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episode-prologue

私には好きな人がいた。好きになってしまった人、なんて言い方の方がしっくりくる気もする。そんな彼がそわそわしていた。ああ、今日を選んだのか。私は思ったのだった。彼が深い関係を望んだ時、それは私たちの離別を意味していた。近寄ろうとするために加藤が掴んだ片道切符は、反対路線に道を構える夜行列車だ。


2020年、2月、20日。場所、公園。


厳冬に凍える公園に遠浅に広がる雪。境目なく降り積もる白雪は、過去の罪を隠す目張りのように公園に堆積していた。

『ちょっと……。ちょっと、公園に寄って頂けませんか』

普段とは明らかに様子が違った。嬉しい半面、怖さがある。告白するつもりらしい。もしかしたら、本心は子供の頃の自分を責めるつもりなのかもしれない。あなたの自由を半分奪ってしまった私の事を。


『……嫌だ』


厚い本を繰る手のように、私は繰り返し呟いた。否定の言葉は彼に華麗に受け流され、静寂しじま包む公園の意味を持たない雪と同化し、降り積もる。

目の前に差し出される左手。

彼に選択肢が無いのに、自分が選択する権利は無い。

私は口で否定しつつも、否定出来ないもどかしさに身を震わせる。寒さがもたらした体の揺れではない。

私は彼の左手に自分の左手を添える。

私が好きになってしまった男の子。その子には個性がある。




彼には右腕が無い。






私である似真麻衣。今では面影が無いと自覚しているけれど、小学生の頃はかなりの人見知りだった。同性でも殆ど話せる人がいなかったし、異性は学校に佇む動く壁紙のようなものだった。

今、コンタクトを利用しているのも、小学校の頃から引きずる負の遺産に違いない。

 私の母は、県庁に勤めている。親交を持たない私は級友の家に遊びに行かずに、県庁の隅のイスで母親の仕事終わりを待つ生活を続けていた。

 訪問者用の一階隅のイスは、私の指定席だ。暗い明かりの中で、私は宿題に勤しんだ。光量が足りない中での勉強で視力は衰え、私が眼鏡をかけるまでにさほど時間は掛からなかった。

県庁の職員の方々はとても私に対して親切に接してくれた。県庁に通って1ヶ月の中頃、県議員さんが私にお茶やお菓子を振る舞ったこともあった。

小学校低学年の頃は多分、クラスで話をした時間よりも県庁職員の人と話をした時間の方が長かったと思う。夏は涼しく、冬は暖かく、とても心地が良い。机も設置されていて勉強するには不便がない環境だった県庁。自分にとって県庁は第二の自宅だった。

学校、自宅、県庁。私の小学校の頃の動線は、当たり前のように3箇所で帰結を迎えた。

そんな私の道筋に変化が訪れたのは、小学三年生の冬。足繁く県庁に通っていたある日、ある時。

県庁1階の様子はいつもと少し異なっていた。私の指定席は撤去されていたのだ。私の居場所だった場所には、代わりに絵が展示されていた。

「麻衣ちゃんごめん。美術の展示で1階が埋まってしまって……。いつも麻衣ちゃんが使っている椅子と机は倉庫にしまってあるの。今月中は椅子と机は設置出来そうにないの。ごめんなさい」

優しく綺麗な女性職員さんは、膝を曲げて目線を合わせ教えてくれた。

「去年とかは、展示していなかったですよね」

小学生なりの丁寧な言葉を使って私は質問する。

「今年……色々と大変だったでしょ。それで、いつも間借りしていたスーパーセンターを建て直す事になって、代わりにここで展示する事になったの。ごめん、少し難しかったかな」

とても優しく、分かりやすく。とても柔らかい物腰だった。

「分かりました。ありがとうございます」

そう言いつつ、深々と頭を下げて感謝を示す。

「そういえば、麻衣ちゃんは花盛第一小学校だったよね」

質問に対し、じぶんはこくりと頷く。

「今年の小学校低学年の県庁賞が花盛第一小学校だったはずだけど、麻衣ちゃん知っている?」

私は左右に首を振って知らないと合図する。

「Bクラスの加藤君という人の作品だったはずだよ。良かったら作品見ていってよ。私たち頑張って作品展示したけど、学生の絵を見に県庁まで来る人は少ない。もし、見てくれるなら麻衣ちゃんが最初のお客様だね」

県庁の役員の方はそう言って、持ち場に戻ったようだ。

 一階には椅子も机も無い。それならば、もう家に帰って、大人しくしていようとも思った。しかし、いつもお世話になっている優しい職員の方に、絵を見て欲しいと言われてしまったので、私は絵を見て回ることにする。

小学校低学年、高学年、中学校、高校。4つの学年に分類されて絵は展示されているようだった。私よりも遥かに上手な絵の数々、自分と同じ学生が絵を書いているとは信じがたい事だった。

 小学校低学年、県庁賞。作品名「ブランコ」。学校名を確認する。自分と同じ、花盛第一小学校のようだ。その作品はブランコを中央に配置して、1人の男の子と1人の父親と思われる大人が描かれていた。淡い絵の具をふんだんに使って優しく仕上げていたその絵に私は、しばらくの間、目を奪われていた。

 私にとって加藤の絵は衝撃的だった。友達が少なかった私は、他人から優しくされる事が少なかった。そんな私は、どうしてこんなにもこの世界を優しく書き表すことが出来るのだろうかという疑問を持つ。     

加藤の絵は中学生・高校生の県庁賞と比べると明らかに下手ではあるはずだ。しかし、そのなかで一番興味を持ったのが加藤の描いた「ブランコ」だった。私はこの絵の中に登場する「ブランコ」に実際に座ってみたいと思った。そして、この絵を書いた同い年の子に会ってみたいと。

 母に夕食の際に、B組の加藤について訪ねてみる。母は、私が人に対して興味を持っている事に驚いているようだった。

「加藤君は、花盛広域公園の近くに住んでいるよ。子供会の廃品回収の時に挨拶してくれたけど覚えていない?」

私は全く覚えていなかった。

「背が低くて、優しそうな男の子だよ。お母さん同士、仲がいいから、連絡してあげようか? あっ、次の子供会が今週の土曜日だから実際に会って話をしてみるといいよ」

母はウキウキしていた。今だと分かるが、母は私の人見知りが人より行き過ぎている事を心配していた。内弁慶な私が他人に興味を持って、しかもそれが異性だとすれば母からすれば嬉しいのは当たり前であった。こうして私は加藤と出会う事になる。


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