1-2
30分程の通学路。麻衣の重い手提げ荷物を持っているので、今日はいつもよりも足腰の鍛錬になりそう。後半から雪が降った為に髪には雪が付着していて、白髪のように見えた。『老けたね』という言葉とともに、大きな口を開けながら笑われたのはいうまでもない。玄関のすのこに十和を寝かせた後、外でお互いの雪を落としあう。
『はっ、どうかしましたか?』
玄関で都合よく起きた十和。その場の流れで、転んで気を失ったという嘘が、事実へと変わった。
『おー、ありがとうございます。流石は、麻衣ちゃんなのですね!』
深々と頭を下げて、麻衣へお礼を言っているのを見た時は、流石に心が痛んだ。ほとぼりがさめたら、ネタばらししてあげようと思う。
静かな廊下。学校にいる学生の数は予想通り少ない。おそらく筋トレに励む野球部。そして、吹奏楽部が来年の新入生を迎える為の練習をしているはずだ。
元々、我が高校は県内有数の進学校。入部している人の数は少ない。加えて土曜日なのだから、人がいないのは当たり前だ。
『保健室に行って活動許可を取ってくる。美術室に先に行ってて、それと鞄よろしく』
麻衣は、美術道具を沢山詰めた鞄を当たり前のように十和に投げ、3階の美術室へ向かうように促した。麻衣は美術部の部長。そして、自分が一応副部長ポジションだ。
『お……おっ……重い』
十和の口から辛さが外に漏れる。小学生並みの背の小ささで鞄を二つ。生まれたての小鹿ほどではないが、重さで足が揺れている。
『持ちましょうか。お嬢さん』
『苦しゅうない。我、一応、高校生なり』
麻衣ほどではないが、十和も結構頑固な所がある。十和は2人分の鞄を持ったまま、階段を登り始める。一階では古めかしい貴族ごっこをする余裕があるようだったが、美術室の三階に着く頃には、今にも倒れそうだった。両手一杯の荷物を抱えている十和に対して、僕は美術室の扉を開けてあげる位しか、手伝える事は無さそうだ。
『うはぁー』
苦しみの声と共にカバンを机の上に置く十和。十和の姿を見ていると、いつもよりも階段が長く感じた。さらに十和の苦しそうな顔を見て年甲斐もなく、肩が凝ってしまった。家に帰ったら、母親にマッサージでもして貰おうかな。
『何を入れたらこんなに重くなるのだろうね?』
机の上に置いた麻衣のカバンを開けようと、手を伸ばす十和。
『開けるのは、止めておいた方が……。後で何をされるか分からないし』
十和は、僕の言葉に対して想像したのだろう。バレてしまったらされる悪行の数々を。
『……やだなあ、私が麻衣ちゃんのカバンを開けるはずが無いでしょ』
十和はそう言いつつも、どことなく目が泳いでいるようすだった。手も微かに、震えている。
『後で、麻衣にばらしてやろうかな』
『ごめん、ごめん。それだけは止めて下され、お代官様。ジュース、ジュース一本で許して下され』
『それならば、仕方がないな。お主も悪よのう』
僕の呟きに反応し、素早い対応を見せる十和。僕は中身のネタばらしをする。
『中身は美術道具しか入ってないよ』
『何か面白いものでも、入ってないのかな? 私もたまには、麻衣ちゃんに仕返ししてみたいのだよ』
『……そういえば』
僕は思い出す。
『「黒歴史」って表題のついたノートを、かばんの中に見たことがある』
『おー、すっごく面白そうなのだよ。やっぱり、開封してみようかな?』
『開けたらジュース二本な』
『うー、中身は何が書いてあったの?』
『カバンの底にあるのが、チラッと見えただけ。中に何が書いてあるのか、僕には分からない』
曖昧な僕の話を聞いた十和。足をぱたぱたと動かし、床を踏みしめていた。好奇心と戦っているのだ。僕は自然と、うさぎがストレスを感じた時に行う「スタンピング」という行為を思い出した。
『やっぱりやめたのだよ。このままじゃ、加藤くんしか得しない』
好奇心に勝った十和は、勝ち誇ったような顔で僕を見ていた。
『でもジュース一本は、揺るがない事実』
『120円なら、安い出費なのだよ』
思わぬ形でジュースを手に入れる事になった僕は、十分に満足だ。僕は、これ以上追い詰める程に鬼畜ではない……麻衣と違って。
口ばかりを動かすだけでは、怒られてしまう。僕たちは、手早く描写用の準備に入る。
対象物を乗せる為の台座を一つ、中央に設置。美術デッサン用のキャンバスを2つ、周りに設置。
後、自分用の普通の机、隣の教室から一つ運び入れる。その机の上に、鉛筆と星型の重し4つを乗せる。後は……。今回の準備は、こんなものだろう。今回の描写練習に、余り準備は必要ない。
最後に、十和にマッチで着火してもらい、石油ストーブで暖をとる。寒さは部屋の中まで存分に浸食しており、暫くは寒さを我慢する必要がありそうだ。暖かい缶ジュースを握りたくなる冷たい空気。僕はストーブ前に手を伸ばし、寒さに震える手を暖める。
十和も僕と並んで手を出し、温めていた。僕の隣に隙間が出来ないようにペタリと寄り添う。
『暖かいね』
十和の顔から優しい笑みが溢れた。密着しているので、柑橘の匂いが鼻をくすぐった。思い出したように、僕は話題を振る。
『今日って香水、つけてきている?』
僕が「香水」というワードを切り出した瞬間。十和の頬は、少しずつ赤く染まった。
『あっ、もしかして臭い?』
『そんな事ないけど、本当に香水なのか?』
『そうだよ、実は先生から貰ったの』
『先生が?』
僕は訝しげに頭をひねる。思い当たる先生が一人はいるのだけど、香水なんかを十和に渡してどうするつもりなのだろうか。
『大切な日につけていくように言われたのだよ』
短髪を指でくるくると丸めながら、顔を赤らめ恥ずかしそうに言っていた。
『くしで髪をとかすことの方が大切だと思うな。僕が言うのも難だけど』
恥ずかしそうに赤く染まった顔は、はっと気がついたような顔に変わる。ささっと移動し美術室の隅にある鏡で、手櫛を用いて髪を伸ばしていた。後ろ姿が髪をとかすというより、毛づくろいに見えた事は心の隅にしまって置こうと思う。
『どう?』
『だいぶ良くなったと思うぞ』
手櫛でとかしたお陰で、髪の毛はあるべき位置へ移動していた。
『そういえば、どんな香りがする?』
『オレンジの香りじゃないのか?』
『どんなオレンジの香り?』
どんな? オレンジに沢山の種類はあっただろうか? 品種には詳しくないために、十和が望んでいる回答がわからない。
『高級そうなオレンジの香りかな?』
『違うのだよ』
残念そうに十和は僕の顔を見る。
『早摘みしたオレンジの香りとか?』
『違う、違うのだよ、地中海風オレンジの香りなのだよっ!』
十和は大きな声で主張する。
えっ、「オレンジ」じゃなくて、「地中海風オレンジ」?
『産地の違いで、匂いは変わるものなのか? 僕には理解出来ないのだけど』
『普通のオレンジの香りよりも、250mlで200円も高いそうなのだよっ!』
今の香水は産地にもこだわっているのか。男性の僕には良さが全然分からない。女性のコスメはカタツムリ・クリームのように男性にはまったく理解出来ない物もあるから、なんとも言えないのだけれども。
『はあ、加藤くんのせいでため息がでて、寿命が縮まりそうなのだよ』
やれやれといった様子で手を横に広げている。違いの分からない僕に心底がっかりしているようだ。
何を思ったか、十和は僕と少しだけ距離をとる。
『少し仕返し、……していい?』
十和が小さな声で、切りだす。麻衣をまねて意地悪な笑みを浮かべようと努力しているのだろうが、可愛いという領域からは外れることが出来ない笑みだ。
『仕返し? デコピンとか、チョップの類なら痛くないから、いくらでもやらせてあげるよ。でも、男性の象徴を蹴るのとかはやめて欲しいな』
『そんなのは、こちらからお断りなのだよ!』
語気を強めていう十和。
じゃあ、僕に何をするというのだろう。特に弱みも握られていないし、からかわれたら倍加して返す自信がある。
困惑顔の僕をみて、十和は得意げな顔を向けている。大きく息を吸い込んだ後、ゆっくりと言葉を発する。
『告白についての事、なのだよ』
十和の顔が少し赤みがかる。僕の顔には、一筋のひや汗がつたった。
『私の知らない間に、告白したりしていないよね?』
『……まだ』
僕は、ぼそっと返答をする。
先延ばしにしてきた事は自分でも理解してきた。だけど、自信がない僕にとって告白は高すぎるハードルのように思えた。
『はあ……情けない男だねぇ。麻衣ちゃんは、待っているのだよ。加藤が切り出してくれる事を。せっかくの青春。このままくすぶらせたままでいいの?』
いつもより力強い、十和の口調。
『別に』
一昔前の女優風に言った僕。十和は、いらいらを更に積もらせる。
『麻衣ちゃんは三人でいる時、遠慮して距離を取るの。多分、私たちをくっつけようと思っているのだよ。でも、加藤が好きなのは、麻衣ちゃんでしょ? もしかして、私が好きなの?』
全てを見通したように、十和は言う。
『俺は、ロリコンじゃないよ』
『あーもう、ひどいな~、私は好きでちっちゃい訳じゃないし。私はお姉さんなのだよ!!』
決まり文句と共に、ぺし、ぺしって、軽く僕を叩く。優しい痛みだった。……だけど、何か弁明をしなきゃ、僕をノックし続けるって、十和の顔に書いてある。
『分かった、分かったよ』
僕の返事を聞くと、十和は満点の笑顔に変わる。「その言葉を待っていました」って言いたげである。
『男に二言は、ないよね? 今日は十和お姉ちゃんからお二人に、プレゼントがあります。 ジャ・ジャン』
口で奏でる壮大なSE。無駄に大きな声量だったのは、お前は"同級生"で、見た目は一番の"年下っぽい"というツッコミは、受け付けないという意志の現れなのだろう。十和がポケットから取り出したのは、2枚の紙切れだ。
『2人に、プレゼントをあげます。映画のチケットです。2枚準備したので、一緒に行ってくるのだよ!』
力を全くいれていない僕の左手に、十和は無理やり紙切れを握らせる。渋々受け取ってよーく見ると、「お好きな映画無料チケット」と書いてある。
『……あー、どことなく悪いし、十和が使うべきだよ』
『ちっ、ちっ、ちっ。甘い、甘すぎるよ、加藤くん。君の逃げ道は、全て予想済みなのだよ』
今世紀最大のドヤ顔に合わせて、十和は自信有りげに言い放つ。今の顔を写真に撮って、麻衣に見せてあげたい。恐らく小一時間、腹を抱えて笑うだろう。
ジリジリと……得意顔のまま、にじり寄る十和。ニヤリと微笑み、指を差して言う。
『チケットを良く見るのだ!』
指図をした十和。仕方なくチケットを眺める僕。……隅々まで見やると、自然と"有効期限"の記載が気になった。
有効期限(2020年 2月16日 ~ 2020年 2月22日)
今日は確か22日。今日が期限のチケットだ。
『加藤くんがデートの誘いを先延ばしにしないように、一週間前から準備して置いたのだよ!』
目をこれ以上ない位に輝かせる十和。
『じゃあ、僕と十和で行こうか?』
『残念ながら、今日は"大切な友人"と約束があるのだよ!』
『あれっ、十和って俺たちと同じような"ぼっち"じゃなかったっけ?』
『友人は、少ないよ。でも、私にだって友達くらいいるのだよ!』
十和の"友人がいる発言"に僕は、心底驚く。正直、交友関係が狭い十和が、僕の知らない所で友人を作っているのは以外だった。
『ふ、ふ~ん。でも、告白するのは今日じゃなくてもいいかも』
少し動揺して、僕は震えた声になる。口調も安定していない。一方、十和は追い込み漁の網の如く、言葉を並べたてていた。
『二人は、誕生日を教えあっていないそうだね!』
十和の発言にどことなく嫌な感じを覚える。
『そうだよ。知っていると、何か渡さないといけないって思うから。教え合わない事にしているんだ』
僕が発した言葉を聞き、なぜか安心した様子の十和は、ひと呼吸置き発言する。
『なんと、実は、今日は、麻衣ちゃんの誕生日です!』
『えーーーっ!』
心の奥底からでた驚愕の叫びだった。もしかしたら、廊下にも響いたかもしれない。
『しかも、今日は"20""20"年、"2"月"22"日。今日ほどに告白するのに、ぴったりな日付はないでしょ。数字も二人に引っ付けって、言っているよ』
驚いている僕の顔を見て、十和は嬉しそうにはしゃいでいる。
『……で、でも』
『もし今日告白しなかったら、明日から「甲斐性なし」って呼ぶから、甲斐性なし、……甲斐性なし、…………加藤くんの甲斐性なし』
渋っている僕の顔を眺めつつ、十和はブツブツと呟く。
『はあ……』
体の中から空気を全て追い出すように、大きく息を吐く僕。どこまで十和は、計画していたのだろう? 綿密な追い込みに、僕は白旗を揚げるしかない。
『負けました。今日、告白するよ』
『やったー、うっひゃー、ヒャッホーイ』
くるくると回りながら、様々な擬音を出して喜ぶ十和。進展しなかった僕たちに、よほど嫌気が差していたのだろう。
『……はあ、もし断られたら十和のせいだからな』
『振られる訳ないでしょ。あんなに仲いいのだからね。もし断られたら、私が付き合ってあげるよ』
『だから、ロリコンじゃないっていっているじゃん。ジュース一本、ジュース一本にしよう』
『…いや、学校にある自販機の飲み物を全部買ってあげるよ。はい、手を出すのだ!』
僕は手を差し出す。その手に、十和は小指を引っ掛ける。
『加藤くんは今日告白して、もし振られたら私が飲み物を買い占めるという約束……を。指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った』
繋がれた僕たちの左手が切り離された途端、僕は非常に重い責任を背負わされた気がした。
『私の見る目を信じなさい。私はお姉さんなのだからね!!』
僕の目の前に仁王立ちする十和。相変わらずの小ささだが、普段よりかは存在が大きく見える。十和がここまでしてくれるんだ。僕も頑張らないと……。だけど、ちょっと券を貰うのは忍びない。
『ありがとう十和。気持ちは凄くありがたいのだけど、チケットを貰うのは勿体ないから、映画だけ一緒に来ないか? 後は、なんとかするから』
僕は映画を3人で見た後、十和が用事を思い出し、その後に別行動とするプランを提案する。十和によると友人がいる目的地に午後6時に到着できれば良いらしい、映画一本を見終わる程度の時間的な余裕はありそうだった。
『私がいてもいいの?』
『大丈夫、なんとかする』
僕は安心してもらえるように深く頷いた。その動きをみて十和も頷く、了承の合図だった。