第19話:かみ合った歯車と動き出す時
お母さんのお墓は山の奥にある。
市街地から少し離れたそこは、車で数時間の距離にありながら緑豊かできれいな場所。
お父さんの忙しい時は自転車で1日かけてくる時もあるけど、それをしても十分に良い眺めと、すがすがしい空気に満ちている。
海が近いこの街だからか、遠目に見える海岸からは涼しい風が吹きつけてくる。
そんな綺麗な霊園の中段。
ちょうど真ん中からいくつか行った先に、お母さんのお墓があった。
刻まれた名前は数年の風雨によって少し黒く変色している。
でも、しっかりと刻まれたそれが消えるはずもなく、優しく暖かだった面影を思い出させてくれる。
「美穂、我は花の支度をするから、その間に墓石を洗っておいてはくれぬか?」
「うん、わかった。」
柄杓で桶の水を汲み、墓石の頭から掛ける。
そして、隅々まで水を行きわたらせた後、持ってきていた雑巾と束子で線香立てと燭台、花生けを洗って拭く。
手慣れたもので、その間にお父さんが花を分けて輪ゴムで束ね、新しい水を張った花生けに立て、線香と蝋燭に火を灯して立てる。
これで、お墓参りの準備は整った。
今日は、お供え物に小さな折り鶴を1羽置き、手紙を添えて置く。
こうすると、後でここの管理をしているお寺の住職さんが、お母さんにその手紙を届けてくれるらしい。
そして、手を合わせて静かに祈る。
それは、今は亡き人への思いを込め、安らかに眠れるように。
そして、自分は楽しくやっていますという近況報告に。
短い祈りの中で、故人には心の奥底までさらけ出されるという。
ここ最近の私の秘密の訓練も、学校での楽しい事、辛い事も、うちでの家族の事も。
そして、祈りが終わり天に届くころ、私達は立ち上がる。
「お母さん、また来るからね。」
「美夏、また会おう。」
挨拶も終わったし、霊園の入り口に向かって歩き出す。
お母さんへ伝えたいことは伝えたし、いつもはこの後のんびりとお墓のそばで過ごすけど、今日はお父さんとお食事に行くからこれでお別れ。
ちょっと後ろ髪を引かれる思いに駆られながら、私たちは車の元へと戻った。
「あ、お父さん、私の財布持ってない?」
「うむ、我は存ぜぬぞ。墓の所に置き忘れたのではないか?」
「あ、そうかも。折り鶴出す時に置いた覚えがある…」
「我はここで待つゆえ、取ってきなさい。」
「うん、行ってくるね!ちょっと待ってて!」
そう言って、私は来た道を戻ります。
この霊園は崖に沿って建てられているため、お墓に行くには階段を上らないといけません。
だから、ちょっと大変です。
でも、あまり待たせるのも悪いから急いで行きました。
と、お母さんのお墓のある通りに出た時、黒ずくめの人が一人ぽつりと立っていました。
遠目では良く分からなかったけど、近づいてみればそこはお母さんのお墓の前です。
(あの人もお母さんの知り合いなのかな?)
そう思って近づくと、向こうもこちらに気付いたみたいで、顔をあげました。
最初はお爺さんかと思ったけど、その顔は思ったよりずっと若い男の人で、肩からは大きな鎌を背負っています。
まるで、死神みたいな人です。
「こんにちは。お母さんのお知り合いですか?」
「お母さん…、という事は、君が美海くんの娘さんか。」
思ったよりずっと優しそうな声で男の人が言います。
さっきは気づきませんでしたが、その手には先ほど私が置いた手紙が握られています。
「私は…、まぁ、知り合いといえば知り合いかな。」
「はぁ…。」
ゆっくりと視線を墓石に戻し、視線の定まらない目でお墓を見つめます。
その目線は、お墓の先にある物を見ているかのようです。
と、その目線を追ってお墓の方を見ると、その脇に私の財布が見えました。
「あ、お財布やっぱりここにあったんですね。」
そう言ってお財布を握り締め、ポケットにしまいます。
ついでに、他に忘れ物が無いか確認して、男の人に向き直ります。
「あの、あなたはここの住職さんですか?」
「ん?違うよ。…なんでそう思ったの?」
「えっと、お母さんへの手紙を持っているので。」
「あぁ、私はここで想いを届ける仕事をしているからね。」
「想いを届ける仕事ですか?」
小さくうなずいた男の人は、重たそうな大鎌を担ぎなおして構えます。
「ちょうど良いから、見せてあげようか。君は運がいい。」
そして、先ほどの手紙を宙に浮かせると、その鎌を高く振り上げます。
【あぁ、現生の想いよ。黄泉へと渡れ。紡がれた言葉は魂の刻む羅列となりて亡き人の下へと。我、その案内人とならん。】
そう言って、大鎌を手紙に向かって振り下ろします。
小さく驚いて、手紙が破れるだろうと思ったら、鎌はまるで何かにぶつかったかのように手紙の前で止まり、その瞬間手紙が燃えだしました。
火の粉は空中でキラキラ光る光の粒となって天に昇り、消えていきます。
それは、まるで蛍のように儚く、風に吹かれれば消えてしまうほど脆い光。
でも、暖かいそれは、確実に死者へと届く。そんな、不思議な自信を与えてくれました。
「これが、僕の仕事さ。」
「あの、お兄さんはいつも届けてくれていたんですか?」
「いつも…ではないね。ここの住職がほとんどやってるよ。ただ、年に数回だけ特別にね。」
「お兄さんは神様ですか?」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、こんな不思議な魔法、私見た事がありません。」
「あ、あははは」
いきなり笑い出したかと思うと、お兄さんはにこにこ似た顔で続けます。
「これは、大層な呪文を唱えてるけど、ただ燃やすだけの魔法だよ。」
「え… それはどういう…?」
「演出さ。こうすれば、ちょっとは届く気がするだろ?」
「でも、さっきは届くって…」
「あぁ、届くさ。俺が保証する。ただ、こんな事しなくても届いてるんだよ。君の想いはね。」
「…!」
そう言われて、ハッとしました。
さっき、自分もお墓の前で祈った時に思った事。
全ての想いよ届けと念じたあの瞬間。
そして、それは手紙の事もそうです。
「じゃぁ、私の手紙は無駄だったんですか?」
「いや、無駄じゃないと思うよ。想いは届くけど、形にする事は時には想いを伝えるより価値がある事なんだ。」
「形にすること…?」
「つまり、君たちはお墓を綺麗にして花やお供え物を用意するよね。それは、その人への想いが強い証明にもなるんだよ。それを見た故人もきっと喜んでいるはずさ。」
(それに、君たちもその方が良いだろ?)
小さく続けられた言葉は、確かに的を射ていました。
そう、手紙や花は私たちからの想いの形。
そして、自分が亡き人を忘れないようにするための儀式。
それは、決して無駄な事じゃない。
「あ、ありがとうございました。」
「いや、なんて事は無いさ。さぁ、待たせている人がいるんだろ?そろそろ行った方が良いんじゃないかい?」
「あ、そうだ、お父さん!」
振り返ると、霊園の入り口に人影が見えます。
心配して身に来てくれたのかもしれません。
「じゃぁ、私はそろそろ帰ります。今日は本当にありがとうございました。」
「いや、気にしないで。」
「それじゃぁ、さようなら!」
そう言って、振り向いて駆けだします。
でも、一つ思い当たる事があって、また振り返ります。
「あ、そういえば、あなたのお名前は…」
と、そこにいる人に呼び掛けたつもりでした。
しかし、振り向いた先には誰の姿もありません。
ただ、小さな光の粉が、空から降り注いで地面に吸い込まれていきます。
夏の初めの物語、小さな私の不思議体験は、この時すでに始まっていたとは、その時の私には知る由もありませんでした。