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銀色の雲の上  作者: 町屋りんご


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第9話-2 見舞い

ミハエルは小屋の木戸の前で、奥の茂みをボーッと眺めている。

アレクサンダーが使用人の背中越しにそっと覗くと、ミハエルの後頭部が寝癖でボサボサになっているのが見えた。


なおも様子を伺うと、彼は木になっている木苺をつまんで口に運んでいるらしい。

後ろ姿でも、むぐむぐと頬が動いているのが分かる。


ぷちん、ともう一粒つまんで口に運ぼうとしたところに、使用人の女がミハエルの背中に声をかける。


「ミハエル様、ご友人がいらっしゃって……」


声をかけられてミハエルはゆっくりと振り返った。もぐ……と口を動かしながら、ぼんやりとした顔で使用人を見つめたかと思うと、アレクサンダーと目が合い、ぎょっとした。

ミハエルの指先から木苺がポロリとこぼれ落ちる。


つられて振り返った使用人も、自身の真後ろにアレクサンダーに立っていることに気づき、ぎょっとしている。


「門でお待ちくださいと……!」


使用人は可哀想なほど狼狽(うろた)えている。


「そーでしたっけ? さーせん」


アレクサンダーは、とぼけてみせる。


ミハエルはあわてふためく使用人をなだめ、自分に来客があったことを強く口止めしてから、彼女に下がるように伝えた。


ミハエルは使用人の女がその場を立ち去ったのを確認すると、くるりとアレクサンダーの方に向き直った。

顔が強張っている。


「なぜ君がここにいるんだ」


ミハエルが信じられないといった様子で、アレクサンダーを見つめている。


アレクサンダーはその間も冷静にミハエルの姿を観察していた。


髪がボサボサのまま、風に吹かれてミハエルの顔にかかっている。

外套は肩にかけているだけで、寒そうだ。


ギムナジウムではシャツのボタンを上まできっちりと留めているのに、この日は胸元の一つが外されて襟元がゆるんでいた。

シャツもアイロンもかかっておらず、しわくちゃだ。

靴も紐がほどけたまま踏んでいる。


いつも身なりをきちんと整えているミハエルからは想像もつかない姿だった。

じろじろとアレクサンダーに全身を見られていることに気がつき、ミハエルはさっと顔を赤らめた。

さりげなさを装って、髪をかきあげ整えている。

肩に羽織っていた外套にも袖を通している。


アレクサンダーは、わけもない調子で答える。


「何って、学校をずっと休んでいるから見舞いに来た」


外套の前身頃の釦を留めていたミハエルの手が止まる。


「見舞い?」


口の中で小さく呟きながら、ミハエルは一寸ちょっとだけ意外そうな顔をした。

しかし、すぐにハッと顔をしかめて、


「よ、余計なことをするな」


先ほどよりも、ますます顔を真っ赤にしている。


アレクサンダーは小屋の木戸が開け放たれたままになっているのを確かめる。


「てなわけで、じゃまするぞ」


こういうときのアレクサンダーは強引だ。


「お、おいっ! 待て……!」


ミハエルは焦りながら止めようとしている。


アレクサンダーはミハエルの制止などおかまいなしで、ズカズカと小屋の中に入っていった。


そして、唖然とした。


そこには、あまりにも粗末で狭くるしい空間があった。


壁の漆喰が汚点シミで黒ずんでいるいるうえ、ヒビ割れてところどころ剥げたところから外壁の一部が見えている。

足元の木の床は絨毯など敷かれていない剥き出しのままで、ガサガサだ。

磨いたところでツヤなど取りもどせそうにもない。


家具は、寝台、書机、ボロボロの衣装タンス、大きくないテーブルに、雑な作りの整理棚。

 

たったのそれだけ。


どの家具も、いつからここに置いてあるのか分からないほど年季が入っている。


部屋の奥に目を向けてみれば、置かれた寝台は板を釘でつなぎ合わせて大きな箱をひっくり返しただけの様相をなしている。

寝台の上には、薄くて長年使い込んだくたくたの布団が一式乗っかっている。

先ほど布団から抜け出してそのままなのか、掛け布団がぐちゃぐちゃなままだ。


これらのことを、アレクサンダーは小屋に入って一瞬にして目でとらえていた。


薄暗さと醜さとわびしさを集約したような場所。


暖炉の煌々とした炎の灯りがこれらの粗末さを一層強く、暗く、照らし出していた。


もはや質素という次元ではない。

飾り気も素っ気もなく、どんなに控えめにいっても貧弱だ。


今どき使用人でさえこんな場所では生活させられまい。

小屋の真ん中に置かれたテーブルの上に目線を移すと、様々な題名の本が山積みになっているのが眼に飛び込んできた。

課外読書だけでなく哲学書や詩集などの本もまぎれている。


アレクサンダーは、つと、テーブルの上の本に触れようと手を伸ばした。


「触るな」


ピシャリとミハエルの声が飛んでくる。


振り向くと、顔に怒りを含んだミハエルが立っていた。


「……すまん」


アレクサンダーは、我に返る。


「ここは?」


「…………」


ミハエルは黙り込んでいる。


傍目はためにも、ばつの悪さを押し殺そうとしているのが分かる。


「ここに住んでいるのか?」


「そうだよ」


ミハエルの声は、薄っすらと苛立ちを帯びていた。


「一人で? なんでこんなところに」


「気楽だからだよ」


ミハエルは怒気を隠さなくなっていた。


「勉強の邪魔もされないし、誰にも気を遣わなくて済む」


「風邪をひいている時も、まさかここに一人で?」


「君には関係ないだろう」


ミハエルが素っ気なく言い放つ。


(関係ない、か)


たしかにそうかもしれない。


だが、それにしても。


本邸がすぐそこにありながら、体調を崩した子どもが一人でこんなところに置かれているというのはどういうことだろう。


それとも、この家では病理のものをこの場所に隔離する習慣でもあるのだろうか。


ミハエルは、アレクサンダーが言わんとしたことに気がついたようだ。


「僕が放っといてくれと家の人たちに伝えたんだ。煩わしいから」


アレクサンダーの疑問に先回りしている。


「それにしても……」


あまりにも酷い環境ではなかろうか。


アレクサンダーは、ふと、ミハエルの顔色の悪さに気づく。


「お前、本当に体調は回復したのか?」


ただでさえ痩身だというのに少しやつれている気がする。


アレクサンダーはミハエルの顔に触れようとした。


「触るな」


ミハエルは叩き落とすようにアレクサンダーの手を振り払った。


それからハッと焦った顔をして、誤魔化すように言った。


「僕はこの通り元気さ。明日からは学校に行くよ」


会話を打ち切りたいのだろうことも伝わってくる。


「さ、これでこの話は終わり、君は帰れ」そんな含みの込められた言い方だ。


ミハエルはこれ以上話す気はなさそうだ。

早く帰ってほしそうな空気をミハエルからありありと感じ取る。


「ふうん……」


アレクサンダーは腑に落ちないが、他になんと言葉をかければ良いのかもわからず、そう相槌を打つしかなかった。


「まあ、風邪が治ったんなら良かった」


アレクサンダーはミハエルの頭に手を置いて、髪をくしゃっとなでた。


「!」


ミハエルは素早く手を振り払うと、


「気安く触るな」


不愉快そうな表情かおの中に、かすかな怯えが含まれているのは気のせいだろうか。


アレクサンダーは肩をすくめた。


ミハエルにしてみれば強引に小屋の中まで踏み入れられたのは不本意だっただろう。

それはさすがに分かっている。


ミハエルに悪い気がして、この日は引き下がることにした。


「じゃあ、また明日、学校でな」


木戸を開けて小屋から出ようとした、そのとき、


「待って」


背中から声をかけられる。

振り返ると、ミハエルは顔を強張らせていた。


「このことは誰にも」


アレクサンダーは手をひらひらとさせながら後ろ手に答える。


「言わねーよ」


バタンと木戸を閉める。


ミハエルは見送りには出て来なかった。

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