婚約破棄?上等だ、キッチリ落とし前をつけてもらう
王城の天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、眩いほどの光をフロアに投げかけている。
華やかなドレスや豪奢な燕尾服に身を包んだ貴族たちが集う、王家主催の夜会。
――そんなきらびやかで平和な空間の中心で、そのひどく退屈な茶番は唐突に幕を開けた。
「ディアネイラ・アマテ・ウィーグラフ! 貴様との婚約は、この場をもって破棄させてもらう!」
ホールの中央でわざとらしくよく通る声で叫んだのは、私の婚約者であるステファン王太子殿下だった。
彼は得意満面の笑みを浮かべ、私を指差している。
「おのれディアネイラ! 貴様がウィーグラフ公爵家の権力を笠に着て、国庫の金を横領し、反逆を企てていたことは既に調べがついている! よって、貴様の公爵家としての全財産および領地の管理権は王室が没収し、今後は我が王室と協力関係にあるオロチ商会に一任することとする!」
周囲の貴族たちが一斉にざわめき、私を遠巻きにしてヒソヒソと嘲笑の目を向けてくる。
厄介なものを見るような目つきの貴族の男たちや、ここぞとばかりに冷笑を浮かべる令嬢たち。
私はドレスの裾をわずかに揺らしながら、表情一つ変えずに静かにため息をついた。
(……はぁ。どこの三下だよ、この唐変木は。スジ書きが安っぽすぎて欠伸が出るね)
私の名前はディアネイラ・アマテ・ウィーグラフ。
由緒正しき公爵家の長女である。
だが、私の中身はただの箱入り娘の貴族令嬢ではない。
前世の私は、関東一円の裏社会を牛耳る巨大極道組織――九頭竜組の若頭、九頭竜紅葉。
他組織との激しい抗争の最中、凶弾に倒れて命を落としたはずが、気がつけばこのファンタジーな異世界で公爵令嬢として二度目の人生を送っていたのだ。
せっかく転生したのだから、今世は血生臭い世界から足を洗い、猫を被って上品な淑女を完璧に演じて平穏に暮らそうと思っていたというのに。
横領だの反逆だの、見え透いた嘘はどうでもいい。
問題はその後だ。
ステファンが口にしたオロチ商会――。
それは表向きこそ貿易商だが、裏では違法な薬物や武器の密輸を取り仕切る、この国最大の巨大な闇組織である。
つまりこのあほ男は、公爵家という正規の身内を裏切り、三流のチンピラ組織と手を組んで、あろうことか私の領地から上がる利益を不当に奪い取ろうとしているのだ。
「……ステファン殿下。婚約破棄、という言葉の重大な意味を、しっかりと理解しておいでですか?」
私はゆっくりと扇を閉じ、冷ややかに問いかけた。
「当然だ! 貴様のような陰湿な国賊、我が国の王太子妃として迎え入れるわけにはいかないからな!」
「つまり、王家と公爵家の間で正式に交わされた盃を、そっちの勝手な都合で一方的に叩き割り、あまつさえ他所の組織にウチのシマを売り渡すということでよろしいですね?」
「さ、さかずき……? シマ? 何を頓珍漢なことを言っているのか分からんが、とにかく貴様とは終わりだ! 衛兵、この女を地下牢へ連行しろ!」
――プツン。
私の中で、十数年間ずっと堅く封印してきた極道の血が、どす黒く沸騰する音がした。
仁義に反する裏切り。
身内のシマ荒らし。
極道の世界で、それは絶対に許されない大罪だ。
「……あァ?」
私が低く、地を這うようなドスを効かせた声を漏らした瞬間――。
大広間の空気が、一瞬にして凍りついた。
私が無意識に放った、歴戦の修羅場をくぐり抜けてきた極道としての重圧な殺気が、ホール全体をビリビリと震わせたのだ。
先ほどまで私を嘲笑っていた貴族たちは一様に顔を青ざめさせ、悲鳴すら上げられずに後ずさる。
私はヒールの音をカツン、カツンと響かせながら、ステファンの目の前まで歩み寄った。
今まで何重にも被っていた淑女の皮は、もう完全に脱ぎ捨てていた。
「おい、クソガキ。さっきから黙って聞いてりゃ、随分と図に乗りやがって。アタシのシマを三流のチンピラに売り渡すだと?」
「ひっ……!? な、なんだお前、急に言葉遣いが……」
私の燃えるような深紅の髪が揺れ、鋭い翡翠の瞳で射抜かれたステファンは、喉元に刃を突きつけられたような顔で怯え、一歩後ずさった。
「スジも通さねぇで一方的に盃を返すってんなら、それ相応の落とし前はキッチリつけてもらうのが、アタシのいた世界での絶対のルールなんだよ」
「お、落とし前……!? え、衛兵! この狂った女を早く捕らえろ! 殺しても構わん!」
ステファンが情けなく甲高い声で叫ぶと、数人の屈強な衛兵が槍を構えて私を取り囲んだ。
しかし、私は焦るどころか、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「上等だ。久しぶりのカチコミだねぇ……だが、その前に一つ教えてやるよ」
私はドレスの胸元に忍ばせていた、分厚い書類の束を取り出し、ステファンの顔面に向かって容赦なく叩きつけた。
バサバサと床に散らばったのは、彼らにとって絶対に世に出てはならない致命的な証拠の数々だった。
「アタシが何もしねぇで、大人しく泣き寝入りするタマだと思ってたのか? 舐めるなよ。お前がオロチ商会と裏で交わした違法な兵器密輸の契約書と、王家の軍事機密を他国に売り払った証拠の裏帳簿だ。裏社会の情報網を使えば、こんなもん一日で集まるんだよ」
「なっ……!? な、なぜお前がこれを……! これは完璧に隠蔽したはず……!」
ステファンの顔面から一気に血の気が引き、ブルブルと膝を震わせた。
「どこの世界でもな、裏でコソコソ悪さをする奴は、必ずどこかでボロを出すんだよ。アタシを国賊に仕立て上げて邪魔な公爵家を潰し、テメェは裏組織と組んで私腹を肥やす算段だったんだろうが……甘ぇんだよ。やるならもっと、腹くくってやらねぇとナァ!」
私が怒鳴りつけると、衛兵たちも事態の異常さと目の前に散らばった国家反逆の証拠に気づき、槍を下ろして困惑したように顔を見合わせた。
「ええい、構わん! そいつの口を封じろ! 逆らう者は一族郎党皆殺しにするぞ!」
完全にやけっぱちになったステファンの狂った命令で、二人の衛兵が仕方なく私に掴みかかろうとした。
しかし、その手が私に触れるより早く――。
「――ああ、駄目ですよ。私の気高き首領の肌に、貴方たちのような薄汚いウジ虫が触れるなど、万死に値する大罪ですから」
甘く、滑らかで、どこか芝居がかった声が響いたかと思うと、空を裂くような鋭い金属音が連続して鳴り響いた。
次の瞬間――私に迫っていた衛兵たちの武器が粉々に砕け散り、彼らは糸の切れた人形のように白目を剥いて床に崩れ落ちた。
そこに立っていたのは、品格を感じさせるダークシルバーの髪と、硝子玉のように透き通ったシトリンの瞳を持つ、長身で細身の男だった。
王国の暗部を束ねる諜報機関のトップであり、微笑む死神の異名で恐れられる冷酷無比な長官――テオスカーだ。
彼は血のついた細身の双剣を優雅な手つきで鞘に納めると、私の方へ向き直った。
そして周囲の貴族たちが畏怖のあまり息を呑む中、テオスカーは唐突に私の足元に深く跪き、熱に浮かされたような瞳で私を見上げたのだ。
「ああ、ディアネイラ様! 今日の貴女の、その慈悲のない冷酷な表情、そして先ほどの『あァ?』という地を這うような素晴らしいドスの効いたお声……! たまりません。私の背筋を甘い電流が駆け抜けました! 素晴らしい、実に芸術的な威圧感です!」
「……テオスカー。テメェ、また手帳開いてんのか」
私はため息をついた。
テオスカーは懐から小さな革張りの手帳と羽ペンを取り出し、猛烈な勢いで何かを書き留めている。
「ええ、もちろんですとも! 『スジも通さねぇで一方的に盃を返すってんなら、相応の落とし前はキッチリつけてもらう』……ああ、なんて美しく、暴力的で、魂を揺さぶる詩的なお言葉なのでしょう! 私の『ディアネイラ様至高の罵倒語録』の記念すべき一ページ目に特筆大書しておかねばなりません!」
顔を紅潮させ、ハァハァと荒い息を吐きながら手帳にペンを走らせるテオスカー。
――そう、この男、王国の裏社会を冷酷に支配する恐ろしい諜報長官でありながら、私に対してだけは異常なほどの忠誠と愛情を向けてくるド変態男なのである。
数年前、彼が敵国のスパイに追い詰められていたところを、私が極道仕込みのステッキ術で敵を半殺しにして助け、ついでに「裏の仕事やってるなら、もっと腹据えて立ち回りな」と説教したのが運の尽きだった。
以来、彼は私の裏の顔にすっかり魅了され、私に罵倒されることに至上の喜びを感じる厄介な性質を開花させてしまったのだ。
「テ、テオスカー長官!? なぜ貴殿がディアネイラの味方をする!? 貴殿は王家に忠誠を誓っているはずだろう!」
ステファンが顔面蒼白になりながら叫ぶと、テオスカーは私に向けていた恍惚とした表情をスッと消し去り、絶対零度の冷たい視線をステファンに向けた。
「忠誠? 冗談を。私が忠誠を誓い、この命を捧げているのは、この世で最も気高く、力強く、そしてスジを通す私の首領、ディアネイラ様ただお一人です。貴方のような、身内のシマを三流のチンピラに売り渡すような外道、路傍の石以下の価値しかありませんよ」
流れるような毒舌に、ステファンは言葉を失ってへたり込んだ。
「言うねぇ、テオスカー。で、外の掃除は終わってんのか?」
私が尋ねると、テオスカーは再びパァァッと顔を輝かせ、嬉しそうに尻尾を振る犬のように身を乗り出した。
「もちろんでございます、ディアネイラ様! ステファン殿下が裏で手を組んでいたオロチ商会の拠点は、先ほど私が直属の部隊を率いて完全にカチコミをかけ、幹部共は一人残らず縛り上げて裏庭のゴミ捨て場に積み上げておきました! ディアネイラ様からいただいた極秘任務、完璧にこなしましたよ。さあ、どうぞ私を足で踏みつけ、ゴミを見るような目で褒めてください!」
「……後でな。今は仕事の仕上げだ」
私はゾクゾクと身をよじるテオスカーを軽くあしらい、ステファンを見下ろした。
「さて、茶番はこれで終わりだ。ステファン、王家の名に泥を塗った落とし前は、たっぷり払ってもらうよ」
「はっ! 既に国王陛下にはすべての証拠を提出済みでございます!」
テオスカーが恭しく一礼し、ホール全体に響き渡る声で宣言した。
「国王陛下の勅命により、ステファン殿下は国家反逆および裏組織との結託の罪により、王位継承権を即座に剥奪。明朝より北方の極寒の鉱山にて、一生涯の強制労働となります!」
「なっ……! 嘘だ、嘘だと言ってくれ! ディアネイラ、私が悪かった! 慰謝料は言い値で払う、どうか許してくれぇぇっ!」
見苦しく泣き喚くステファンを、テオスカーの合図で現れた諜報機関の黒装束の部下たちが容赦なく引きずっていく。
ホール中に響き渡る元婚約者の無様な命乞いを滑稽な伴奏代わりに聞きながら、私は「フッ」と鼻で笑った。
「自分のケツも拭けねぇガキが、極道の女に喧嘩売るからそうなるんだよ。ざまぁみろってんだ」
胸のすくような、完璧な大勝利。
ホールにいた貴族たちは、私の恐ろしさと圧倒的な情報力、そしてあの微笑む死神を手駒として従えている姿を見て、誰一人として文句を言う者はいなかった。
騒動が一段落し、嵐の去った大広間で、テオスカーが再び私の前に傅いた。
「……ディアネイラ様。婚約が破棄された今、もう貴女を縛る不愉快な枷は何もありませんね?」
彼のシトリンの瞳が、ひどく甘く、暗く、そして絶対的な忠誠の熱を帯びて私を見上げる。
「貴女は私の世界のすべて。私の情報網も、双剣も、この命も、すべて貴女に捧げます。どうか、私を貴女の生涯の伴侶として、いや、一生忠誠を誓い、貴女の敵を噛み砕く猟犬として、傍に置いていただけませんか?」
その言葉は、貴族のプロポーズというよりは、完全に極道の忠誠の誓いだった。
だが、彼なりの狂気じみた、それでいて真っ直ぐすぎる愛情表現だということは痛いほど伝わってくる。
常に冷静沈着な男が、私に向けてだけ見せるこの無防備な狂信ぶりは、正直に言って嫌いではなかった。
「……猟犬、ね。アタシの首輪は、ひどく重くて窮屈で、一生外してやらないぞ?」
「望むところです。貴女以外の誰かに命令されるくらいなら、この舌を噛み切って死にますとも。ああ、どうかその美しい手で、私の首輪を思いきり締め上げてください!」
全く、どこまで癖の強いドMなんだか。
しかし、悪くない。
前世では組織のために血みどろで生き、恋などする暇もなかった私だが、この危なっかしくも頼りになる美貌の長官の世話を焼くのも、案外楽しいかもしれない。
「いいだろう、テオスカー。その盃、受けてやる。アタシを一生、飽きさせるんじゃないよ」
私が彼の頬にそっと手を添え、ニヤリと悪女のように笑いかけると、テオスカーの顔がカァァッと赤く染まり、感極まったように私の手のひらに頬を擦り寄せた。
「おおお! ディアネイラ様! いや、私の最愛の首領よ! 一生、死んでも、魂が砕け散った後も絶対にお供いたしますぅぅっ!! まずは記念すべき初夜の前に、私を鞭で打っていただけませんか!?」
「バカ言ってんじゃないよ! TPOをわきまえな! ほら、さっさと帰るぞ!」
「ああっ、冷たくあしらわれるのも最高の快感です……!」
感動のあまり顔を覆って悶えるテオスカーを置いて、私はヒールを鳴らしてホールの出口へと歩き出した。
極道としてのスジを通し、邪魔な元婚約者を綺麗さっぱり排除した最高の夜。
これからは、この愛が重くて少し頭のおかしい最高の相棒と共に、異世界で最強の組を作っていくのも悪くない。
夜の王城に響き渡るテオスカーの歓喜の叫びを聞きながら、私は少しだけドSな笑みを浮かべて、新しい極道人生への祝杯を上げるのだった。
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