正しい剣の使い方
聖剣、それは勇者を取り巻く伝説の中で、魔王と共に語られるほどの存在だ。
ある剣は、見ることも叶わぬほどに光溢れ。
ある剣は、持ち主の魂を喰らい、力溢れ。
そして、ある剣は……
人が住まう事を許さないほどに、緑に侵食されし場所。
地図からも、人の記憶からも忘れ去られし古の神殿。
硬い石で作られていたそれは、今や木の根が這い、蔦で絡め取られ見る影も無い。
他者を拒むように、張り巡らされた根を払い、茂る葉をかきわけると、そこには神秘的な光に、うっすらと白く輝く扉があった。
「ライル!入り口があったわ!」
「でかした!フィリス」
フィリスに呼ばれ、駆けつけたライルが重い扉に手をかける。
勇者の訪れを待ちかねていたように、石造りの重厚な扉は、ライルが触れただけで音を立てて開いてゆく……
「すげえ……」
王宮でさえ見たことのない仕掛けに、ライルが感嘆の言葉を漏らす。
重い音を立てて開ききった扉が動きを止めると、廃墟と化した外側とは異なり、ほこりっぽくはあるものの、過去の姿を今に残す祭壇があった。
今は磨かれず輝きを帯びていないが、見事な細工が施された床、色あせていながらも重厚感を失わない赤い絨毯。
一歩一歩踏みしめるようにライルが進むと、扉と同じ素材なのか、うっすらと光る祭壇には……一口の剣があった。
普段見慣れた両刃のものとは違い、わずかに反ったそれをライルが手に取ると、やけに馴染む。
こんな場所で埃ひとつ無く、艶やかに光る漆黒の鞘、持ち手を飾るのは鮮やかな真紅。ライルがゆっくりとその刀身を露にすると……波打つような模様と、黒から白銀へと刃へ向けて色を変えていた。その美しさに魅入られたライルが、感嘆の溜め息を漏らす。
更なる強さを求め、口伝の欠片を集めようやくたどり着いた場所。
忘れ去られし聖剣の伝説。
それが今目の前にあるのが信じられない。
旅の最中、もう探し出す事を諦めそうにもなった。
だが、ライルと長年共にあった剣の限界が見えた時、求めたのはそれだった。
神殿や王宮に納められていた聖剣もあった。勇者でなければ使いこなせないそれらは、すばらしいものだった。
けれども、ライルは忘れることが出来なかった。
どの時代においても、聖剣は尊ばれ、大切にされているというのに、ただひとつ、その姿さえ正しく伝わらない剣。
その存在を耳にして以来、ずっと心の片隅にひっかかっていた聖剣。
聖なる剣には精霊が宿ると言う。勇者となった者は、自らを主と認める聖剣を得ようとするのだが、この剣は長い間忘れ去られているのだ。剣に宿る精霊は性別問わず美しく、善なる心に溢れると言う。
魔剣と呼ばれかねない魂を喰らう剣など、泣きながら主の心を喰らうほどで――その姿を見た者は、その剣を魔剣とは呼ぶことがなかったらしい。
きっと、この剣に宿る精霊も長年こんな場所で寂しかっただろう。そう思ってからというもの、ライルは己の得るべき聖剣はこれだと、その存在を知って以来探し続けてきたのだ。
それをようやく光の射す場所へと連れてくることができたのだ。
チャキ、と澄んだ音を立てて剣を鞘に戻す。
抜く事が出来たという事は、この剣が自分を主と認めてくれた証。
ライルは、剣を身につけ、この剣の精霊が目の前に現れるのを待つ。
そうだ、現れるのを待つんだ。
待つんだ。
待つ。
……今目の前にいるものは気にせず、麗しの精霊を待つのだ。待つったら待つのだ。
ごついおっさんなど見えないったら見えない。
「お前がわしの主人か。何だひょろひょろしてんな」
「……」
「大丈夫だ、わしがしっかり鍛えてやる。まずは……毎朝素振り10000回。後は走りこみをして身体を作らねばな。まずはそこからだ」
「……精霊はどこなんだろうなあ~見あたらないな~」
「ちょ、ライル、こんなにむさいのが見えないわけ無いじゃない!」
「だって、フィリス、これ精霊じゃない、教官だ!」
幻想(妄想)を砕かれ、目の前の存在を受け入れられないライルに、フィリスは現実逃避さえ許してくれない。
「ああ、これが伝説の剣なのか。見事なものだな。そしてこれが例の精霊か……」
うんうんと一人納得しているカインに、フィリスはすすっと近づく。
「ねえ、カイン。もしかしてあなたこの精霊について知ってたの?」
「ああ、まだ未熟な頃神殿の奥にある禁書にこの精霊の事が書いてあったのを見たな」
「……何で教えてやんなかったのよ、ライルに」
「まさかライルが探していたのがこの精霊付きの剣だとは思わなくて」
考えてみれば、色々やらかして結果的にライルとフィリスが被害を受けてはいるが、カインは別に隠し事をするわけでもないし、悪意を持って何かをすることはないのだ。
本当にカインが知っている精霊とライルの求めている剣が関係あると知らなかったのだろうと納得したフィリスは、生ぬるい目でライルを眺めるだけに止める。
そう、たとえ目の前でどうやってか石を背中に乗せられ腕立て伏せをしているライルがいようとも。
サボろうとしたり、手を止めようとするたびに剣が宙を舞いライルをぼろきれのようにしようとも。
「待ち時間は効果的に使え!いつなりとも鍛錬を忘れることなかれ!」
野太く大きな声が時折そんな事を言いながら、ライルの弱点を次々に指摘している。
第一印象を違えず、びしばしと涙目のライルの泣き言など聞かず訓練をさせる姿は教官だ。
「わしの前の主人並みに育てあげてやるから、安心しろ!」
「もうやってられっか!お前なんかお断りだああああああ!くっそ、こうしてやる!」
聖剣の本体を、台座に突き立てると、まるで豆腐のようにすっと切れる。
こうなったらと床に根元まで付きたて、ライルは必死にフィリスとカインの傍に戻ってこようとする。
「その精霊は、以前の持ち主が消すこともできなくて、どこかに封印したとかあったが……ここだったんだな」
しみじみとしながら、カインが一人頷く。
「引き剥がすことに苦労し、全力の戦いが三日三晩続き、互いの力が尽きたときに、最後の力を振り絞った初代勇者が封印したという精霊」
「……初代勇者って、近年の勇者が束になってかかっても倒せないだろうと言われるほどの存在よね」
「そうだな」
平然と返すカインとは違い、フィリスがライルを見る目はさらに遠いものになる。
先ほど言ってなかったか、精霊は。前の主人並みに鍛えてやると。
そうか、カインは人外クラスにまで育てられるのか。剣に
「今のうちだ!行くぜ二人とも!!」
剣を捨てたライルが出口に向かって全力で走り出す。
「まだお前を鍛えあげておらん!わしが納得するまでは離れぬよ。うわはははははは!!」
自ら、本体の剣を持った精霊が追いかけてくる。ライルが追ってこられないように次々と攻撃したり、周囲を破壊して行くが、剣がすぱすぱと進路を切り開く。
「指導を終えたければ、わしを倒しその屍を踏み越えて先へ進むが良いわ!」
ふははははははは!と豪快に笑いながら、聖剣は出口にたどり着く前には、ライルの腰に納まっていた。……持ち主はずたぼろにされ、気を失っているが。
「初代勇者の剣なんて、光栄だな」
「おう、あんたらが主人の仲間か、よろしくな!」
「よろしく」
にこやかに教官に話しかけ、ほのぼのと手を取り合うカイン。
「俺はこんななりだが、回復はできん。良ければ攻撃を受けずにすむくらい鍛えてもらえれば助かる」
「むっ、そうなのか。ならば予定よりもっと足腰を重点的に鍛えねばならんだろうな」
「あとライルは俺に腕力で負けているのが悔しいようだ」
「ならばお主に勝てるほど鍛え上げてみせよう」
「心強い。さすが古き精霊だ」
にこやかに、ライルのハードルが上げられて行くのを見て、フィリスはそっと涙を拭う。最近のフィリスの荷物はハンカチが大量に入っている。もう必需品だ。とりあえず町へ行けばハンカチと回復薬が必須なのだ。
「俺、俺の……け、ん……」
うんうんと絶望にうなされているライルを、カインが微笑ましそうに見下ろす。
「ああ、夢に見るほど嬉しいのか」
「そうか、それならわしはもっと頑張らんとな!!」
野太い高笑いが響き渡る。
それ以来、剣に追い掛け回されるライルの姿が日常の光景になったのは言うまでもない。