第11話-1 不機嫌な住人
「物には触れるなよ」
ミハエルが思い切り嫌そうな顔をしながら冷たく言い渡してくる。
「わかってるよ」
アレクサンダーはわざとらしく両手を上げ、物に触る気がないのを表明してみせた。
足元では、アレクサンダーが立つ位置を変えるだけで古い床がギシギシと軋んでいる。
ミハエルが部屋の奥の書机でランプに灯をつけ始めた。
先ほどは、小路に入った途端にミハエルが突然走り出したので何事かと思った。
アレクサンダーは運動神経が良いという自信がある。
走り出したミハエルを直感的に追いかけて、かなり強引にダミッシュ家の敷地内に入る権利を得た。
いつも教室で静かに過ごしているミハエルが、息を切らせて頬を紅潮させているのは珍しい光景だった。
小屋の中は、暗く寒々しい。
ランプのホヤのカチャカチャと鳴る音を聞きながら、小屋の入り口でアレクサンダーは大人しく灯りがつけられるのを待っている。
(いつも帰宅一番に出迎えてくれるのが、こんな冷たい暗がりじゃあ)
淋しいのではないかと、ついそんなことを考えてしまう。
小屋の向かいのダミッシュ家本邸からは、窓から温かでやわらかな灯りが漏れていた。
ミハエルはランプに灯りをつけると、その灯りをもとに今度は暖炉に火をくべ始めた。
暖炉のそばにかがみこんでマッチに火をつける。そうかと思うと、あっという間に薪の炎が大きくなる。
アレクサンダーは、ミハエルの手際の良さに感心した。随分と手慣れている。
ランプの灯りと暖炉の炎に照らされ、部屋の中が一気に明るく、そして暖かくなった。
アレクサンダーもホッとする。
外は身を切るような寒さである。
アレクサンダーはキョロキョロと小屋の中を見回した。昨日よりも、ゆっくりと観察してみる。
昨日は粗末一遍に思われた小屋の中が、よく見ると案外、清潔にしてあることに気づく。
ガサついた床は砂利が溜まらないよう掃き清められ、隙間の目立つ家具はおそらく水拭きされている。
埃っぽさがない。
壁にかけられた鏡も物こそ古いが磨きこまれているし、調度品も手入れがされている。
しかし、壁のひび割れや汚点の汚さは隠しようがない。
家具たちも、年季が入ってかなり劣化して色が褪せている。
どんなに清潔に、そしてどんなに整理整頓されていようとも、建物と家具のあまりにも粗末すぎて薄汚さが埋めきれていない。
萎びた空気が小屋の中に充満している。
「あまり部屋の中をジロジロ見るな」
ミハエルに不機嫌にたしなめられてしまった。
「わかってるよ」
それでも、アレクサンダーはつい小屋の中を観察してしまう。
小屋の一番奥には箱をひっくり返しただけの様相をなした、あまりにも簡素な寝台が置かれていた。
寝台の手前には書机、足元に衣装タンスが置かれている。
衣装タンスなどは端の繊維がささくれ立っている。うっかり触れると怪我をしてしまいそうだ。
小屋の真ん中に配置されたテーブルは、あまり大きくない。
アレクサンダーが立っている木戸の近くの小屋の隅には、日用品や掃除道具など調度品を置いておくための背が高くて扉の無い整理棚が無造作に置かれている。
棒と板をつなげただけの粗末な造りだ。よく見てみると釘が赤黒く錆びている。
整理棚に限ったことではない、この小屋の中にあるすべての家具が、薄い合板を釘でつなげた粗末なものだった。
板のつなぎ目には隙間や欠けが目立つ。
ところどころ板の向こう側が透けて見えてしまっている。
暖炉と寝台があるため辛うじて人の住む部屋の様相をなしているが、そうでなければただの物置小屋である。
ただし、この日は、掛け布団がきれいに整えられ、テーブルの上の教材や書籍はすべて片付けられていた。
「ここから先には立ち入ってくるなよ」
ミハエルが、またも冷たく言い渡してくる。
部屋の真ん中に置かれているテーブルより奥は立ち入り禁止らしい。
机と寝台の辺りだ。
「入ったらどうなるんだ?」
アレクサンダーは、わざと訊いてみる。
「殺す」
声にドスがきいている。アレクサンダーは肩をすくめた。
ミハエルは鞄を書机の横にかけると、アレクサンダーの方へ向きなおった。
「それで、用事ってなんだ」
ミハエルは声に侮蔑を込めながら、警戒心を露わにしている。
「お前のことをもっと知りたいから、遊びに来たんだよ」
アレクサンダーは率直に答える。他意なく、それがアレクサンダーの本心だからだ。
ミハエルはアレクサンダーの言葉に面食らっていた。
そして、苦々しそうな顔をしながら、
「なんでわざわざ僕に興味なんか……」
なぜ自分に興味を持つのがまったく理解できないといった様子だ。
というより、単純に迷惑そうである。
「僕のことを、知る必要なんてない」
目を伏せがちに言ったその言葉に、数滴の哀しみが混ざって聞こえたのは気のせいだろうか。
アレクサンダーは、テーブルと対になっている椅子に、勝手に腰をおろした。




