第25話:死神の涙(中編)
私のお母さんは本当に精一杯生きていました。
覚えているのは、元から弱かった体を引きずって懸命に家事をこなし、いつも笑顔を向けていた事。
庭の生垣に椅子を置いて、いつも編み物をしていた事。
そして、幼い私をあやして、外で遊ぼうとせがむ私を懸命に追いかけてくれた事。
どれも、家の中での事ばかりだったけど、幼心にそれがしょうがない事なんだって思ってた覚えがあります。
そして、お母さんが急に倒れたあの日。
空にはどんよりと雲が漂っていました。
学校に行っていた私は、担任の先生に呼び出されて急いで病院に向かいました。
そして、そこで見たのがベットに横たわって安らかに眠る母の姿。
最初は、その時死んでいると思いました。
それくらい、静かに眠っていたのです。
だから、私が近づいて心臓の鼓動を確認するまで、それが生きているとは思えませんでした。
医者は、病気の悪化による植物状態だと教えてくれました。
治る見込みは無いし、おそらくもう目を覚まさないだろうけど、まだ数年は生きられると言っていたのを覚えています。
ただ、それを聞いて半年もしないうちに、母は息を引き取りました。
相変わらずの安らかな笑顔で、全く苦痛を感じさせず。
その時は、さすがに私も涙を流したのを覚えています。
そして、湧いてくる怒りの矛先を誰に向ければいいのか分からず、私はただ泣き続けていました。
最終的には、お父さんやお医者さんに多大な迷惑をかけたはずです。
そして、数日が過ぎ、戻ってくる日常。
いつもと変わらない穏やかな日々と、その中で薄れていく母の存在感。
それが悔しくて、悲しくて、その頃の私は暇を見つけては母の仏壇の前に座り、週末には必ずお墓参りに向かっていました。
それが、逆に私に母が死んだ事を悟らせる結果になったのです。
母の死因は分かりませんでした。
そもそも、病気のことだってさっぱり分からなかったのです。
普通の医師だけでなく、魔法使いや、裏のお医者さん、お父さんの知り合いという人にも見てもらいましたが、結局は分かりませんでした。
いや、私が知らなかっただけで、お父さんは知っていたのかもしれません。
そして、数年が経ち、現在に至ります。
母はもう戻ってこない。
それが、今の私の、酷く当り前で、当然の想いになりました。
あの人の言葉を聞くまでは…
あれから1日が経ち、私は窓から差し込む朝日で目覚めました。
どうか、夢であってほしいと願いましたが、私の眼もとをつたった涙の跡や、帰ってそのままベッドに入ったためにそのままになっている乱れた衣類が私に現実を教えてくれます。
私はぼやけた頭で、また蘇ってくるあの人の言葉を必死に振り払い、一つ溜息をついてから布団から這い出しました。
とりあえず、シャワーでも浴びようと、バスルームに入ります。
蛇口を捻れば滴り落ちる水の雨。
その雨音が、私には涙のように聞こえてなりません。
ただ、自分で思い返してみても、なんでこんなに傷ついてるのかが分からないんです。
ただ、彼に言われたその言葉が、とても悲しい事。 辛い事だというのだけ分かります。
まるで、自分の中でもう一人に誰かが訴えてるような気がするんです。
それが、酷く悲しかった。
「怨むなら、僕を怨むと良い。」
ふと、記憶の中の彼の言葉がよみがえります。
それは、去り際に放たれた一言。
これが、なぜか心の中にすっとしみ込んで、なじんでいきます。
そうだ、私は彼を怨めばいいんだ…
どこか、酷く悲しげだった彼。
どこか、酷く苦しげだった彼。
でも、それは自業自得。
想いの果てにあるのは、ただその言葉が…
彼の言った言葉なら信じられるという絶対の確信。
なぜ、そう思ったのか分かりません。
ただ、それでいいと思う心がある。
いつか壊れてしまった私の心のように、時を戻った弱い心はそれを肯定している。
「なら、怨ませてもらいます。」
心の底で。
誰にも気づかれぬように、こっそりと。
そして、次あった時は必ず…
殺してしまいましょう。
これが、私の答え。
それが決まると、後は早かったと思います。
身支度を整え、外出の準備をします。
昨日は、お父さんは戻って無かったみたいで、冷蔵庫の中に入れておいた夕飯はそのまま残っていました。
だから、私はそれを食べ、新しく軽い食事を作ると、そのまま家を出ました。
目指すはあの場所。
お母さんのお墓の前。
そこに行けば、会えるような気がするんです。
あの死神に。