第8話 不可解
アレクサンダーがこのギムナジウムに編入して早くも三ヶ月目に突入していた。
本格的な冬が近づいてきている。
日照時間が短くなり、空も灰色の雲が薄っすらと膜を張るような日が増えてきた。
編入以来、隙を見てはミハエルに話しかけるというのを繰り返していたが、ついに先日、ばっさりと断ち切られてしまった。
「僕にかまうなよ」と唸るように言われてしまって以来、さすがに話しかけられずにいる。
アレクサンダーは人間関係で何か気になることがあれば相手に率直に尋ねてみる質だ。
もしくは、強行突破でゴリゴリと壁をぶちやぶって、後で上手く修復するというようなことをやってのける。
ある意味、単純で分かりやすいやり方であるが、ミハエルはそのどれをも拒絶した。
アレクサンダーの性格上、相手に凄みをきかされたからといって簡単に怯む質ではない。
ただ、あの瞬間、なんとなく自分のやり方がミハエルを傷つけてしまっているのではないかという気がした。
真実を知りたくて何度か揺さぶりをかけたが故に、ミハエルが警戒心を強めているのは分かっていた。
しかし、そうせずにはいられなかった。
それにしても、人間誰しも仲良くしたそうに近づいてくる者があれば、余程のことがないかぎり悪い気はしないものである。
特に内気そうな人物に対しては好適な方法であることを、アレクサンダーは経験上知っている。
実際、この教室の他の級友たちとはそれで打ち解けることに成功していた。
それなのに、ミハエルにこのやり方は通用しなかった。
彼は全く心を開く気配がない。
アレクサンダーにとってこんなことは初めてだ。
アレクサンダーは別段、仲良くなって相手を利用してやろうだとか、そういった類の悪意も持ち合わせていない。
(なぜ、そこまで人を遠ざけるんだ?)
ミハエルはたまにビー玉のように空虚な眼をしながら、教室で不自然なほど一人で過ごしている。
ここまでくると、もはやアレクサンダーにとってミハエルは異質だった。
まったく会話を広げるつもりのないミハエルに対して、正直やきもきしていたのは事実だ。
だから、わざと揺さぶりをかけていたところもある。
アレクサンダーはミハエルが泉の少年であるか、見極めたかった。
なにより二人でゆっくり会話をするきっかけが欲しかった。
突破口を見つけるつもりで、人形をちらつかせてみた。
ところがミハエルは人形を見ても顔色ひとつ変えず教科書に目を通しはじめてしまった。
会話を打ち切られてしまっては、話を続けようがない。
アレクサンダーは、糸口をみつけるつもりで彼女の名を出した。
「エミリアは元気か?」
ミハエルは一瞬ピクリと眉を動かした。
「なんのことかな」
何の感情も交えない声だった。
けれど、今までにない反応だと思った。
ミハエルは平静を装っているが、彼からヒリついた空気を感じ取る。
(ミハエルは、エミリアのことを知っている?)
アレクサンダーは顎に手をあてて考える。
次の日アレクサンダーは、もう一度揺さぶりをかけるつもりで彼女の名前を出した。
「そういえばさ、ミハエル」
ミハエルをじっと見つめる。
「エミリアは」
次の瞬間、ミハエルはガタッと席を立っていた。
「そういえば、先生に用事があったんだった」
先ほどまで静かに座っていたというのに、この変わりようはなんであろう。
(ミハエルが"エミリア"を知っているのは間違いない)
アレクサンダーは、はっきりと確信した。
(ミハエルは明らかにこの話題を避けようとしている)
けれども、このことをきっかけに、ミハエルからあからさまに距離を置かれるようになってしまった。
これまでもアレクサンダーとの会話に乗り気でないことは重々分かっていたが、アレクサンダーが話しかけようとするのを察すると、おもむろに席を立ってどこかへ行ってしまう。
さらには、ミハエルがわざわざ登校時間を送らせて話しかける隙を与えようとしなくなった。
(なぜそこまで?)
アレクサンダーは顎に手を当て、ううむ、と考え込む。
(それにしても、なぜ?)
なぜ、「エミリア」の名がミハエルの気持ちを逆なでしたのだろう。
(泉で会った時には、あんなに嬉しそうに彼女の名を口にしていたのに)
アレクサンダーは、幼き日のことを思い出しながら、腑に落ちない思いになる。
ミハエルがもし本当にあの時の少年であったのなら、「エミリア」の存在は彼にとって避けるような存在ではなかったはずだ。
泉の畔で、はにかみながら、あんなに嬉しそうに彼女の名を口に出していたではないか。
彼にとって「エミリア」という名前は、いつから“禁句”になったのだろう。
(やっぱり、泉の少年はミハエルで間違いない、よな?)
アレクサンダーは思い切って、本人に確認することに決めた。
いっそ、まどろっこしい話しかけ方なんてせず、最初から率直に尋ねれば良かったのだ、とさえ思った。
その日、ミハエルが少し早めに移動教室に向かう教室を出たのを確かめると、校庭で一緒に遊びたがる級友たちの輪から抜け出し、ミハエルを追いかけた。
もしかすると泉の話は、ミハエルにとって教室で気軽にするようなものではないのかもしれない。
人と打ち解けない彼は、込み入った話を気安く級友たちの前でしてほしくないのかもしれない。
(人の少ない場所なら、案外「そうだよ」なんて打ち明けてくれるかもしれないよな)
しかし、そんな期待は打ち砕かれた。
ミハエルの反応はこれまでにないものだった。
「僕にかまうなよ」
威嚇するような低い声。
いつもはビー玉のように空虚にしている眼を、今度は尖ったガラスのように鋭く光らせている。
(ミハエルは、本気だ)
どこまでも心を開くつもりはないらしい。
(それとも……本当に人違いなのか?)
どちらにしても、取り入る隙がないことを察する。
これ以上どう声をかけていいのか分からなくなった。
「わりぃ」
気がつくと、アレクサンダーはその場を立ち去っていた。
(この人形を学校に持ってくるのは、もうやめにしよう)
おさげの女の子の人形を上着の胸ポケットにしまいながら、そんなことを考えた。
取りつく島がない。
そこから、今に至る。
廊下の陰で一人の生徒が、一連のやりとりを冷たい眼差しで見つめていたことに、アレクサンダーはまったく気がつかなかった。




