返しながら、佐々木は言った。

「お亡くなりになったのです。その、掛軸をお買い上げくださったお方が」



   †



 はじめに掛軸を購入したのは、町の上手に住む男だった。

 時々ふらりと店を訪れ、この碗のどこがいいだの、どこそこの何がいいだのと、店主である父親と共に長々と話しこんでいたのを、当時まだ子供だった洋一はよく覚えている。

 その男が何を生業としていたかは、まだ幼かった洋一には知る由もないが、あまり感じが良い人物ではなかったのは確かであった。かといって、ものを見る目まで悪かったわけでもなく、萩の茶碗など良い品が入ったと報せれば、その日のうちに飛んで来るような、そんな男だった。

 その日も男は掛軸を見るなり一目で気に入ったらしく、風呂敷に包んだそれを大切そうに懐に抱き、喜んで帰路についた。

 洋一は、紫の地に小さな花が散った風呂敷の紋様まではっきりと思い出せるのだが、どうしてそんな細かいことまで憶えていられるのかは、よくわからなかった。

 今にしてみれば、虫の報せとでもいうのか、何かしら漠然とした不安を感じていたのであろう。案の定、同じ模様の風呂敷は、ほどなくしてまたこの店へとやってきた――出て行ったときと同じ品を包んで。

 しかし、持ってきたのは違う人物であった。

 丁稚とおぼしき小僧が一人。難儀な用件を言いつかったせいか、通された座敷で始終落ち着かずにそわそわとしていた。

 聞けば、主人は数日前に急に具合を悪くして、そのままぽっくりと逝ってしまったらしい。病床の最中でも、譫言うわごとでこの軸のことを呟いていたので、家人が気味が悪いからそんなもの返してこいと言ったのだという。

「お代を返せとは申しませんから」

 よほどきつく言われていたのだろう。平身低頭で畳に額を擦りつける相手が哀れになり、洋一の父は黙って掛軸を引き取った。

 それで、その件はひとまず落ち着いた。

 鬼女は一旦蔵の奥へと戻され、それから何年かの間は、誰の記憶からも綺麗さっぱりと忘れられていた。

 しかしあるとき、棚卸しをしていた父親が、再び軸の入った箱を見付けてしまったことが、後に続く騒動のはじまりとなる。

「またそんなものを引っ張り出して」と、母は不愉快そうに言うのだが、父は「あんなのはただの偶然に決まっている」と言って、やはり意にも介さなかった。

 もともと迷信などを信じないくちで、こうと思ったら頑として意地を通すたちだった洋一の父は、妻に咎められたのが面白くなかったらしい。

 店の一角に再び掛軸を出したあと、すっかりへそを曲げてしまい、暫くの間、誰とも口をきかなかった。

 だが、やはり見るものを見る人物は現れるものである。鬼女の掛軸は、二週間とも経たぬうちに、新たに買い手がついた。

 まるで父の機嫌をとるかのようにあっさりと決まるのを、母はもちろん洋一自身もどこか薄気味悪く感じてはいた。が、商売事に口出しなどできるはずもない。

 洋一は、軸を抱いて帰ってゆく客と、それを満面の笑みで見送る父親の後姿とを店の奥から眺めていた。はじめの客の時と同じような、漠然とした不安な面持ちで。

 ――そして、その予感はまたしても適中したのだった。



 慌ただしい足音と共にひとりの男が店先に飛び込んできたのは、それから三月みつきほどが経ってからのことであった。

 例の掛軸を買い上げた人物の身内だというその男は、店に入るなり、兄にあんなものを売り付けた奴はどこのどいつだと怒鳴り散らした。

 少々のことでは動じなかった父親も、さすがに男の勢いに恐ろしくなったらしい。男の剣幕は、近所の者が駐在を呼びに慌てて走るほどのものであったのだ。

 とにもかくにも、まずは事情を聞かねば話が進まぬ。そういうことで、使用人総手で男をどうにかなだめ、事情を聞き出してみた。

 すると、男の兄――先だって鬼女の掛軸を買い上げた人物は、あれを手に入れてからというものの、すっかり人が変わってしまったのだという。

 仕事もせずに毎日壁に掛けた鬼女を眺め、まるで魂を抜かれたよう。そのうち事業には失敗するは、酒には溺れるは、妻にも離縁を言い渡されるはで、借金もかさみ、とうとう先日、入水してしまったとのことだった。

 洋一の父親は、絵に描いたような転落劇を聞かされ、もはや返す言葉もなかった。


< 三に続く>

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