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 春休み後半戦、2月22日(土)。3つの数字が並ぶ僕にとって特別な日。

如月から連想されるイメージは、日本中が春めき、出会いと別れを楽しむ人間の姿だが、今年は少し違っていた。

恐ろしい程の寒さが日本列島を包み込み、凍える空気が人々を家の中へと追いやる。春休みとは名前だけで、冬休みという名称の方が適切ではないかと思わせる程だ。

テレビニュースは声高に、例年より寒い冬について取り上げている。予想最高気温は連日のように氷点下を下回り、朝食を食べている僕を絶望へ叩きつける。

『東北は暫くの間、ひどい寒波に襲われるでしょう』

気象庁によれば2月の間はずっと、荒れた天候が続くそうだ。僕はため息をつく。

『地球温暖化が進めばいいのにな』

東北に住む人で、僕と同じことを考えている人は沢山いるはずだ。少し身勝手かもしれないが、もっと暖かくなってほしい。

しかも、ここは花盛はなさかり市。それなのにも関わらず、春の季節は短く雪がひっきりなしに降っている。

『東北では、ダイヤモンドダストが見られるかもしれません』

アナウンサーの人は聞き慣れない言葉を発していた。

「ダイヤモンドダスト」とは、「無風でとても寒い時に、雪が太陽に照らされてキラキラと輝く現象」らしい。テレビの向こう側の人たちは、珍しい現象に心を踊らせているようだったが、僕はただひたすらに春の訪れを願う。

気象ニュースが終わった所でちょうど7時。ジャムを塗りこんだ食パンを急いで、口の中へと放り込む。

そろそろ学校へ向かわないと怒られてしまう。僕はカバンを肩にかけ、外界へ続く玄関を開く。

『行ってきます』

『行ってらっしゃい。あれっ、その格好寒くないの? いつものジャンバーは?』

制服しか身につけていない僕に対し、母は質問を投げかける。

『急いでいたらジュースこぼしちゃって、今乾かしている所。だから今日、ジャンバーはいいや。制服の下に沢山着ているし』

『あれっ、そうだったんだ。ママの仕事用の外着があるけど、着てく? 暖かいよ?』

母は女性用のコートを差し出す。保温性に優れたコートはとても魅力的で一瞬迷ったが、女性用の服を着て部活動に行ったらどんな言葉でバカにされるか分からない。実用性よりも名誉をとって僕は断った。

『大丈夫。気を遣ってくれてありがとう。行ってきます』

『そう、気をつけていってくるのよ』

優しい笑顔と共に手を降る母。小さく一礼した後、僕は学校へと向かう。暖かい場所はとても名残惜しかった。

外は無風。乾燥気味の天気だが、冷たい空気はたしかに頬を包んでいる。寒さに凍える手を縮こませながら、僕は雪道を歩く。それにしても、ほんとうに真っ白な世界だ。色彩は街中から取り除かれ、ただひたすらに白。一色に統一された世界を見ていると、自然と絵の具で色を足してみたくなる。美術部の性なのかもしれない。

 見慣れた通学路の道も雪化粧をすることによって、見たことないような景色へと変貌している。僕はただ永遠と続く白い光景を、食い入るように眺めながら歩いた。雪道の光景は、変化がないのに飽きないという不思議な魅力がある。

さんさんと照りつける太陽、煌々と輝く雪。

太陽を遮る雲がいなくなってしまったのだろうか。白雪から目へと届けられる太陽光線は、眩しいと思わせるのに充分な強さの光だった。

真っ黒な制服に袖を通し、目立たないように努力している僕にとって力強い光だ。思わず目を細める。余り照らして欲しくない。僕はただの高校生の一人なのだから。

 僕は高校生らしい、くだらないことを考えていた。そんな頭に後ろから衝撃が走る。寝起きでボケっとしていた僕の頭のスイッチが、ONへ自然と切り替わった。

『あはは、当たった』

背後から柔らかい声が聞こえる。優しい声に初対面の人はころっと欺かれてしまう、そんな魔性の声だ。雪玉をぶつけられるのは、何度目だろう。今まで数え切れない程にぶつけられてきた。だが、何度されても慣れる事はない。僕は振り返る。

 予想通り、そこには麻衣がいた。煌々と輝く雪上のステージは、ただでさえ綺麗な容姿を更に盛り上げる。もし麻衣が普通の美人な女の子ならば、男として絶好の機会のはずだが、彼女は一味違う。

ザク、ザク

雪道が高らかな足音を奏でる。ひとひらのつむじ風が麻衣の行く道にだけ通り、横風によって、しなやかな黒い長髪を美しくたなびかせた。麻衣の顔には笑顔が広がっている。

『痛かった?』

目の前にいる女の子、似真麻衣にま まい。僕に雪玉を当て喜んでいるのだ。

素直な気持ちを吐露してしまうと、麻衣の顔は一層嬉しさに包まれてしまう。だからせめてもの強がりで、

『痛くはなかったかな、それとおはよう』

僕はぶっきらぼうに答えた。

『じゃあ明日からは、雪玉に石を詰めてもOKだね?』

意地悪い笑みを浮かべていた。言葉と同時に向けられた二つの瞳は、僕の心を全て見据えているようだ。

 動かずに何も言わずに、ただひたすらに顔を覗きこまれ、見つめられる。好奇心を灯した瞳は、僕に降参であると白旗を振るように促している。

『痛かったよ』

『だよね。今日はきちんと真ん中にぶつけられたからね』

麻衣の顔は、勝ち誇ったようなものへ変わる。

『このままだと、たんこぶで頭がデコボコになっちゃうよ』

僕はわざとらしく、頭を擦る。

『いたいの、いたいの、とんでけ~。OK、じゃあ行こうか』

聞く耳を持たない麻衣は、学校へと歩みを進める。僕は仕方なく麻衣の後ろをついていく。

 一歩だけ先を行く麻衣の周りは、キラキラと輝いていた。万華鏡のように様々な色に照らされた雪が、麻衣の外形に不思議な温かみをもたらせる。

 麻衣は本当にずるいなって思う。あくどいと思わせる程に視線を奪うのにも関わらず、触ってみようとすると空気を漂う雪のように実態を掴みづらい。

先を歩く麻衣は手の届く距離にいるのだけれど、同年代の僕たちの間には遥かに差がある気がした。

『今日は特に寒いね。雪玉を握った手が冷え冷えだよ』

後ろ歩きをしながら、麻衣は僕に話しかける。

可愛い女の子の顔を見ながら歩けるのは、僕の目の保養にはいいが、雪道をそんな体勢で歩いては、転んでしまいそうだった。

『前向いて歩かないと転んでしまうよ』

『大丈夫、大丈夫。小学生じゃあるまいし、簡単には転ばないよ。……キャッ』

少し前で、つるりと足を滑らせて体勢を崩す麻衣。予想通りだった。重い音が辺りに響き渡ったあと、麻衣は悲鳴をあげる。

『痛い~、おしり痛い~』

『大丈夫、立てるか?』

僕は左手を差し出す。

『なんか今日、変なものでも食べた?』

目の前で知り合いの女の子が転んでいるのにも関わらず、黙って見ている男がいるのだろうか?

麻衣は僕の手に掴まり、ふわりと立ち上がる。だけど、僕には負担がかからないように、手には余り力が込められていない。そんな些細なことが彼女の優しさだった。

言葉にすれば沢山の友達が出来るだろうに……。言葉にしない優しさは、他人に伝わらない方が多い切ないものだ。

麻衣も僕も、他人と関わるのが得意な方ではない。世間の若者たちは、僕たちのような群れる事の出来ない若者の事を「ぼっち」などという言葉を使って括る。まさに端的に僕たちを表現した言葉だ。

僕が世間一般の人たちと深く絡まない理由は、大体の人が言わなくても分かってくれるはずだ。でも、麻衣は違う。白くて雪の様な肌。綺麗に整ったしなやかな黒髪。見るものを引き込む瞳。

必要な物は全て持ち合わせている。だけど、余り人と絡もうとしない。もし、僕も、幼馴染というきっかけを持っていなければ、話をして貰えていなかったのだろう。

麻衣のお尻の部分はじんわりと雪で濡れており、冷たくてしもやけになってしまいそうだった。

『いててて』

『雪玉をぶつけたバチが当たったんだね』

『何のことだっけ、忘れちゃったよ』

僕よりも成績の良い麻衣は合わせた視線をそらして、機嫌悪そうに遠くの景色を眺めたのだった。

そんな孤高のぼっちである似た者同士に、後ろから声がかかる。

『加藤くん、麻衣ちゃんおはよう』

朗らかな挨拶は僕の気持ちを軽くする。本来、挨拶はかくあるべきだと思う。

…とて…とて

雪道から発せられる音。小さくて軽い音だ。十和の小ささを際立たせている。

知らない人からしたら中学生。あるいは小学生に間違われてしまうほどの低身長の十和。カバンにソプラノリコーダーを付けていても何の違和感もない。

十和はいつものようにトレードマークの髪留め。三つ葉のクローバの髪留めを付けていた。

『十和ちゃんおはよう。相変わらずの小ささだね』

『これでも私はお姉さんなのだよっ!!』

十和の慣れた返答。十和も麻衣の意地悪な問答に慣れている中の一人。最初は戸惑っていたけれど。

三人は再び学校に向かって歩き始めた。途中から雪が降り始め、自然と足早になる。降りしきる雪と真っ白な雪道は、麻衣が転んだ時に見えた物。「白と青玉のパンツ」の事を僕に思い出させた。

……。

……。

十和にばらして、麻衣の顔を赤く染めるのも楽しそうだった。でも、そうすると明日の雪玉には、不純物が混じるかもしれない。すんでの所で思いとどまる。さすがに石の入った雪玉は、勘弁して欲しいのだった。

『何を考えているのだよ?』

十和に顔を覗き込みながら言われる。

『十和に言えない事かな』

『それってもしかして小さいころの事かな? それだったらごめんね』

男子高校生らしい妄想をしていただけなのだが、十和に心配を掛けてしまったようだ。

『そんな深刻な事じゃないよ。心配しなくて大丈夫』

石の入った雪玉、小さい頃。

久しぶりに嫌な事も思い出してしまった。

それは、麻衣との出会い。小学生の頃の事。

……小学校。

 僕は、どんな子供だっただろうか。多分、絵が得意で大人しい子。そして、余り目立たない子供だっただろう。小学校低学年の頃、僕は特に個性の無い小学生だったのだと思う。

 思い出すだけでしんみりとしてしまう。現実と向き合うことは大切な事。大人の皆さんは、高校生の僕たちへ無理難題を突きつける。

確かに大切な事だけど、目を背けたほうが楽な事もある。今は記憶に蓋をするべき時だ。今、僕の両脇には可愛い女の子たちがいる。こんな素晴らしい時間に悲しい顔は似合わない。僕たちは明るい話題に戻して、にこやかに話を続ける。

『雪山、雪山だよ』

前方にこんもり小さな雪山が見えた。

十和が指を差して、はしゃいでいる。家の敷地内に作られた雪山。恐らく、ここの家族が作ったものだろう。雪の斜面には、ソリが滑っただろうという跡があり、家族で遊んだ形跡があった。

『こんなものを見てはしゃぐなんて、おこちゃまですね~』

麻衣は大げさな抑揚で、十和を茶化す。でも、十和は全く聞く耳を持たず……

『山があったら登りたくなるのが、世の常なのだよ!』

気づいた時には、雪山を登っていた。

『……ちょ、ちょっと。ほら、加藤も何かいって』

気づいた時には既に、小さな雪山の頂上に立ち、僕たちを見下ろす十和。もし制服を着ていなかったら、雪にはしゃぐ小学生に見えるだろう。

 雪山を見て喜ぶ、ロリ高校生。とても絵になっている。……見ている分には問題ないのだけど、同じグループの学生だと見なされるのは、恥ずかしい。多分、麻衣も同じ事を考えている。だから、顔が赤く染まっている。

『ほら、いい眺めだよ』

十和は、手招きして山の上に呼ぶ。頂で小ジャンプを繰り返し繰り出しており、心の底から楽しんでいるようすだ。十和の目には、どんなに綺麗な景色が映っているのだろうか?

『いいから、降りて来なさい!』

ウキウキな十和と対照的に、……プチンと、麻衣の堪忍袋がキレそうである。ひしひしと存在感増す、威圧感。

 このままでは、まずい事になりそうだ。僕は、こっちに戻って来るように、ボディランゲージを送る。しかし、無情にも麻衣のカウントは、下されて

『3……、2……、1……』

十和は僕たちに、何で来ないのだろうと、不満そうな顔を向けているだけ。降りてくる気配は、ない。

 『……0』

不機嫌そうな麻衣の手には、いつの間にか準備されている雪玉が握られていた。

 「ピッチャー第一球、振りかぶって、投げた!」という、仮想の実況が聞こえてきそうな程に、綺麗なフォーム。大きく振りかぶって投げられた雪玉は、かなりの加速度を持っていて……

……フォン……

 余りの勢いから雪玉には、音も乗っていた。先程僕がぶつけられた物よりも、悪意が込められている。僕は痛みを想像するだけで身震いをする。それ程の速さを持った雪玉を、十和が回避出来る訳もなく。

ドスッ…………バタッ……ザザザッ

 見事に顔面にクリーンヒット。そのまま、十和はこちら側の斜面へと、倒れ込んでしまった。ゲームセンターで落ちてくる商品のように重力に逆らわず、十和の体は山の下までなめらかに滑り降りてきていた。

『おいっ、大丈夫か?』

 駆け寄ると十和は気を失っている。前後に振ってみると、

『うっ……、うっ……、うっ』

振るたびに小さく声をあげる。どことなく海外製のおもちゃを思い出した。少し楽しくなってきて、多めに振ってしまったけど、取り敢えず生きているようだった。

『ごめん、本気で投げすぎちゃった。生きてる? はあ……、良かった……』

急いで近づいてきた麻衣も、一安心のようす。珍しく、反省しているようだ。

『私が、お姫様抱っこをしてみようかな? 加藤、荷物持って』

麻衣は僕に荷物を託し、だらっと力が抜けている十和のお尻と背中に手を回す。

『重い?』

『重くないよ。私の半分くらいしか、ないんじゃないかな?』

女子高生が同年代の子を持ち上げるのは、相当に厳しいはずである。だが、十和の場合は別だ。小学4年生程の大きさ。勢いをつける必要なしに、麻衣は軽々と抱きかかえる。

『すぅ……、すぅ……』

近くに寄ってみると、優しくて可愛い呼吸音が聞こえた。

『やっぱり可愛いな~』

手中におさめた十和を、覗き込みながら言う麻衣。いつもは聞かない猫撫で声だ。

『可愛いと思っているなら、普段から言ってあげればいいのに』

『愛らしい子を、いじめたくなる気持ち分からないの?』

『それはそうだけど……』

『もし、十和の必要なものが、手の届かない位置にあったらどうする?』

……うーん。どうするだろうか? 十和が目線をそらした隙に、背伸びをしてもギリギリ届かない位置に置き直して、後ろから悶えている光景を眺めるのがベストかもしれない。……じゃなくて。

『普通に取って、渡してあげるよ』

『ホント?』

『……本当だよ。少しは反省するように』

『そうだね……、はぁい、反省してまーす』

僕なんかに責められて、悔しそうだ。

『ねえ、オレンジの香りがしない?』

麻衣は抱きかかえた十和の髪に、顔をくっつけて匂いを嗅いでいた。

話を振ったってことは、僕にも嗅いでみろという事だろうか? 寝ている女の子に顔を近づけて匂いを嗅ぐのは失礼だと思ったので、薬品を調べるときのように手で仰いで匂いを嗅ぐ。ほのかに柑橘系の香りがした。

『ホントだね』

『香水つけてくるなんて、十和もすっかりと発情期さんなんだなー』

『シャンプーの香りだと思うよ』

『違うね』

麻衣は断言する。

『私は日課として髪に鼻をうずめて、クンカクンカしているの。そんな私が、間違うわけがないよ』

麻衣は胸をはっていた。

十和が香水? 正直想像出来ない。僕のように、外見を気にするタイプの人種じゃない。

十和の顔を覗く。一部髪がはねており、十和の外見上の幼さに拍車をかけていた。もし外面を気にするならば、くしで髪をとかすことから始めるはずだ。

『僕はシャンプーとか、ボディーソープだと思うな』

『加藤には乙女心が分からないよね。リアルなオレンジの香りだから、高い香水だと思うよ』

麻衣は、推理内容を語っていた。

『もしかしたら、汗の匂いとか』

『……はあ』

麻衣は、大きなため息。

『女の子にそんな事いっちゃダメ。……今のは、聞かなかった事にしてあげるね』

冗談のつもりで言ったのだが、優しく返答されたのが、逆に心に響いた。

『普段は、どんな香りなの?』

『桃。多分、シャンプーは桃の香りだね。間違いない』

麻衣の清々しい断定に、かっこよさすら覚える。

『今日は土曜日。先生の目もない。だから、おしゃれさせてあげよう』

麻衣は嬉しそうに、うんうんと頷いている。一歩女の子街道を進んだ十和を見て、麻衣は我が子のように喜んでいた。


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