第15話-2 小屋にて
二人はしばらく勉強に集中していた。
アレクサンダーは、実に教え方が上手かった。
彼が得意だという数学から取りかかっているのだが、なぜそうなるのか理屈を噛み砕くのが上手く、理路整然としている。
「なるほど……」
ミハエルは解説を聞きながら、感嘆して呟く。
教えてもらった数式が、頭の中できれいに整理されていく。
朗々とした声も手伝ってか、すんなりと解説が頭に入ってくる。
自身も成績優秀者で通してきたミハエルだが、アレクサンダーの優秀さは一段上だと認めざるを得ない。
ふと顔をあげると、思っていたより近くにアレクサンダーの顔がある。
目が合う。
テーブルがそこまで大きくないために、向かい合っていると必然的に顔の距離が近くなるのだ。
ミハエルは気まずさを誤魔化しながら、次のページをめくった。
「蜂蜜飴は食べたか?」
アレクサンダーが尋ねてきた。
「……食べたよ」
書机の上には小さな紙袋が置いてある。
強引に渡されたものを口にするのは抵抗があったが、捨てるのも忍びないので口にしていた。
実を言うと、甘味に飢えたミハエルにはびっくりするほど美味しかった。
そういえばお礼を言い忘れていたことを思い出し、小さく礼を述べる。
「うちの菓子職人に、特別に作ってもらったからな」
「菓子職人?」
きけば隣の美食の国から雇い入れた菓子職人が作ったのだという。
ミハエルは驚愕した。
ダミッシュ家にも料理専用の使用人が居るには居るが、料理人である。
彼女らは、大抵はおやつやデザートを作る役と兼任させられている。
ゲルステンビュッテル家は貴族なのだ。
よく考えれば、一流の菓子専門の職人を個別に雇っていてもおかしくはない。
が、ミハエルはこのかた、店舗で雇われている菓子職人の存在しか知らない。
アレクサンダーが言うには、家に貴賓を招くことが多く、食事でのもてなしは最重要事項なのだという。
必要あってのことだとミハエルは納得しながら、今になって、気軽に食べたあの飴がその辺の売店で買ったものでないことを思い知らされる。
「菓子職人に頼めば、なんでも作ってくれる」
なんでもないことのように言っている。
彼にとっては、当たり前のことなのだろう。
アレクサンダーは、ごそごそと鞄から紙袋を取り出した。
「これは?」
ミハエルは尋ねる。蜂蜜飴が入っていたのと同じ大きさの紙袋だ。
「今日は糖衣菓子を持ってきた」
紙袋の中身を覗いてみると、ナッツが煮詰めた砂糖をまとい、紙袋の中でツヤツヤしている。
「一緒に食おうぜ」
「やめておく」
ミハエルは即座に断った。
「なんで」
「君、そうやってさりげなくこの場所に入り浸ろうとしているだろう?」
アレクサンダーを窘めた。
今はあくまで授業で遅れた分を取り戻すために小屋に踏み入るのを許しているだけである。
「別にそういう訳じゃないんだが」
アレクサンダーは思いがけないような顔をしている。
「課外読書の要約を頼む」
話を切り替えるつもりで催促した。
アレクサンダーも、それ以上は何も言わず、要約をしてくれた。
「休日は何をして過ごしているんだ?」
勉強が一区切りついたところで、アレクサンダーがうーん、と伸びをしながら尋ねてきた。
アレクサンダーの体躯がいいので、目いっぱい腕を広げるとそれだけで余計に小屋の中が狭くなる。
「勉強とか………掃除とか」
「そうか。趣味のことをして過ごしたりしないのか?」
そんなことを言われても、ミハエルには趣味などない。
生活のやるべきことをやって、あとはひたすら勉強をするだけだ。
ミハエルはムッとして、わざと嫌味っぽく返す。
「悪かったな、つまらない奴で」
「おあっ!? 俺は別にそういうつもりで訊いたわけじゃないぞ?」
アレクサンダーがびっくりしている。
「そんな君こそ、休日はよっぽど有意義に過ごしているんだろうね?」
ミハエルは意地悪く尋ねた。
アレクサンダーが指折りで休日の過ごし方を挙げていく。
乗馬だとか、闘剣だとか、撞球だとか、ヴァイオリンだとか、趣味や習い事をして過ごしているようだ。
(ああ、彼はやんごとなき生まれなんだった)
ミハエルは軽く頭を抱える。目の前の麗しき友人に、この手の話題で太刀打ちできるはずがない。
(まあ、それにしても僕はつまらない人間だ)
右手で鉛筆を動かしながら、ぼんやりとそんなことを考える。
アレクサンダーとの階級の違いを抜きにしても、ミハエルには特技どころか、趣味も楽しみも、何もない。
勉強、勉強、たまに読書、それからまた勉強。あとは生活の細々したことをこなすだけ。
日曜日にはこれに教会へ行く作業がひとつ増えるだけだ。
かつて好きだったものは、とうに諦めていた。
気がつくと日もとっぷりと暮れている。
アレクサンダーは勉強で優先的に手をつけると良い範囲を助言して帰っていった。
糖衣菓子の入った紙袋を勝手にテーブルの上に置いて。




