第4話-2 編入生
ミハエルは部屋の書机の上に鞄を放り出すと、ランプの灯りもつけずに椅子に座り込んだ。
授業が終わると、さっさとギムナジウムから帰路についたのだった。
(まさか、あの人形が存在していたとは)
ミハエルは書机の鞄の上にそのまま覆いかぶさるようにして、例の編入生に突きつけられた布の人形のことを思い出していた。
始業前に教室の扉が突然開き、見慣れない生徒が入ってきた。
目が合ったかと思うと、ミハエルのいる席まで一直線に歩いてきて勢いよく人形を机に叩きつけてきたのだ。
いきなりのことで何が起きたか分からず、咄嗟に身構えてしまった。
よく見ると、アレクサンダーが握りしめていたその人形は、毛糸のお下げの女の子の姿をしている。
たしかにそれは、かつてミハエルが持っていたものだ。
人形を目にした瞬間、ミハエルは体に電流が走るような思いをした。
平静を装ったが、今にも手を伸ばし人形に触れたい思いに駆られた。
が、耐えた。
(それにしても、まさか彼に再会するとは)
アレクサンダーとは、確かにかつて、泉で出会ったことがある。
―――髪質のしっかりした濃茶ダークブラウンの髪。
―――意思の強さがそのまま表れたような眼。
―――よく通る声。
―――妙に確信めいて聞こえる説得力のある喋り方。
その一つ一つが、あの時と変わらない。
ミハエルはこの日のアレクサンダーを思い出す。
第八学年プリーマの進級初日であるこの日、ギムナジウムは新学期特有の空気に包まれながら、編入生の話題で持ちきりだった。
他の学年の生徒たちも、この地を代表する貴族が直々にここに通ってくるらしい噂を聞きつけて、わざわざ第八学年プリーマの教室までアレクサンダーを見に来た。
ギムナジウム中の視線を一挙に浴びながらも、彼は実に堂々としていた。
物怖じする様子がないからといって馴れ馴れしくもなく、懐っこさを醸し出しながら、自分を取り囲む生徒たちの質問に丁寧に答えてやっていた。
ミハエルは突っ伏した状態から身を起こした。
薄暗い部屋の中で、やっと灯りをつける気になる。
マッチを探し出してランプに火を灯すと、辺りが明るくなる。
書机の引き出しを開けて、あるものを取り出した。
陶器でできた小さな貴婦人の人形だ。
その貴婦人の人形は、子どもの手のひらに収まるくらいの大きさだ。
白磁のため色白で、唇には紅がさしてある。
ドレスの裾は膨らみ、丁寧に花模様まで絵付けされている。裾は金で縁取られて華やかだ。凝った作りだ。
ミハエルは、手のひらに乗せて人形を見つめる。
幼い頃、泉の畔で出会った彼がくれたもの―――……。
(あの時の少年が僕だということは、知られないほうが良い)
ミハエルは頬杖をついて、もう片方の手のひらに収まっている陶器の貴婦人の人形をじっと見つめた。
人形は口元に品の良い笑みをたたえている。
ミハエルは重いため息をつき、書机の後ろの狭苦しい部屋の中を振り返る。
(今のこの僕の状況を知ったら、アレクサンダーはいったいどう思うだろう)
あの時楽しく会話した相手が、今頃こんなに惨めな境遇にいると知ったら。
それどころか、とミハエルは顔を暗くさせる。
―――本当の僕を知ったら?
―――本当の僕が、女だと知ったら?
ミハエルは、ほとんど無いに等しい胸の膨らみを服の上から触れた。
彼の信じているミハエルの存在が、根底から覆るような真実を知ってしまったら。
幻滅どころでは済まないだろう。
ミハエルの世界だって崩壊してしまう。
このまま黙って知らないふりをすることが、お互いに取って最も良いことのように思われた。
ミハエルはそっと、陶器の人形を書机の引き出しにしまった。
籠に入った冷たい夕食をさっさと食べ終えてしまうと、教材を取り出して一心不乱に勉強した。




